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2007年6月

2007年6月30日 (土)

今月のベスト&リスト(2007年6月)

 2007年6月に読んだ本のベストはこんな感じだった。

 ベスト 【フィクション】   「死亡推定時刻」 朔立木

死亡推定時刻 (光文社文庫) 死亡推定時刻 (光文社文庫)

著者:朔立木
販売元:光文社
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 犯罪捜査や取調べの描写は、ノンフィクションと言ってもいいくらいのリアルさ。決してメデタシメデタシで終わらないストーリーに、日本の司法制度の闇が映り込んでいる。いろいろな問題意識を植え付けてもらったという意味でも、今月のベスト。

 ベスト 【フィクション以外】   「ラッキーマン」 マイケル・J・フォックス

ラッキーマン (SB文庫) ラッキーマン (SB文庫)

著者:マイケル・J・フォックス
販売元:ソフトバンククリエイティブ
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 彼が最近テレビに出演した模様を見た。あの状態で強く生きる姿は、本当に尊い。そのバックボーンに何があるのかを、この本は教えてくれる。

 上記の作品も含めて、2007年6月の感想リストは以下の通り。

虐待は犯罪である―「子どものトラウマ」

みそは美味しいの?―「銭 5巻」

ゆけ、アライグマくん―「ぼのぼの 29巻」

納得いく答えは、誰の中にもない―「これから社会に出るきみへ」

幸も不幸も、見方しだい―「ラッキーマン」

パズルに堕ちない群像劇―「ラッシュライフ」

気になるのはふたりの関係(←それだけ?)―「のだめカンタービレ 18巻」

意欲はある。行動はない。そんなときもある―「行動分析学入門」

四原色の世界に思いをはせる―「眼が語る生物の進化」

すべてはメジャーに―「Number 681号 “PRIDE後”の世界」

才能がもたらす鬼気と苦悩―「児玉清、大崎善生対談」

ドラえもんの「心」は作れるか?―「脳とコンピュータはどう違うか」

未来人が目立つのはたいへん?―「JIN―仁 6巻」

誰もが突然「犯罪者」になる―「死亡推定時刻」

「一周目」の幸福―「もやしもん 5巻」

あなたも私も友人失格です―「友情を疑う」

楽しさの裏面には悲しさが―「裁判官の爆笑お言葉集」

貧乏神ならまだいいほう?―「憑神」

冷静と熱血のあいだ―「太陽の黙示録 15巻」

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冷静と熱血のあいだ―「太陽の黙示録 15巻」

 巨大地震によって真っ二つに引き裂かれた日本が、米中の干渉の中でいかに再生を果たすかを描く、政治アクション(?)マンガの15巻。

太陽の黙示録 vol.15 (15) (ビッグコミックス) 太陽の黙示録 vol.15 (15) (ビッグコミックス)

著者:かわぐち かいじ
販売元:小学館
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 今、かわぐちかいじはこれと「ジパング」の2本の連載をもっている。どちらも面白いけれど、私の中ではちょっと印象が異なる二作だ。それは題材の違いからくるのかとも思っていたのだが、やっぱり主人公のキャラクターの差が大きく影響してる気もしてきた。

 「ジパング」や、作者の代表作の「沈黙の艦隊」では、主人公ランクに格付けされるキャラクターは、「冷静なカリスマ」タイプ(ジパング・草加と沈黙の艦隊・海江田)と「熱血なリーダー」タイプ(ジパング・角松と沈黙の艦隊・深町)に分けられる。外見もタイプごとに似通っていて、かたや細面の二枚目、こなたエラのはった二・五枚目という感じだ。

 そんな違いにすぐ目が行くので、この2タイプをすべての面において対照的なキャラクターととらえがちになってしまう。が、そうではない。かわぐちかいじマンガの主人公格には、重要な共通点がある。

 それは、理詰めの計算に長けている、ということだ。

 おそらく作者自身がそういう人なのだろう。困難な局面で重要な決断を迫られるとき、彼らの頭には彼我の戦略シミュレーションが緻密にできあがっている。最終的に、クールな選択肢を選ぶかホットな選択肢を選ぶかはキャラによって異なるけれど、その判断の背景には、きちんとした計算がある。なので、白熱の艦隊戦や互いの思いを賭けた対話シーンで、どちらが優るのかと高度な駆け引きに手に汗握ることができる。

 で、「太陽の黙示録」。この話の主人公・舷一郎は、どっちのタイプでもない。そして理詰めの計算もしない。人の気持ちがわかり、聡明な男なのだが、だいたいの局面にほとんど無策でのぞむ。本当なら、今まで何度殺されててもおかしくなかった(笑)。それでも生き残ってきたのはなぜかといえば、舷一郎クンの澄んだ心と情熱に、相手が勝手に平伏してきたから。

 マンガで盛り上がる場面のひとつは、「うわー、こんな難儀な状況をどう切り抜けるの??」というものだろう。そういうとき「ジパング」とかなら、「理」で優劣が決まり「情」がスパイスjになって感動を呼ぶ。ところが「太陽の黙示録」では、「情」で話が解決して「理」があとから付け足されたりされなかったり。

 まあ、事前に計算をめぐらしてる舷一郎なんてイメージに合わないので、彼は彼のままでいてくれていいのだが。ただ今回の15巻で、復興委員会の面々がどんどん舷一郎くんの味方になってくれるあたりがどうも調子良すぎるような気がして、こんな感想になりました(笑)。

[MEMO]------------------------------

*生きてるあいだに読んでおきたい、「沈黙の艦隊」。このあいだ懐かしくなって愛蔵版を買ってみたら、寝食忘れて読み通してしまった。やっぱりすごいです。「ジパング」も「太陽の黙示録」もいいけど、コレはほんとうに奇跡

沈黙の艦隊 (1) 沈黙の艦隊 (1)

著者:かわぐち かいじ
販売元:講談社
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2007年6月29日 (金)

貧乏神ならまだいいほう?―「憑神」

 あんまり泣かすなよ…

 幕末の江戸、凋落した徳川家への忠義の心をなくさぬ貧乏侍に、神が憑く。さてどんな福を運んで来てくれるのかと思いきや、なんとこの神は貧乏神なのであった。

憑神 憑神

著者:浅田 次郎
販売元:新潮社
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 最初に手際よく紹介される主人公の身の上が、生かさず殺さずという感じで、これ以上ないくらい絶妙の憐れさ(笑)。さていかにこの窮状を切り抜けて、裏切り者を見返しつつ、立身出世をとげて幸せをつかむのかと、期待感にワクワクする。貧乏神も憑くらしいし、こりゃたいへんだぞと。

 ところが、ここから作者はひねる。神が憑いてもたらされた最初の結果を、「よかった」「わるかった」と一概に判断できない方向にもっていく。ここがうまい。主人公に肩入れして読んでたら、ほんとにこれでいいんかな、とみな不安になるんじゃないか。

 でも実は、この不安感は作者の巧妙な仕掛けのひとつ。その先起こることも、ぜんぶラストに向けて意味をもってつながっていく。むかし何かのインタビューで浅田次郎は「僕の小説は予定調和だから」って言ってたけど、そりゃ謙遜ですよ。幾重にも張り巡らされた伏線の数々を、こうまでうまく回収されたら、もう、わかっていても泣かされる。職人。

 この本で描かれる幕末は、侍や将軍といった「権威」が失墜し、社会システムのあちこちにガタがきて、形容しがたい閉塞感が人々の心にただよう時代だ。懸命に生きる人が、その努力に見合った形で報われることがほとんどない。

 その状況が、現代と重なる。幕末で起きていたことが、決して他人事とは思えない。だから、その中で述べられる以下の主人公の台詞は、現代で行き場をなくしているすべての「武士」たちに、作者から投げかけられたメッセージなのだろう。

「限りある命が虚しいのではない。限りある命ゆえに輝かしいのだ。武士道はそれに尽きる。生きよ」

[MEMO]------------------------------

*幕府に仕える武士になるための御家人株は、金でやりとりされることがまれではなかった(年寄株みたいなもんか)。御禄の米を幕府に代わって武士に配るのは蔵前の札差だが、たいがいの武士はそこに借金を背負っていて、下手をすると借金のかたに御家人株を手放す羽目になる。

 そのとき支払われる額は、五百両や千両にものぼるらしい。解説にある数字から計算すれば、主人公の家の年収が三百両強ってところだから、結構な額だ。勝海舟も、祖父の代に御家人株を買って武士になった「金上げ侍」だそうだ。

*主人公の造型が最高。ほんと肩入れしたくなる。映画は見てないけど、主人公役の妻夫木くんの顔でまったく違和感なく読めました(笑)

「よしんば刀が贋物にせよ、伝承が嘘にせよ、そうと信じて勧め力めた(つとめつとめた)祖宗の心にまさる真実はございりますまい。その努力精進さえも過ちと断ずる勇気を、拙者は持ちませぬ。」

*浅田次郎は、まったくもって文章がうま過ぎる。他ではやっぱり「蒼穹の昴」でしょうか。全四巻というボリュームも気にならない、大興奮の傑作

蒼穹の昴(1) 蒼穹の昴(1)

著者:浅田 次郎
販売元:講談社
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2007年6月28日 (木)

楽しさの裏面には悲しさが―「裁判官の爆笑お言葉集」

 この本には、二面性がある。CDみたいにA面B面があるとしたら、A面は「楽しい裁判官の素顔」であり、B面は「悲しき犯罪カタログ」だ。

裁判官の爆笑お言葉集 裁判官の爆笑お言葉集

著者:長嶺 超輝
販売元:幻冬舎
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 裁判官も人の子なわけで、厳格に法律論をふりかざすだけでなく、法廷で情を訴えたり、お茶目な表現をしたりもする。それが訴訟の円滑な進行、被告人の更生、家族への救いなどにつながるなら、積極的にそういう人間的な部分を見せるべきだと思う。

 「犬のうんこ」「無期懲役でも仕方がないよね」「変態を通り越して、ど変態だ」など、ちょっと法廷に似つかわしくない言葉が出てくるところは、読んでいて素直に面白い。

 しかし、そんなに気楽にばっかり読んでてもいけないと思うんですよ。

 この本に並んでいる裁判で扱われているのは、銃の乱射、強盗殺人、放火、違法薬物、児童虐待などなど。これは紛れもなく現代日本の悲しき犯罪カタログだ。オウムや池田小事件、毒物カレー事件をはじめとして、マスコミで大きく取り上げられたものも多い。

 そんな報道の熱は、瞬間的に冷めるものだ。この本では、断片的ながらもそうした事件の「その後」に触れることができる。裁判官が被告人にかける率直な言葉を通して、裁判が終わるまで(あるいは終わった後も)事件は真に終わりを迎えるわけではない、ということが改めてわかる。

 また、「盗人にも三分の理」ではないが、被告人に思わず同情したくなる事件もある。とくに、認知症の母へのつらい自宅介護の果てに、心中未遂を犯した事件(P126)には泣かされた。そこでの裁判官の言葉が以下。

本件で裁かれているのは被告人だけではなく、介護保険や生活保護行政の在り方も問われている。こうして事件に発展した以上は、どう対応すべきだったかを、行政の関係者は考えなおす余地がある。

 いま裁判官がいいこと言った!!こうした「やむをえない」事件の背後には確実に、政策、行政、経済、すなわち社会の歪みがある。この「犯罪カタログ」は、いまの社会にそうした決して見過ごすことのできない現実があることも教えてくれるのだ。

[MEMO]------------------------------

*でも基本的にはやっぱり、楽しいA面が強調される本だと思われる。裁判にもこんな人間味があったりするのだなー、と感心したり笑えたりする、いわば「白い舞台裏」だ。でも、刑事裁判には朔立木「死亡推定時刻」に描かれたような冤罪があったりするし、民事裁判には、知ったら絶望するような裏話がごろごろしてる。これはいわば「黒い舞台裏」だ。

 民事裁判の「黒い舞台裏」を見るなら、山口宏・副島隆彦「裁判の秘密」がおすすめ。むかし宝島社文庫で読んだのだが、洋泉社で復刊したみたい。これ読むと、裁判になったら、もうダメだな」というあきらめの気持ちが芽生えます(笑)

Book 裁判の秘密

著者:山口 宏,副島 隆彦
販売元:洋泉社
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2007年6月27日 (水)

あなたも私も友人失格です―「友情を疑う」

 「友人たちよ、友人などいないのだ」とは、アリストテレスが死に際して言った言葉らしい。 

友情を疑う―親しさという牢獄 友情を疑う―親しさという牢獄

著者:清水 真木
販売元:中央公論新社
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 「友情を疑う」とは、「友情」に対して世間が抱いている甘美な思いを逆手にとった、うまいタイトルだ。

 友情について、キケロ、モンテーニュ、モラル・センス学派(シャフツベリ)、ルソー、ミシュレ、カントという哲学者たちが何を言ってきたかを、時代順に紹介する。それを、「友情など存在しない(少なくともいまの日本には)」という著者の主張でサンドイッチした構成。

 友情の哲学史のパートは面白い。時代状況によって、友情とは何かという認識が刻々と変化していった様子がよくわかる。

 紀元前のローマで、キケロは論じる。「友人関係は人との公的なつながりであって、友情は公共のルールに従わねばならない。ところが人はしばしば『友人のために』犯罪を犯す。友情は公共のルールを脅かす危険な存在である」

仲間がいなければ、誰もそのようなことには手を染めたりしない

 それから1600年ほど後に、モンテーニュが反対のことを言う。「友情は説明することのできない宿命的な力で、至上の価値をもつ。友人はもはや自分の『分身』であり、仮に友人が反社会的行動をとるとしても、それを肯定することが当然である」

私が自らに対して行う奉仕について自らに感謝することはできない。同様に、真の友人たちの結びつきは、本当に完全であるから、そのような義務の感情を彼らから奪う…

 さらに200年ほど経って、シャフツベリなどに代表されるモラル・センス学派がすごいことを言う。「友情はわれわれに先天的にそなわるものであり、人はそれに抵抗することは難しい。また、友情は対象を選ぶことができない。そのため、万人が万人の友人とならざるをえない」

実際、私には、一度も友人と呼んだことがなく、一度も友人と呼ばれたこともない者に人間という名を認めることはほとんどできないでしょう。 - シャフツベリ『モラリストたち』

 いやー、極端でしょ(笑)。「友情」は結局、最後にはどうなってしまうのか?テレビ討論で、哲学者たちがあーでもないこーでもないと言い争いしているかのような展開がその後も続きます。

 一方で、この本の著者自身も、負けずに極端だ。この本を読んだら、自らの周囲に本当の意味での友人などいない、比喩的な意味でそう呼べる存在がいるに過ぎないことがわかるだろう、と「はじめに」でいきなり宣言してしまう。

 でもこれがどうも、最後まで読んでも納得しがたい。たとえば著者は、「利害の一致しない競争相手は少ないほどいいはずであるから、学生、スポーツ選手には、同級生やライバルで『友人』と呼んでいい人は、本当の意味ではいないはず」と主張するのだけど…。

 「本当の意味」の範囲が、狭すぎるんじゃないか?

 「本当の意味での友人」とは、哲学者の一致した定義によれば、「理想的な対人関係を成り立たせる相手」らしい(これはまあいい)。そしてそうした関係は、「付き合うこと自体に価値があるような自足的な付き合い」だそうだ。

 理想が高すぎるんじゃないか?

 じっさい、「多少の利害衝突があったとしても、自己の力を高める過程でお互いを認め合う」というようなケースも、理想的な関係だと言っていいんじゃないのかなあ。こういうライバルに、親しみと尊敬という引力と斥力をバランスよく感じる(カント的な友情)ことだって、現実にはあるだろう。少しでも利害の不一致があったら、即「友人失格」ってのは現実離れし過ぎだ。

 哲学って、いつもそんな現実離れした説教ばかり並んでるので、門外漢からつまらないって思われるんじゃないでしょうか。なんか私も感想書いててだんだん楽しくなくなってきたよ(笑)。歴史上の哲学者は、その時代に応じた「友人像」「友情観」を描き出してきたのだから、著者もこの時代に生きる者として、既成の概念を超え、現代の新しい「友人像」「友情観」をポジティブに提案してほしかった。

 哲学は、ただ生きるには不要だけど、より良く生きるためには有用だと思う。素直に感心するのもいいし、何言ってんのこの人と思うのもいい。この本は私には両者のブレンドみたいな感じだった。

[MEMO]------------------------------

*最終章の著者の主張も、なんか駆け足でわかりづらい。「友情」の否定のはずが、いつのまにか「善意」を批判する話に強引にすり替わっている気がする。結局、筆者は世俗的な意味での「友情」「友人」に価値を見出さない人なのかな。以下のように述べた、ラ・ロシュフーコー的な人かもしれない。

人間たちが友情と名づけたものは、社交、たがいの利益の調整、世話の交換にすぎない。結局のところ、それは一つの取引なのであって、そこでは、自己愛がいつも何かを手に入れることを目指しているのである。 - ラ・ロシュフーコー『箴言集』

*授業なんかでは、ルソーは、人間にとって好ましいのは他人と離れ孤立してひとりで生きる「自然状態」であるとした、と習う。無味乾燥な思想だ。ところが、彼が極度に被害妄想をもっていて、自分に親切にしてくれる人にやたらと疑心を向けていたことをこの本で知って、なんか俄然実感が湧いてきた(笑)。

人間における社会的な傾向は、弱さから生れる。

*フランス革命時の「友愛化」のやり方は、浦沢直樹「20世紀少年」の「ともだち」を連想させる。ジャコバン派は、政権と利害の一致しないものは裏切り者であると見なし、反革命分子を容赦なく粛清した。この粛清を「友愛化」と呼んだのだ。「友愛か死か」というのはジャコバン派の標語である。

*サラ・ウォーターズ「半身」という小説がある。ひとつもグロテスクな描写がないにも関わらず、この話を思い出すたびに心が冷える。未読の方は、ぜひ一度読んでみて下さい、その結末まで。

 モンテーニュが友人ラ・ボエシーを失ったことを表現した言葉を読んで、この小説のことを連想した。

すでにいたるところで二人の片割れであることに慣れてしまっていたから、今では自分が半分になってしまったように思われるのである。

20世紀少年―本格科学冒険漫画 (1) 20世紀少年―本格科学冒険漫画 (1)

著者:浦沢 直樹
販売元:小学館
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半身 半身

著者:サラ ウォーターズ
販売元:東京創元社
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2007年6月26日 (火)

「一周目」の幸福―「もやしもん 5巻」

 農業大学生の生態から、目に見えぬ菌たちの生態までリアルに描いちゃう、今が旬の農大マンガ、5巻。相変わらず絶好調。

もやしもん 5―TALES OF AGRICULTURE (5) (イブニングKC) もやしもん 5―TALES OF AGRICULTURE (5) (イブニングKC)

著者:石川 雅之
販売元:講談社
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 この巻ではとくに、収穫祭からフランス行きにつなげる手際の良さに感服。大学自治の名のもとに行われる奇祭(笑)をつぶさに描いて楽しませるだけかと思いきや、ひそかにフランス行きのための資金稼ぎという伏線も張ってある重層構造だ。

及川「ねー、一人ぐらいフランスに送り込めるかな」

とか、

美里「はー、無駄な収穫祭やったなァ」

川浜「全くだ。迷惑な女王様だよ」

とか、実にシブい。登場人物もシブいし、この見せ方ができる作者もまた。

 ときおり炸裂するウンチクも、この作品の楽しみのひとつ。樹教授や菌たちはもちろん、川浜や及川まで語る語る語る。及川のコンビニでのウンチクなんか、作劇上は不自然にも感じられるのだけど(笑)。きっと、作者自身が「樹教授な人」なんだろう。自分の持っている知識を、語りたくてしょうがないっていうタイプの。

 周りにも同じ感じの人がいるので、その気持ちよくわかります(笑)。こちらも楽しく勉強させてもらってるのでまったくオーケー。

 あとこのマンガは、「二周目以降」が大事だと思う。農大の奇習をひとわたり見たら、主人公だけでなく読者も「新入生」ではなくなり、目新しさが薄れる。そこからどう次の展開に持っていくのかがちょっと難しい。でもきっとこの作者は大丈夫だとは思うので、「二周目以降」もお手並み拝見といった気持ちで楽しみにしているのだけど。

[MEMO]------------------------------

*蛍のゴス女装についてはちょっと感じてることもあるのだが、その辺りはいずれ今後の感想で。ひでー、だしおしみだー(P184)(…って、出し惜しむほどのことじゃないんだけど(笑))

*極私的ヒット。

「ママー見てー、浦安方面で見るアレのようだよ」

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2007年6月25日 (月)

誰もが突然「犯罪者」になる―「死亡推定時刻」

 「誤認逮捕は時の運」 - とは、むかしのギャグマンガ(安永航一郎「県立地球防衛軍」だったと思う)に書いてあった言葉なのだが、恐ろしいほどの名言だと思う。いやほんとに。

死亡推定時刻 死亡推定時刻

著者:朔立木
販売元:光文社
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 読者は、まったくの無実の罪でひとりの青年が捕えられ、厳しい取調べを受けて裁判にかけられていく様をまざまざと見せられる。青年は、素行に問題があるものの、ただ小心で頭が回らないだけだ。これは無罪とされなきゃいかんでしょう。読者はみな、そんな気持ちでページをめくり続けるはずだ。

 しかし、現在の司法制度とそこに関わる人々は、彼を死刑台に向かってどんどん押し上げてゆく。自己保身のためだけに事実をねじ曲げる警察官僚。先入観で暴走する取調官。矛盾する結果も平気で出してくる鑑定医。依頼者が払える報酬額しか頭にない弁護士。事件の詳細をろくに確認しようともしない検事。そして、裁判を手早くたたむことばかり考えている裁判官。

 この世に「正義」はないのか!…と怒り出したくなることうけ合い。寝る前なんかに読み出したら、先が気になるのと憤懣やる方ないので、読み終えるまで絶対寝られない。あくまで小説、フィクションなのだが、解説の栗本薫は、この本の事件っていつ頃起こったんだっけと、ついつい思い出そうとしてしまうと書いている。私もほんとそうでした。そのくらい圧倒的なリアリティがある。

 

 何が正しいか、正しくないのかは非常に曖昧になって、相対主義の極地みたいな時代だが、犯してもいない罪で死刑になることを止めるのは、最低限果たされるべき「正義」じゃないか?警察も検察も裁判所も、そりゃ忙しくてたいへんのは重々承知だが、せめて、せめて、それくらいの仕事は…。

 青年を救うために奔走する「正義の弁護士」の努力がどんな実を結ぶのかは、自分で確かめてみてほしい。冤罪は、他人事ではない。「誤認逮捕は時の運」 - この言葉を、もう笑えない。

[MEMO]------------------------------

*2007年2月、鹿児島の選挙違反をめぐる裁判(志布志事件)で無罪判決が出たのは記憶に新しい。昨今、無罪判決が増えてきているような印象をなんとなく受ける。この本を読むと、「ああ、今までもたくさん冤罪事件はあったのだろうな」と思わされる。

 でも、作者あとがきにもあるように、もし一般人としてこの事件の報道に触れたら、きっとこの青年を犯人だと思ってしまうだろう。そのことがまた背筋を寒くさせる。

*アマゾンの書影を見たら、この本、ドラマ化されてたのね。知らなかった。

死亡推定時刻 死亡推定時刻

著者:朔立木
販売元:光文社
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2007年6月24日 (日)

未来人が目立つのはたいへん?―「JIN―仁 6巻」

 幕末にタイムスリップした外科医が、歴史上の偉人たちと出会いながら、現代医学の知識と技術を生かして活躍する医学ロマンの6巻。いま購入を最も楽しみにしてるマンガのひとつ。

JIN―仁 (第6巻) JIN―仁 (第6巻)

著者:村上 もとか,酒井 シヅ,富田 泰彦,大庭 邦彦
販売元:集英社
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 この巻では、ラストで主人公・南方が不当な罪に問われ牢に入れられる。次巻の展開が気になり過ぎるので、早いとこ出してくださいませ。

 この作品でいつも思うのは、「自分が100年以上も前の時代に飛ばされたら、どうなるか」ってことだ。南方のように主に理系の知識・技術があれば、身ひとつでタイムスリップしても活躍できるかもしれない。しかし、文系に偏ってる人間はキツいよね。思いつくのは、歴史的な知識でもって天災や事件でも予言してみせることくらい。ちょうど、かわぐちかいじ「ジパング」で太平洋戦争史に異様に詳しい乗組員がいて役に立ってる、あんな感じ。

 けど、あれだって、周りがみな現代人だから信じてもらえるわけで。しかも、100年以上も前になると、そもそも自分の知ってる「歴史」ってのが、果たして本当に正しいものなのか(それとも後世の推測なのか)、自分でも定かではなくなるからなあ。タイムスリップ先の人が信じてくれるくらいの説得力で語るのは無理なんじゃないか。

 そう考えると、いまこの世の中にも、「目立てない未来人」が人知れず埋もれてる、ってこともあるかもしれない(笑)。

[MEMO]------------------------------

*競馬のG1で、2003年6月にダービー → 安田記念 → 宝塚記念と単勝コロガシ(最初に50万円賭けて2.6倍の130万円 → それをすべて賭けて9.4倍の1222万円 → それをすべて賭けて16.3倍の約2億円)で儲けた人がいたと話題になった(経過の真偽は不明。2億円ゲットした人がいたのは事実)。この手の知識は、タイムスリップしたとき役に立つよね(笑)

JIN―仁 (第6巻) JIN―仁 (第6巻)

著者:村上 もとか,酒井 シヅ,富田 泰彦,大庭 邦彦
販売元:集英社
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ジパング 29 (29) ジパング 29 (29)

著者:かわぐち かいじ
販売元:講談社
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2007年6月23日 (土)

ドラえもんの「心」は作れるか?―「脳とコンピュータはどう違うか」

 脳科学は未解明な部分がたくさんあり、コンピュータは日々進化し続けている。したがって、脳とコンピュータの「現在の姿」を比較したのが本書ということになる。

脳とコンピュータはどう違うか―究極のコンピュータは意識をもつか 脳とコンピュータはどう違うか―究極のコンピュータは意識をもつか

著者:茂木 健一郎,田谷 文彦
販売元:講談社
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 脳と現在のコンピュータの構造上の違いは、大きく以下の3点にまとめられるだろう。

  1. 素子数:脳の神経回路の構成単位であるニューロンの数は1000億。コンピュータの集積回路の構成単位であるトランジスタは1億程度。
  2. 複雑さ:脳の神経回路は、ひとつのニューロンが数千のシナプス結合をもちあう複雑な三次元構造。コンピュータの集積回路は基本的に二次元構造。
  3. 可変性:脳の神経回路は、成長や学習に伴って可変的。コンピュータの集積回路は基本的に固定的。

 ただ、いくら中身の構造に違いがあるとしても、コンピュータが「機能的に」脳と同じふるまいをするようになれば、そこには人間と同様の「心」が生まれたと認めざるを得ないと私は思う。ドラえもんといっしょに過ごしたら、こいつにゃ心がある、と思わないわけにはいかなくなるだろう。

 ただ、人間と「同じふるまい」ができているかどうかの客観的判断には、ついたて越しに会話して破たんがなければいいというチューリング・テストよりも、もっとはるかに高度なテストが必要だと思う。

 では、そのテストに盛り込むべき要素は何か?

 この問題を考えるのに、本書はとても役に立った。類書に柴田正良「ロボットの心」という素晴らしい本があるので、それと比較して本書はやや軽さが目立つが、脳とコンピュータ研究の最新の成果をひと通り集めて、なおわかりやすく提示してあるのはさすがだ。

 志向的クオリア、一発学習、直感、創造的思考、感情…。ドラえもんがクリアすべきテスト項目は多い。道のりはまだまだ遠いようだ。

[MEMO]------------------------------

*「ムーアの法則」(=「集積回路上のトランジスタの数は、18カ月ごとに2倍になってきており、今後もそのペースで増え続ける」)は、1965年に発表されたものだが、幾度もの技術的な壁を乗り越えて今日まで成り立っている。

 これにしたがえば、1000億というニューロンを抱える脳と同程度の素子数をコンピュータが備えるのは、2020年か30年頃になるという。素子数の点でいえば、いつかは脳とコンピュータが同等になる(そして、脳がコンピュータに超えられる!)日が来るのだろう。

*色の恒常性は、脳の第四次視覚野に至る神経回路網で、視対象の波長構成と周囲の光の波長構成を比較することで成立する(と考えられている)。こうした色の恒常性をコンピュータ上でもシミュレートする試みは盛んにおこなわれている。

*チューリングがホモセクシャルだというのは初めて知った。チューリング・テストの原型が、彼のそうした性質と関連していたとは。

脳とコンピュータはどう違うか―究極のコンピュータは意識をもつか 脳とコンピュータはどう違うか―究極のコンピュータは意識をもつか

著者:茂木 健一郎,田谷 文彦
販売元:講談社
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ロボットの心―7つの哲学物語 ロボットの心―7つの哲学物語

著者:柴田 正良
販売元:講談社
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2007年6月22日 (金)

才能がもたらす鬼気と苦悩―「児玉清、大崎善生対談」

 作家の大崎善生と、読書家で知られる俳優の児玉清の短い対談。PHP研究所が出している機関誌みたいなブックレット「PHP」に載っていたものなので、アマゾンリンクはなし。一応、定価190円って書いてあるけど売ってなかった(保険外交員の方からいただきました)。

 大崎善生は「聖の青春」や「将棋の子」など、将棋界を題材にした作品で世に出た印象が強い。「聖の青春」はそのテーマ自体があまりに有名なせいでかえって未読なのだが、「将棋の子」は読んだ。将棋にすべてを捧げた若者の鬼気と苦悩が鮮やかで、実によかった。

 

 この対談というかインタビューは、そんな大崎が小説家になるまでを簡単にまとめたもの。ああ、この人も棋士と「同じタイプ」なんだなと思った。

大崎 …小説家になるためのカリキュラムを子どもなりに組み、本を読みはじめたわけです。中学一年から三年間は読む体力をつけるために長編の世界全集に取り組む、高校一年から三年間は哲学書を読んで理論武装をしていく、大学へ進学したら最先端のアメリカ文学を読み、大学を卒業して一、二年後に作家デビューしようとスケジュールを決めたのです。

児玉 そのカリキュラムどおりになさった?

大崎 やりました。

 

 それでも結局、大崎は何も書けなくて、一度は作家への道をドロップアウトするのだ。この軌跡が、才能にあふれ棋士を目指して奨励会に入ったものの、プロになれずに消えていく若者と重なる。だから彼は「将棋の子」が書けたんだろう(あるいは、「聖の青春」もそうなのかもしれない)。

 ちなみに、児玉さんの発言部分は、あの口調に変換して楽しむのがいい(笑)。

[MEMO]------------------------------

*彼の処女作?「パイロットフィッシュ」は、「聖の青春」を書いているときに、「自分は小説家を目指してきたのだから、百枚以上の小説を書いてからでないと、村山君の人生を書く資格がない」と考え、必死に書き上げたものだという。これは読んでみたくなったよ。

*「発信できる人間になりなさい」という偉い先生のスピーチを聞いたことがあるのだが、私はぜんぜんそうはなれてない。でも、大崎の以下の言葉に、「まあまだ先があるか」とも思えた。

でも、アウトプットできるようになったのはここ五年ぐらい。三十年間はずっとインプットしてきました(笑)

将棋の子 将棋の子

著者:大崎 善生
販売元:講談社
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2007年6月21日 (木)

すべてはメジャーに―「Number 681号 “PRIDE後”の世界」

 ウラを知りすぎると、オモテを純粋に楽しめなくなる。スポーツやショーについて事前に耳に入れてもいい裏話の範囲って、私の場合、かなり限られてる。

Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2007年 7/5号 [雑誌] Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2007年 7/5号 [雑誌]

販売元:文藝春秋
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 2006年にフジテレビが突然PRIDEの中継を中止すると発表した。以後、私のようなライトな格闘技ファンは、PRIDEはほとんど視界から消え、K-1まで含めたあらゆる格闘技興行が勢いを失ってしまった印象を受けていたのではないかと思う。少なくとも、総合格闘技に関しては一般人気の盛り下がりは顕著だ。

 その辺どうなんだろうと思い、現状を知るために、プロデューサー側に取材した記事が載っているNumber最新号を買った。興行の舞台裏って、たいていその筋のハナシになるので普段はあまりのぞきたくないのだけど、Numberならいろんな意味で大丈夫かなと思って(笑)。

 結論としては、確かにフジテレビの放映中止がPRIDEに与えた影響は絶大だったが、それ以上に、「格闘技のメジャー」としてアメリカのUFCがモンスター化し、今や世界中の格闘家を呑み込んでしまっているんだな、とわかった。名だたる格闘家がどんどんアメリカに集結している。ミルコは2006年末からUFCに行ったし、ノゲイラもUFCと契約してしまったのね。

 おまけに、UFCがK-1 HERO'Sの選手を引き抜こうとしたら対抗手段はあるか、の問いに答えて、K-1プロデューサー谷川貞治もこの言葉。

結論からいうと、いまはないですね。ファイトマネーという意味では。とどめる方法はないです。

 おお、これでは今後外国人選手をつなぎとめるのは難しいよなあ、K-1。まさに、日本のプロ野球選手がメジャーリーグを目指すのと同じ構図がそこにある。金があり、人気があるから、トップレベルの選手が集まり、また金と人気が集まる。

 どこかがこの循環に入ったら、同業他社は非常に厳しい。すぐには太刀打ちできない。それが今、日本のライト格闘技ファンの目の前に横たわる現実ってことね…。

[MEMO]------------------------------

*そんな「格闘技のメジャー」UFCがPRIDEを買収したのは、興行の維持とコンテンツの充実という点で良いことなのでは?日本発のイベントであることへの“PRIDE”は抜きにして。UFCがアメリカで成功した一因に挙げられている、格闘家の練習・日常をつぶさに追いかけるリアルタイムドキュメント番組は、日本でもスカパーあたりで企画されたらいいのに、と思う。すぽると!の一コーナーくらいじゃムーブメントは起きないよ…。

*ミルコはひとつ負けたけど、ノゲイラやヒョードルが新しいリングでどれだけやれるのかは楽しみ。問題は、それが簡単に見られなくなることだが…。

*世界格闘地図・年表と、格闘家番付(労作)は助かる。番付は、呼出のメンツが笑える。村上ショージって、なんで入ってるの?(笑)

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2007年6月20日 (水)

四原色の世界に思いをはせる―「眼が語る生物の進化」

 「目」とひとくちに言っても、種によってほんとうに形態は様々だ。さまざまな動物の眼の仕組みをながめていると、「どんな風に見えるのコレ?」ってものがいっぱいある。

眼が語る生物の進化 「眼が語る生物の進化」 宮田隆

 この本は、そうした眼の多様性を手がかりに、生物の進化のメカニズムを、遺伝子レベルでかなり平易に教えてくれる。10年以上前の刊行なので、おそらくこの分野の研究ははるか先に行っているのだと思うが、門外漢にはこれくらいがちょうどいい。なんとか理解できるし、何より面白い。たとえば以下。

 重要なファイルを改変するときは、オリジナルは元のまま残しておき、コピーを取ってそちらに手を加える。これはわれわれの日常でふつうに行われることだが、遺伝子も同じことをするらしい。

 「遺伝子重複」といって、コピーを作った上で一方の遺伝子にだけ突然変異を起こして修正を加え、何が起こるか試しているという。もしそれが「使えない」変化だったら、その個体が子孫を残せずに死ぬか、子孫の中で「偽遺伝子」となってデッドストック化したりする。万にひとつ、たまたま「使える」変化が起きて、それが何世代もかけて他の個体にまで広まったとき、「変異が集団に固定した」と表現する。

高等生物の染色体は驚くほど無駄が多い。約95%ほどは役に立たない「がらくた」のようだ。死んだ遺伝子さえものぞかずにかかえ込んでおくだけのゆとりがある。コピーの一つや二つは何の負担にもなるまい。ゆとりが多様性の母というわけだ。

 もうひとつ。

 染色体上に特殊な変異が起こることで、「多型」という現象にいたる場合がある。これは、染色体上の同じ位置にある遺伝子が個体ごとに一部だけ違っていて、その結果、集団内でいくつかのタイプが出現することを指す。有名なのは、同じ「人」でも、血液型を決める遺伝子にA、B、Oの3種類が存在することだ。

 実は人の視覚を生むレセプター(受容体。視覚の場合は色素)にも、多型が見られることがわかった。赤色に対する感度が異なる2種類のレセプターが存在するのだ。これまで人の赤色レセプターは1種類と考えられてきたが、実際には、より「真赤」に近い赤に感度をもつレセプターと、「橙」に近い赤に感度をもつレセプターの、2種類が存在するのだ。白人男性50人に対する調査では、前者をもつ人が62%、後者が38%だったという。

 では女性は?

 実は、この赤色レセプターを生む遺伝子は、ヒトやサルの性別を決める性染色体のうちのX染色体に乗っている。性染色体の構成はオスでXY、メスでXXだ。したがって、女性の場合、ひとつのX染色体は「真赤」、もうひとつは「橙」ということが起こりうる。するとどういう結果になるか。

 ここからはマーモセットという新世界サルでしか確認されていないことだが、なんとこの場合、一個体の中で、どちらのレセプターも共存するという。正確には、ある視細胞では「真赤」レセプターがはたらき、別の視細胞では「橙」レセプターがはたらく、という「棲み分け」が生じる。

 人でも同様だとすれば、こういう女性は、緑レセプター、青レセプターと合わせて、4種類のレセプターを持つことになる。「四原色」の世界だ。X染色体がひとつしかない男性は、これから進化でもしない限り(笑)、どうあがいても「三原色」の世界。こんな例を知ると、男女は、カラダだけでなくココロに関しても、根本的にかなり違うのかもなあ、と思わされる。

[MEMO]------------------------------

*生殖細胞である精子と卵では、前者の分裂回数が圧倒的に多いので、突然変異が起こる確率も高くなる。したがって、オスから子どもに受け継がれる染色体に突然変異が乗っていることが多い。このことから、進化はオスで決まってくる、との推測ができる。

*鎌状赤血球症という遺伝病は、ヘモグロビン遺伝子が突然変異を受けて、1ヶ所だけ通常と異なるアミノ酸に置き換わっている。これをホモでもつと短命になるが、ヘテロだと軽い貧血で済む。この異常は低い確率でしか観察されないが、西アフリカの地中海沿岸ではかなり高確率で存在する。

 それは、この地で多発するマラリアと関係がある。異常ヘモグロビンをヘテロにもった人は、マラリアに抵抗性が高く、生存に有利なのだ。

*アマゾンで見たところ、本書はもう絶版で、古本は定価の3倍近い。色覚における4種のレセプターの存在は、山口真美「視覚世界の謎に迫る」(P24)にも。

視覚世界の謎に迫る―脳と視覚の実験心理学 視覚世界の謎に迫る―脳と視覚の実験心理学

著者:山口 真美
販売元:講談社
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2007年6月19日 (火)

意欲はある。行動はない。そんなときもある―「行動分析学入門」

 門外漢がこの本を読んで、何を得られるか?

 ひとつは、これ以上ないわかりやすさで伝えられる、行動分析学の基礎。もうひとつは、行動分析家ってのは偏屈だなあ、という素朴な実感だ(笑)。

行動分析学入門―ヒトの行動の思いがけない理由 行動分析学入門―ヒトの行動の思いがけない理由

著者:杉山 尚子
販売元:集英社
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 行動分析学は、行動の法則を明らかにし、行動を制御する、分析と実践の学だ。観察不能である「心」は研究対象とせず、観察可能な「行動」の仕組みを徹底的に解明する。

 なぜ健康を気にしていてもタバコを吸うのか、なぜ部下は仕事をしないで返事だけはいいのか、なぜ他人に口ゲンカになるようなことを言ってしまうのか…。その仕組みを行動随伴性に基づく強化と弱化で説明する理論は確かにとても魅力的で、現実場面での禁煙、部下の管理、対人コミュニケーションにも利用できそうだ。

 ただ、これはこの著者に限ったことではないけれど、どうもこの手の本は『行動分析至上主義』な態度があからさまなところがちょっと親しみにくい。

 本書にも挙げられている例だが、誰かが熱心に英会話スクールに通っているとしよう。一般人はその行動を「あの人は学習意欲が高いから英会話スクールに通うのだ」と説明しがちだ。しかしこれは行動分析家によると、以下のようにバッサリ斬り捨てられる。

「意志」や「やる気」や「性格」は行動に対してはられたラベルであり、実体はそれが指し示す行動と同じであるから、これらが行動を説明する原因ではないのである。(P31)

(「節約の原理 parsimony」とは)ある事象を説明する際に、使われる概念が少なければ少ないほど、良い説明であるとするものである。…数ある心理学の中で、行動分析学ほど「節約の原理」に徹しているものはない。…これ(「学習意欲という概念」)をもち込むと、まず学習意欲とは何かを定義する必要がある。(P144)

 「学習意欲」は、そうした行動から生まれた「ラベリング」に過ぎないのに、逆にそれを原因のように考えるのはおかしい、しかもその概念の説明をさらにしなきゃいけなくて二度手間だ、というわけだ。

 その点、行動分析学だったら、「あの人が英会話スクールに通う行動は強化されている」として、強化の原因は何かを分析すればよい。たとえば、お気に入りの先生に会えるとか。英会話スクールに行くことと、お気に入りの先生に会えることが随伴するので、行動が強化される(好子出現の強化)のだ。

 でも、好子・嫌子ってすぐには得られないことも多いよね、と思うのだ。英会話スクールに通うような、何かのスキルを身につけるための行動って、やるたびに成果が出るってことは少ない(お気に入りができることだってそんなにない)。それでもスクール通いを続ける人には、もう「学習意欲が高い」「意志が強い」、あるいは「マゾ」(笑)というふうに、内面性から説明するのがいちばんしっくりくるんじゃないか。しかもその人が、学校の勉強もきっちりやる、他の資格も取ろうとしてるといった部分も併せもっていれば、いちいち何が強化の原因かを述べるより、「学習意欲が高い」とひと言で表現した方がよっぽど節約的ともいえる。

 あと、行動の結果がその人にとって好子や嫌子となる理由を説明できないときがあるのも、行動分析の難だ。怒られているときに「はい、わかりました」ととにかく謝っちゃうのは、それによって「怒られない」という状態にできるから(嫌子消失の強化)だという。でも、「怒られない」という状態にしたいのはなぜ?「ほめられる」という状態にできるから仕事をきっちりやるんだとして、「ほめられたい」のはどうして?

 「怒られると嫌だから」「ほめられるとうれしいから」は、行動分析にとって禁じ手。じゃあどうやって説明するのだろう…。

[MEMO]------------------------------

*新たな行動を身につける際の「シェイピング」においては、即時強化、目標を少しずつ引き上げる、挫折時に少し戻って出直す、ということが重要。とくに即時強化には、日常的に「60秒ルール」がある。棒高跳びの選手に対するシェイピング研究はたいへん印象的。

*複数の行動からなる一連の行動を獲得するには、行動の鎖をたどるように学習してゆく「チェイニング」を利用する。その際、最終段階から逆向きに体験して身につける「逆行チェイニング」がおすすめ。

*スキナーの目指した「罰なき社会」「嫌子を使ったコントロールを否定し、好子によって制御される社会システム」は理想的。

行動分析学入門―ヒトの行動の思いがけない理由 行動分析学入門―ヒトの行動の思いがけない理由

著者:杉山 尚子
販売元:集英社
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2007年6月18日 (月)

気になるのはふたりの関係(←それだけ?)―「のだめカンタービレ 18巻」

 夏らしいさわやかな表紙。出たのは6月だけど。しかしこの巻の見所は、さわやかと真逆で、千秋とのだめが「あと一歩」のところまで行った!ということだ(笑)。もしくは、そんな描写があった、ということ。

 

のだめカンタービレ #18 (18) のだめカンタービレ #18 (18)

著者:二ノ宮 知子
販売元:講談社
発売日:2007/06/13
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 今まで、登場人物の年齢のわりにそうした描写は避けられてきてたので、とても新鮮だった。このトシでそういうことがなさすぎると不自然なので、このあたりで描いてきたのは納得のタイミング。そしてその処理の仕方がまたウマイ。

 見つめあうふたり。のだめの瞳が濡れ、千秋のほほが染まり…。という流れでページをめくるとショパンの演奏シーン。思わず脱力する(笑)。この盛り上げとスカしの演出はほんと天才的。

のだめカンタービレ #18 (18) のだめカンタービレ #18 (18)

著者:二ノ宮 知子
販売元:講談社
発売日:2007/06/13
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2007年6月16日 (土)

パズルに堕ちない群像劇―「ラッシュライフ」

 お互い何の関係もない(ように見える)複数の登場人物が別個に行動しつつも、知らず知らずのうちに他の誰かに影響を与え、大きな物語が転がっていくという群像劇。

 伊坂幸太郎は、「オーデュボンの祈り」で「ミステリ色の強い村上春樹」という印象を受けたが、「重力ピエロ」と「陽気なギャングが地球を回す」を経て本作まで来ると、「文学色の強い赤川次郎」という気がしてきた(笑)。

ラッシュライフ ラッシュライフ

著者:伊坂 幸太郎
販売元:新潮社
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 この手の群像劇は、登場人物が大きなパズルの単なる1ピースとして造られたというイメージをできるだけ与えないことが鍵だろう。人物設定や心理描写にご都合主義が感じられると、もう興醒めだ。(同系統の恩田陸「ドミノ」のとき、私はややそんな気分がしてしまった。)

 また、話は少々ずれるが、むかしセガサターンに「街」というゲームがあった。私はこのゲームが大好きで、何人もの登場人物の視点を頻繁にに移動し、各人物にどっぷり感情移入しながら大きな物語を進めるという、ものすごく高度なインタラクティブ群像劇を堪能した。幸か不幸か、今はそれで耐性ができてしまい、他の媒体でちょっとやそっとの小細工に触れても、なかなか快感が得られない。でも群像劇も伊坂も好きなので読んでしまう。

 で、本作はどうだったのかというと、人物設定にむちゃくちゃ深みがあるわけではないけれど、そこかしこに小細工をちりばめ、とびきりの大仕掛けも配して、決してただの群像劇では済ませていないのはさすがだった。大仕掛けは実は序盤から小出しにして見せていた、というのも気が利いている。「ああ、カカシがしゃべるみたいな『アンリアル前提』か」と思わせてそのウラをとるのも面白い。最後まで「読ませる」力は圧倒的だ。

 でもなんだか、うますぎる。不当なほどに(笑)。感心はさせられるが、技巧面が勝ちすぎていて、後にあまり残らない。「ああ美味しかったね」と言いつつ食後にちょっとお茶飲んだら味がみんな洗い流された、みたいな。もちろん、読んでいる間のワクワク感は抜群なので、まあ単なる贅沢な客の繰り言なんだけど。…やっぱり、「街」後遺症だろうか。

[MEMO]------------------------------

*以下ネタバレ。一応やっておきたかった時間軸の整理。

「黒澤がマンションを出るとき、河原崎が塚本の死体を背負って出てくる」=河原崎>黒澤

「黒澤が舟木宅で1度目の仕事をした夜に佐々岡と会い、翌朝妻・京子に電話させる」=黒澤>京子

「黒沢が舟木宅で2度目の仕事をしたところ、豊田とはち合わせる」=黒澤>豊田

「錯乱した京子がハサミを買って駅前に行き、豊田が犬を救う」=京子>豊田

 

 河原崎(殺人)>黒澤(1度目の仕事)>京子(死体ドライブ)>豊田(犬と拳銃)の順に、一日ずつ経過しているということになる。

 エッシャーのだまし絵のように、豊田から河原崎へまたつながっていくアンリアルな仕掛けもあるのかと思ったが、それはなさそうだ。「高橋さん」がそういう時間を超越した存在なのかとかいろいろ勘ぐってしまった。

世の中にはルートばかりが溢れている…人生という道には、標識と地図ばかりがあるのだ、と。道をはずれるための道まである。…浮浪者になるためのルートだって用意されている。

ラッシュライフ ラッシュライフ

著者:伊坂 幸太郎
販売元:新潮社
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SEGA THE BEST 街 ~運命の交差点~ 特別篇 SEGA THE BEST 街 ~運命の交差点~ 特別篇

販売元:セガ
発売日:2007/08/30
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2007年6月15日 (金)

幸も不幸も、見方しだい―「ラッキーマン」

 ノンフィクションにとって、センセーションと面白さは比例すると思う。

 本書は、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」等で知られるハリウッド・スターが30歳にして若年性パーキンソン病に侵され、自らの半生を振り返るという、実に「センセーショナル」な自叙伝かつ闘病記。読み終えるまで、二度泣いた。

 

ラッキーマン ラッキーマン

著者:マイケル・J・フォックス
販売元:ソフトバンククリエイティブ
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 読み手は、いろいろな受け取り方ができる。田舎から出た若者が才覚だけでチャンスを生かして成功するビルドゥングスロマンにも読めるし、華やかなハリウッドの舞台裏についての業界話や、パーキンソン病の症状や治療に関する記録とも取れる。これらは日本の市井で暮らす健康な一般人からすれば、どれも非日常的でセンセーショナルな要素だ。

 ただ、こうしたセンセーションを単体で提供してくれる本は他にいくらでもある。本書が人の心をとらえるのは、それらすべての体験を経たマイケル・J・フォックスが、それでも一般人の感覚を失わなかったということに尽きる。だから彼がさまざまな状況で残す言葉が、まるで自分に向けられているかのように、心を打つのだ。その意味で、本書の面白さは決して有名人が奇病にかかったというセンセーションだけによるのではない。

 左手のパーキンソン病を食い止めるために行った視床破壊手術が成功した後、ひとりで海辺に座るマイケル・J・フォックス。左手の震えは確かに止まったが、右手のかすかな震えが現れ、病気の進行をもはや止められないことを悟る。そこで彼がつぶやく祈りの言葉は、万人にとって人生の至言ではないか。

神様、自分では変えられないことを受け入れる平静さと、自分に変えられることは変える勇気と、そしてそのちがいがわかるだけの知恵をお与えください

[MEMO]------------------------------

*小指が震えるという自覚症状が出た時点で、病気のプロセスの80%は完了していたという。他の徴候には、まばたきの減少、顔の表情の欠乏(仮面様顔貌の初期?)、身体のこわばり、長時間の同じ姿勢の継続などがあるらしい。また、何年もの間、症状が半身にしか出ないこともよくあるようだ。

 最もよく用いられるというサイメネット等の薬は、脳内に取り込まれてドーパミンになり、症状を緩和する。初めてサイメネットの錠剤を服用したとき、彼が複雑な気持ちになったというのは実に示唆的だ。

悪いニュースははっきりしていた。これでまた、ぼくがパーキンソン病だということが確認されたわけだ。そして、いいニュースは、いまやぼくはそれを隠すことができる、ということだった。

ラッキーマン ラッキーマン

著者:マイケル・J・フォックス
販売元:ソフトバンククリエイティブ
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2007年6月14日 (木)

納得いく答えは、誰の中にもない―「これから社会に出るきみへ」

 大学って何のためにあるの?という疑問は、大学をよく知らない人も、あるいは大学に現在・過去在籍してよく知っている人さえ、心に抱くときがあるだろう。

 大学教育に対する国からの予算が削られ、誰でもそれなりの大学に入れる時代だ。あちこちの大学から危急存亡の火の手が上がっているのは、きっと人々の意識の底にあるこうした疑問に、納得のいく答えが出ないからだ。

これから社会に出るきみへ―有名人が贈る60の勇気 これから社会に出るきみへ―有名人が贈る60の勇気

販売元:草思社
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 この本は、アメリカを代表する、企業家、俳優、作家、ミュージシャンなどの有名人が、卒業式などの場で若者に対しておこなったスピーチをまとめたもの。こういった名言集、金言集はたいていブツ切りの極みで、それが読みやすくもあるが食い足りなくもある。そこから何かを得るためには、自分なりの「編集」が必要だろう。

 私の「編集」方針は、「大学とは」だった。

わたしたちが緊張し葛藤する関係をふるいにかけ、選別するとき、それらは恥ずかしいほど単純化することがあります。教育がきわめて重要な理由の一つは、ここにあります。教育は内なる緊張をつくりだし、わたしたちが多様に異なる価値観をあわせもちながら、異質の情報を理解することを可能にするのです。(P53、ヒラリー・ロダム・クリントン)

みなさんが頑張って学業を続けたことに、祝辞を述べたいね。ぼくにはそれができなかった。いまは、もっと勉強しておけばよかった、と思っている。そうしておけば、ぼく自身の音楽に役立ったことだろう。(P26、ビリー・ジョエル)

みなさんは、この大学から何をもっていきますか?物語、公式、もしかしたら握手、特別な出会い、友情。卒業証書を除くと、何が残るでしょう?たくさんのことが残るにちがいありません。なぜなら、二人の人間が出会うとき、神秘的な力が生まれます。(P138、エリ・ヴィーゼル)

 これらはまあ結局、「大学とは」という問いへの回答のごく一部にしかならないかもしれない。大学じゃなくてもできることもたくさん混じってるし。

 その一方で、社会や仕事や人生についての見解も、人によって実に様々であることが本書でもはっきりしていた。だから、「社会って何のためにあるの?」「仕事って何のためにあるの?」、そう聞かれてみんなが納得する答えなんて、やっぱり出しようがないはずだ。

 大学ってのも、そういうものだろう。

 

[MEMO]------------------------------

*この本、「仕事」でも「愛」でも「成功」でも、人によっていかようにも「編集」できる。

仕事に関して分別をもつ。「オフィスでもっと時間を過ごせばよかった」とつぶやいて死んでいった者は一人もいません。(P125、アン・リチャーズ)

わたしがいちばん重要な決断をした ―ジョージ・ブッシュと結婚することに決めた ― 理由の一つは、彼がわたしを笑わせたからです。本当ですよ。わたしたちはときどき涙が出るほど笑いました。でも、ともに笑えるということこそ、わたしたちのいちばん強い絆になっていました。(P146、バーバラ・ブッシュ)

*世界1~3位の金持ちは、みんな大学中退だよ、というラリー・エリソン(オラクルのCEO)のスピーチは強烈で面白い(笑)。スティーブン・キング、ルドルフ・ジュリアーニの言葉もよかった。

これから社会に出るきみへ―有名人が贈る60の勇気 これから社会に出るきみへ―有名人が贈る60の勇気

販売元:草思社
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2007年6月12日 (火)

ゆけ、アライグマくん―「ぼのぼの 29巻」

 革命から定番へ。安定して面白い動物4コママンガの29巻。

ぼのぼの 29 (29) ぼのぼの 29 (29)

著者:いがらし みきお
販売元:竹書房
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 ずっと買ってきた作品だが、正直、前の巻は買ってなかった。「もう、新しいことは起こらないだろう」と思って。ストーリーマンガは「ご飯」みたいなもんで、おかずにバリエーションがあれば食べ続けられるけど、ギャグマンガは「お菓子」で、ずっと同じ味だとどこかで飽きが来る。

 それがこの巻、「アライグマくんは旅に出た…」の帯と、彼が涙をこらえる裏表紙。ここでそんな大ネタか!(笑)もう買わざるを得ない。

 読んでみるとやっぱり面白くて、しみじみ好きな世界だった。ただ、最初の頃のテイストももう一度味わえないかなあと郷愁にひたってしまう。いまは、アライグマくんだけでなく、シマリスくんや、果てはぼのぼのまでが「ツッコミ」を入れるスタイルだけど、むかしは全員ボケっぱなしの投げっぱなしで、それが強烈に面白かったのだ。

 また最初のほうを読み返してみよう。あと、次の巻もやっぱり買おう。

 ゆけ、アライグマくん ― 。

 でも無事で帰ってきてね。

ぼのぼの 29 (29) ぼのぼの 29 (29)

著者:いがらし みきお
販売元:竹書房
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ぼのぼの 1 (1) ぼのぼの 1 (1)

著者:いがらし みきお
販売元:竹書房
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2007年6月10日 (日)

みそは美味しいの?―「銭 5巻」

 声優プロダクション社長逮捕で時ならぬ注目を一瞬集めた、各種業界金銭事情マンガの5巻。

銭 5巻 (5) 銭 5巻 (5)

著者:鈴木 みそ
販売元:エンターブレイン
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 この巻の内容は、骨董の値段、アキバでのメイドカフェの開業、H雑誌の編集。われわれの知らない舞台裏で、ときに法外なお金がやり取りされているのが垣間見られる。月並みな表現だけど、面白くてタメになるマンガ。

 ただ、鈴木みそって、いわゆる「いいひと」ではないよね。もちろん「わるいひと」ではないのだけど、善とか英雄的行動とか無私の愛とか、いわゆる「いいこと」に感情移入できるタイプではなさそう。これの礼賛は今どき少年マンガでも無条件にはやらないけど、ストーリーマンガであればこの「いいこと」スパイスがいくらか入ってないと座りが悪いのは確か。鈴木みそは、「俺はあんまり美味しいと思わないけど客がいいと言うからこのスパイス使ってる」って感じじゃないか。

 骨董編のラスト、兄弟愛でシメるあたりに、どうもそんな作者の無理を感じる。自分が美味しいと思うものだけ出してくれれば十分なんだけどなあ。それはおそらく鈴木みそにとっては、カネを生む世の中のシステムと、それを取り巻く人間の負の感情だろうから、あまりに徹底されたら殺伐として読むのがツラくなるけども(笑)。

銭 5巻 (5) 銭 5巻 (5)

著者:鈴木 みそ
販売元:エンターブレイン
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2007年6月 8日 (金)

虐待は犯罪である―「子どものトラウマ」

 子育ては、とても危うい行為だ。

 この本は、虐待行為を受けた子供への心理・行動面での様々な影響を教えるとともに、「普通の親」が「虐待する親」にならないように気をつけるべきポイントも示している。

子どものトラウマ 子どものトラウマ

著者:西沢 哲
販売元:講談社
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 たとえば、完璧を求めすぎる親の中にあるコントロール欲求が、「普通の親」を「虐待する親」へと変貌させる可能性があること。しかし、感情コントロールが不十分な子どもに対しては、「○○ちゃんは悲しいのねぇ」などと語りかけることで、親が感情を制御する役割を代わって担わねばならないこと。

 子育ては、自分とは別の人格をもつ人間に対しておこなう行為だ。親からの働きかけが、強すぎても弱すぎても、子ども自身の人格を不当に曲げてしまう。本書の事例から、しつけと押し付け、自主性の尊重と野放しという、子育てに内在する矛盾や危ういバランスを実感する。

 そう考えると、通常の親子関係では、親が子どもの欲求を満たし、子供が親によって欲求を満たされる側であるが、虐待が生じる親子関係ではその役割が逆転しているとの西沢の言葉は理想的過ぎる気がする。

 確かに、親に求められる理想は無償の愛の提供であって、それは自分の欲求をある程度放棄してしまうことだろう。しかし、親も人間だ。自分への快があまりにも乏しい関係をどれだけ継続することができるか。通常の親子関係であっても、子どもが何らかの形で親の欲求を満たしていて、だから親はシンドイ思いをしながらも子育てを続けられるという面は、現実には否定できないのじゃないか。


[MEMO]------------------------------

*児童虐待の権威としてヴァン・デア・コークが登場して、「心は実験できるか」でロフタスを批判していたことと関連。

子どものトラウマ 子どものトラウマ

著者:西沢 哲
販売元:講談社
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心は実験できるか―20世紀心理学実験物語 心は実験できるか―20世紀心理学実験物語

著者:ローレン スレイター
販売元:紀伊國屋書店
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