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2007年7月

2007年7月31日 (火)

今月のベスト&リスト(2007年7月)

 2007年7月に読んだ本のベストは以下の通り。

◆ベスト 【フィクション】   「一瞬の風になれ」 佐藤多佳子

一瞬の風になれ 第一部  --イチニツイテ-- 一瞬の風になれ 第一部 --イチニツイテ--

著者:佐藤 多佳子
販売元:講談社
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 万人におすすめできる青春小説。近い将来の映画化も間違いない。

◆ベスト 【フィクション以外】   「救急精神病棟」 野村進

救急精神病棟 救急精神病棟

著者:野村 進
販売元:講談社
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 「社会保険庁スキャンダル」と迷ったけど、情報量の多さと、それだけの情報を収集・分析した筆者の労力を評価してこっち。Mr. Childrenの「Everybody goes」という歌に、「みんな病んでる 必死で生きてる」という歌詞があったのはもう10年以上昔だが、それが洒落でなくなるくらいに、いま日本人全体の精神病リスクが高まっている。そんな状況にあって、この本で描かれている精神病棟の様子は、まさに「一筋の光明」である。

 上記の作品も含めて、2007年7月の感想リストは以下の通り。

犯人は、だれか―「私はなぜ社説を盗用したか」(論座2007.7月号)

鉄は熱いうち?―「男の子の鉄ちゃん脳は0歳から始まる」(AERA 2007年7月9日号)

小説に最適の部活かも―「一瞬の風になれ 第一部」

号泣する伏線はできていた―「一瞬の風になれ 第二部」

太るとタイヘン、やせるのタイヘン―「人はなぜ太るのか」

記憶の湖をのぞく―「パイロットフィッシュ」

勝者の中の勝者―「壊れた脳 生存する知」

メリンコミニスタの奥義炸裂―「ピューと吹く!ジャガー 13巻」

心は生成するもの―「心はどのように遺伝するか」

エネルギー・ゼロへ―「一瞬の風になれ 第三部」

ビビり役、大活躍―「ONE PIECE 46巻」

ある意味、結果より過程が大事―「データの罠」

「時代」を活かした傑作―「玻璃の天」

閉じた環の中で生きる―「土星マンション 1~2巻」

精神病の急患を救え―「救急精神病棟」

僕たちも、戦争に手を貸している―「となり町戦争」

有難う―「バガボンド 26巻」

日本の医療は今夜が峠―「大学病院のウラは墓場」

その化学物質を誰が止めるのか―「中国トンデモ食品大全」「中国食品『毒抜き』調理法」(AERA 2007年7月30日号)

優しさが止まらない―「アジアンタムブルー」

ブーメランが戻ってきた―「ヒストリエ 4巻」

妖術の幕開け―「アラビアの夜の種族 第一部」

積み立てたモラルを返せ―「日本をニヒリズムに陥らせた社会保険庁スキャンダル」(中央公論 2007年8月号)

理想は証言が不要になること?―「証言の心理学」

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理想は証言が不要になること?―「証言の心理学」

 「すべらない話」ができるトークの達人に憧れる。理由はふたつある。ひとつは、何かの出来事を語るとき、自分じゃあんなに「面白く」仕立てられないから。もうひとつは、自分じゃあんなに「わかりやすく」仕立てられないから、である。

証言の心理学―記憶を信じる、記憶を疑う (中公新書) 証言の心理学―記憶を信じる、記憶を疑う (中公新書)

著者:高木 光太郎
販売元:中央公論新社
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 テレビのトークに「わかりやすさ」は絶対不可欠である。「すべらない話」は決して「わからない話」であってはならない。理解してもらえないエピソードで笑いは取れない。

 じゃあどうやって話を「わかりやすく」してるのかというと、それは話し手の「編集」によるのである。「面白さ」を引き出す前提となる「わかりやすさ」を作るために、エピソードの一部を省略したり、時系列を入れ替えたりといった「編集」にタレント・芸人が腐心しているのがテレビを見てるとよくわかる。

 この「編集」の結果、実際に起こったことと話の内容に多少ズレが生じたとしても、笑いが取れればテレビ的にはオッケーである。誰かが「ホンマか~?」というツッコミをしたりするが、本気でその話を疑っているわけではない。あれは「ビックリした~」とほぼ同義のにぎやかしである。

 

 さて本書のテーマは、被告人や目撃者の「証言」である。著者は言う。

証言では語られた記憶が聞き手に素直に受け入れられることはまずない。この点で証言はすでに非日常的な行為である。

 証言に対しては、相手方の陣営などからその信憑性が真剣に問われる。裁判や捜査の行方を大きく左右することもある。そんな状況下で「正確な記憶」を述べねばならない。これは実は相当のプレッシャーである。

 なぜなら、困ったことに、記憶は非常にうつろいやすいからだ。そのことが、本書の冒頭の2章でよく示されている。

 ただ単に、起こったことを忘れるだけなら実害は少ない。だが、記憶は時とともにその内容をゆがめ、事実とかけ離れたものに変容することが多い。ウォーターゲート事件の証人ジョン・ディーンの例を見ると、彼の内部で「常識」と「意味付け」によっていかに記憶が書き換えられたかがわかる。

 さらに、われわれは日常的に、お互いに記憶を補完し合って生活している。著者はこれを「ネットワークする記憶」と呼んでいるが、他者と相互確認を重ねること(共同想起)で自分の記憶は他者の記憶を取り込んで、出所がどんどん不明になっていくものだ。

 こうした記憶の性質が「証言」の場面で顔を出すと、意識的・無意識的な同調や誘導につながる。取調官の発言やマスコミの報道に話を合わせなきゃという心理がはたらいて、証人の記憶が「汚染」されるのだ。証言の信憑性に対する強いプレッシャーにさらされていると、他者からの情報にすがりたくもなるだろう。

 そしてもっともタチが悪いのは、これらの不正確な記憶を、当の本人は正しいものと確信している場合が多いことなのである(正確さと確信度の乖離)

 

 こうして見ると、誰かの記憶を頼りにした「証言」は、「疑い出したらキリがない」ものだとわかる。だから、日常生活やテレビの中では、他人の記憶に基づく話を本気で疑ったりしないという「お約束」がある。

 しかし司法の場では、そんな「お約束」を認めるわけにいかない。不確かな記憶に基づき、誘導の可能性がある「証言」だとしても、それが最重要の証拠となるときもある。ではそれは果たしてどこまで信じられるものなのか?

 本書の後半は、この難問に心理学者たちが取り組み奮闘する様子が書かれている。自分の専門研究を社会の中で役立てようという姿勢に、深い感銘を受ける。

 ただ、これって、「物証」を得るための技術がもっと進歩し、取調べが十分に可視化されれば、あまり問題にならなくなるところなんだよね…。ある人が犯人かどうかの判断は、豊富に「物証」を集めることで精度を上げられるし、証言を取るしかない動機の解明なんかでも、取り調べを監視することで不正を防げる。司法の手続きに「真偽の不確かな証言」が入り込む余地を減らしていくことが、将来的には可能なのだ。

 つまり、司法制度での「証言」をめぐる究極の理想は、「証言の心理学」が無意味となるような制度と技術を作り出すことだ、といえるのではないだろうか。

[MEMO]------------------------------

*最後の一文は、この分野の人たちの頑張りを否定するわけではもちろんないので、悪しからず。あくまで、「理想」は不確実な記憶に頼らずに済むことだと言っているだけで、現実」はまだそれにほど遠いので、心理学者に出来ることはごまんとあると思ってる。

 仲真紀子「認知心理学の新しいかたち」の第一部にも、心理学的アプローチのそうした可能性が示されていた。こちらは、本書でも取り上げられている「クローズド・クエスチョン(閉じた質問)」の問題等を理解するのに役立つ。

朔立木「死亡推定時刻」で描かれた冤罪事件と、本書に登場した実在の事件の間には多くの類似点があった。改めて、司法の限界を思い知らされた感じ。それには日本特有の問題もあるし、人間の根本的な能力の問題もある。

認知心理学の新しいかたち 認知心理学の新しいかたち

著者:仲 真紀子
販売元:誠信書房
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2007年7月30日 (月)

積み立てたモラルを返せ―「日本をニヒリズムに陥らせた社会保険庁スキャンダル」(中央公論 2007年8月号)

 あーもう年金ってどうしようもないな。

 …と、若者は思っていることだろう。払わずに済むならそうしたいというのが正直な気持ちではないだろうか。

 中央公論最新号の巻頭特集は、「老後破綻社会 ―消えた年金、失われる介護」。この特集全体で示されているのは、「自分の老後は自分で面倒みなきゃいけない」という、「晩年の自己責任」のカタチだ。貧しい老後・介護の悲惨さの片鱗は現代でもすでにうかがわれているが、この先はもっと過酷なことになるだろう。

 中でも、東大教授の松原隆一郎による評論「日本をニヒリズムに陥らせた社会保険庁スキャンダル」は、題名にある呆れた事件に象徴される「美しい国」のこれからに、現役世代や若者が抱くどうしようもない絶望感をよく説明してくれていると思う。

 2004年の年金制度改革まで、厚生省は「年金は将来の自分への保険」として説明していた。ところが、後先考えない大盤振る舞いのツケもあって原資が不足し、現役世代の保険料を支払いにあてざるをえなくなってくる。しまいには、「年金は若者が高齢者を支える社会制度」という賦課方式であることを厚生省が認めてしまった。

 こうなると、自分が年金をもらえる頃には若者の数が圧倒的に不足するであろう、いまの現役世代には、「取られ損」という不公平感が渦巻くことになる。

 しかしそれでも、年金制度は決定的には崩壊しなかった。それを支えていたのは何か。私は、国民のモラルに他ならないと思う。

 平均的な日本人は、給料から天引きされる保険料に対し、崩壊寸前とはいえ年金は国の制度だからと不承不承でも納得してきた。これは、社会で定められた義務は果たそうという規範意識のなせる業であったと思う。

 ところがそこに、5000万件という途方もない数にのぼる今回の年金記録漏れ事件だ。この事件によって、ただでさえ倦んでいた年金に対する国民の認識がさらに悪化したことを、本稿では指摘している。

どのような高邁な理念を持つにせよ、そもそもそれを維持・運営する公的組織を私たち日本人は持てないのではないか、と疑われるようになってしまったのである。

 そう、そうなのだ。私の周りにも、「年金未納者」に大きな怒りを示していた善意の人がいた。それが今回の事件によってもうすっかり意気消沈してしまっている。きちんと保険料を払っても、正当な年金をもらえないかもしれない。きちんと払ってなかった人が、うまうまとおこぼれにあずかれるかもしれない。

 これは、年金制度を支えていた最後の砦「モラル」が吹っ飛ぶ瞬間である。

 

 本稿はこうした顛末を、社会制度に対する国民の幻想という観点から実にうまく説明してくれている。まったく同感と感じ入ったので、やや長いが引用する。

どんな社会制度もしっかり機能させるには、社会について国民がなんらかの幻想を共有しなければならない。ある個人が選挙に行ったからといって、実際の選挙結果が一票とどうつながっているのかというと、数学的には無視しうる影響しかない。…それでも投票するというのは、選挙に参加することで「個人と社会がつながっている」という幻想が得られるからだ。

 これは素朴な「共同体幻想」のようなもので、社会をつくる意識的基盤として無視できないものだろう。

…つながりの幻想を国民に植えつけることが職務であるはずの公的機関が、自分の仕事を放棄していたのである。これは個人の人生が社会と関わりないということを世に知らしめ、社会を無意味化させるという意味で、画期的な事件というべきだろう。

 ほんと、事は年金制度だけにとどまらず、善意の人の心を粉々にしたという点で、この事件はヒドく画期的であるなあ、と思うのだ。

 そうやって国民のモラルが吹っ飛んだというのに、それに全然気づかずただボケっと立っていた安倍政権が、爆風にあおられて今回の参院選で大敗を喫したというのも、至極当然のことであったろう。

 まったく、モラルのない「美しい国」が、どこにあるっていうのか。

[MEMO]------------------------------

「中国トンデモ食品」のところでも触れたけど、日本人のモラルハザードは決して年寄りの世迷い言でなくて、いろんなスキャンダルの奥底で確かに起きていることだと思う。それは、時代とともにモラルの内容が「変化」した、といえる範囲を超えていて、共同体幻想を木っ端微塵にしかねないような著しい「劣化」だと思う。

 まあ起きてしまったことはしゃーないので、問題はそうした「劣化」をどう食い止めるか、だけど。

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2007年7月29日 (日)

妖術の幕開け―「アラビアの夜の種族 第一部」

 うわー、これはすごいね。そうくるか!と驚きの連続。第一部を読む間だけで、5、6回はそんな展開があった。

アラビアの夜の種族〈1〉 アラビアの夜の種族〈1〉

著者:古川 日出男
販売元:角川書店
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 この本に対しては展開予想があまりにも無力。気持ちいいくらいに作者に上手を行かれる。この人こそ、「もっとも忌まわしい妖術師」そのものなんじゃないの?(笑)

 逆説的だが、だからこそ心の片隅で展開予想をしておくのがいちばん楽しめるかもしれない。いい意味で裏切られ続けるのが、しだいに快感になってくるから(笑)。

 しかもそういう「裏切り」のあるときは、最高の見せ場ばかり。よく「クライマックスの連続!」とかいう陳腐な煽り文句が聞かれるが、この作品に限ってはそう形容してもまったく誇張ではない(少なくとも今のところは)。他の作品であればラストの見せ場になるようなシーンが惜しげもなく連発されるからねえ…。すごいわ。

 

 話の作りとしては、この作品、高度にメタな構造だけど、これは今後どう生かされるんだろうか。①ズームルッドの語る物語を、②アイユーブが記録させており、③そのエピソードを記した本を作者が邦訳しているという三重の入れ子構造だ。さらに④読者に対する呼びかけまでしてる点を考慮すれば、四重のメタ構造。

 この設定だけで凡百のクリエイターなら頭がおかしくなるだろうし、読む方も読む方で「大丈夫か」と余計な気を遣ったりしてしまいそう(笑)。

 でもこの作品では、文章のそこここにまるで砂漠の熱砂のように作者の自信が漂っている。これを信じて、とにかく次の巻に進もう。

2巻の感想

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2007年7月27日 (金)

ブーメランが戻ってきた―「ヒストリエ 4巻」

 ついにこの巻のラストで、話が1巻につながった。すごく前に投げたブーメランが、大きな環を描いてようやく元のところに戻ってきた感じ。 

ヒストリエ 4 (4) (アフタヌーンKC) ヒストリエ 4 (4) (アフタヌーンKC)

著者:岩明 均
販売元:講談社
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 正直、前巻がどんな展開で終わってたか思い出せずに、3巻を読み返してしまった(笑)。…おおそうだったそうだった、と復習してからこの巻へ。

 そこからはもう一気。村の窮地を救うエウメネスの頭脳と度胸、さらにはそのモテっぷりまで見せつけられて、こっちまで何だかヒーロー気分だ。

 出色なのは、エウメネスがティオス市との和睦を壊さぬように自分を悪者に仕立てて演説するシーンの見開き。この「パフラゴニアにて」のエピソードで作者が描きたかったのは、突き詰めればこの絵一枚でしょう。…って、突き詰めすぎ?(笑)

 次巻からは、大きなブーメランの環を飛び出して、やっと話が前進するわけだ。有り体に言えば、「ブーメラン投げる必要あったのかな」(普通にカルディアでの子ども時代からスタートして時系列に話を進めてもいい気がする)とも思うんだけど、まあいいか(笑)。

 今後、何を見せてくれるのか。ほんと先が読めない、期待大の一作。

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2007年7月26日 (木)

優しさが止まらない―「アジアンタムブルー」

 ああはいはい、恋人が死ぬのね。よくあるね。そりゃ映画化されるよなあ、あざといなあ。…え、何?ページの紙がふにゃふにゃになってる?ああ、濡れたからねえ。涙で。

 こんなん泣くに決まってんだろ!(笑)←逆ギレである

アジアンタムブルー アジアンタムブルー

著者:大崎 善生
販売元:角川書店
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 「パイロットフィッシュ」の主人公による第2作目だが、時間軸としてはそれより前の出来事を描いている。

 正直にいえば、最初の20ページくらいで読むのやめようかと思った。既視感と閉塞感がすごくて。

 主人公の一人語りで過去と現在を行きつ戻りつするという構成が「パイロットフィッシュ」と一緒なのだ。もちろん主人公の思想もおんなじ。おかげでほんと強烈な既視感に襲われる。

 また、恋人を失くした後の主人公の無為な日常が、やたらと重苦しい。どこまで続くんだこれ、その子とどんな思い出があったか知らんけどこんなにウツウツするだけならもう読むのやめるぞ、とか思ってると…

 万引き事件のあたりから、グイグイ引きこまれてしまった。葉子と出会った後はもうアンストッパブル。慟哭のラストまで一直線だった。

 全体として、「パイロットフィッシュ」の方が新鮮かつ深みがあったとは思うが、本作は本作で泣きのエンターテイメントに徹していて気持ちいい。合わせて読みたい、というやつだろうか。

 でも、どうせなら「パイロットフィッシュ」後の物語を読みたいなあ、とも思うのだった。

[MEMO]------------------------------

*高校の先輩といい、デパートの屋上で会う未亡人といい、葉子といい、出てくる女性がみな、主人公に優しさを見つけてばっかりだ。どんだけ優しさにあふれた男やねん。まず第一に、この優しさが肌に合わない人は、本作は読めないんじゃないか。

*やっぱり作品イメージとして江國香織・辻仁成「冷静と情熱のあいだ」と重なるよね。あっちがイタリアならこっちはフランスだけど。そういうところがまた、既視感の源なのかな。

 ちなみに私は江國版のRossoを採ります。

冷静と情熱のあいだ―Rosso 冷静と情熱のあいだ―Rosso

著者:江國 香織
販売元:角川書店
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2007年7月25日 (水)

その化学物質を誰が止めるのか―「中国トンデモ食品大全」「中国食品『毒抜き』調理法」(AERA 2007年7月30日号)

 中国産の食品が危険なのは、もはや明らか。今号のAERAの特集「中国トンデモ食品大全」に取り上げられた食品加工の呆れた実態の数々に、今やいちいち驚くのもアホらしくなってる。

 たとえば中国では、発がん性のある着色料・スーダンが、カップ麺やら牛肉やら、挙げ句ケンタッキーフライドチキンの色を良くするために使われている。これは本来は、ワックスなどに使う工業用の着色料らしい。

 同じく発がん性物質のホルムアルデヒドが、ビールの濾過の過程で使用されている。青島ビールは、「大手各社は2、3年前からホルムアルデヒドを使っていない」と日本の取材に答えているそうだ。おいおいそれまでは使ってたのかよ…。

 ローヤルゼリーには、抗生物質のストレプトマイシンが投与されている。これは結核治療に使うような副作用のある物質だ。さらにすごいのは、日本の輸入業者がそれを使わないように要請した後のこと。今度はストレプトマイシンの代わりに、別の抗生物質・クロラムフェニコールが検出されるようになる。これは骨髄への悪影響が指摘されるもっと副作用の強い薬だ。

 これらの例を見てると、ミートホープの件がイキがってる不良高校生レベルの悪事に思えてくるから不思議だ(笑)。

 有害な物質が食べ物に混入することの最大の恐怖は、その摂取を自覚できないということだ。即座に気分が悪くなったりするなら別だが、たいていの物質は体内で少しずつ蓄積して健康を害していく。

 だから、そういう危険性のある物質は、体に入る前のどこかの時点で、「やばいかどうかわからないけどとにかく止める」ことが必要だ。

 でも問題は、「誰がどうやって止めるの?」ってこと。

 中国から日本にやって来る食品に関して、生産者から消費者までのルートを見渡して、法制度で止められそうなポイントが、一個もない。

 中国の食品関係の法制度なんかまったくの未整備状態で、はじめから期待できない。日本の法が及ぶ範囲で、税関、輸入業者、流通、小売のどっかにフィルターをかけて…とか考えても、個別の食品に入ってる化学物質を完全に調べ続けることなんて、現実的に不可能だろう。(中国産ウナギに対し、抗菌剤・マラカイトグリーンが含まれないよう国内の検査体制を厳格化したのに、その後スーパーで売られていたウナギからこの薬剤が検出されたのがいい例だ)

 だとすると、止めるのは結局消費者自身、てことになる。今号のAERAは、続く特集「中国食品『毒抜き』調理法」で、食品の「解毒」の方法についてまとめてくれている。

 詳細は実際に読まれることをおすすめするが、とりあえず野菜はしっかり洗い、素材を加熱することを心がけようと思った。タマネギ、わさび、ビタミンCなどの解毒効果にも期待だ。あと、今日の昼に食べたバナナは、早速頭の部分を捨てた(笑)。

[MEMO]------------------------------

*本質的には、日本産の食品でも、生産者・企業が悪さをしてるっていう可能性は存在する。ただ、法の網が粗くても、各人のモラルが悪事を規制してる部分が、ある程度日本にはあったと思う(ムシのいい思い込みかもしれないけど)。

 だが、(ひと括りにするのは適切ではないだろうが)中国はそうしたモラルに欠ける。本当はそんな相手から仕入れをしなきゃいいのだが、日本も日本で安さ優先・利益優先によるモラルハザードが起き、「危険物」をどんどん招き入れるようになってしまった。

 それでも金持ちはオーガニックで安全なものばかり食べられるかもしれない。一般庶民にはそれはムリだ。つくづく「格差社会」だよなあ…。

*真保裕一「連鎖」は、食品輸入という珍しい題材を扱ったサスペンス。これを読んだときは、輸入や税関に潜む闇に対して、恐ろしさと憤りを感じたものだ。あれから10年以上経って、この現実。少なくともこの間、日本はぜんぜん良くなってないってことがよくわかる。

連鎖 (講談社文庫) 連鎖 (講談社文庫)

著者:真保 裕一
販売元:講談社
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2007年7月24日 (火)

日本の医療は今夜が峠―「大学病院のウラは墓場」

 大学病院こそが、瀕死の病人だ。そしてこのまま放置しておくと、日本の医療全体に悪性腫瘍が広がって、手遅れになりそうだ。

大学病院のウラは墓場―医学部が患者を殺す (幻冬舎新書) 大学病院のウラは墓場―医学部が患者を殺す (幻冬舎新書)

著者:久坂部 羊
販売元:幻冬舎
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 「大学病院に行ったら殺される」とでも宣言するかのような刺激的なタイトルの本書。私自身、大学病院にいる医者たちの権力志向の強さや患者不在の態度を見聞きして、怒りに似た否定的な感情をもっていたので、そんなセンセーショナルな内幕の暴露を期待して読み始めたところがある。

 しかし著者も医者であるためか、大学病院の体質を批判しつつも、そのジレンマについて一定の理解を見せるような記述が多い。そしてかなり説得力がある。最終的には、むしろ末期ガン患者のごとき大学病院の現状に同情の念さえ湧くほどだ。

 しかしこのガン、すでに日本の医療の深部まで転移していると読んだ。本書から3点抜き出すとすれば、以下のようになるだろうか。

【ガンその1】大学病院の「研究重視」「臨床軽視」の風潮

 大学病院では、「未来の患者」を治すための研究ばかり重視され、「目の前の患者」を治す臨床がないがしろにされる傾向にある。医学の複雑化にともない、研究はできるが誤診が多いとか手術はダメとかいった教授が増えてきた。

大学病院の医師たちは、自分たちを「医療者」ではなく「医学者」だと思っているからだ。

【ガンその2】医療事故・ミスに対する、医療訴訟や逮捕のリスクの高まり

 近年、医療事故が起こると医師が患者や家族に訴えられたり、場合によっては警察に逮捕されたりするようになった。確かに単なるミスによる失敗には患者は納得できない。だが、どんな手術にも数パーセントは死亡率があるもので、それが考慮されずに何でも訴訟や刑事事件に持ち込まれるようでは、リスクある高度な治療は避けられ、そんなリスクの高い科(産科や小児科)の医師のなり手がいなくなる。

医療ミスで死ぬ人は減る代わりに、治療を控えられて死ぬ人が増える。

【ガンその3】臨床研修制度の弊害

 従来の研修医制度に代わって導入された臨床研修制度の弊害のうち、最大のものは、研修医が大学病院をどんどん離れてしまうので、医局を維持するために地方病院の医師が大学病院へと引き上げられていることだろう。これで地方医療が崩壊しつつあるのは、昨今の報道の通りだ。よかれと思ってやった制度改革が実はズレていたという、なんとも笑えない話だ。

 

 これらの「ガン」は、医師だけが原因なのではない。医師も深刻な被害者になっている場合もある。世論の過剰反応が医療現場を締め付け、結局は医療の質の低下を招いているケースがあるのだ。

 決定的なのは、高度な技術を身につけたり難しい科を受け持っていたりしても、診療報酬には反映されず高い収入にもつながらないという実態だ。激務に追われてなお報われないのでは、医師のモチベーションも生まれてこないだろう。そうした理由からか、産科、小児科に次いで、外科も志望者が減っているという。

 というわけで、医者も人の子、あまりプレッシャーをかけ過ぎるのは、われわれ患者にとっても決してよい結果にならないと感じた。厳しさだけでなく、寛容さももって、時代に合った医療制度改革を随時おこなっていかないといけない。

 でないと、著者のこの言葉を絵空事と片付けられなくなってしまうだろう。

早く手を打たないと、近い将来、手術とお産は海外でという時代が来るかもしれない。

[MEMO]------------------------------

「壊れた脳 生存する知」にもあった話だが、脳外科医の志望者はどんどん減っている。2006年の調査では、全国80大学のうち23大学で「志望者ゼロ」だったらしい。これから最も重要になる分野のはずなのに、どうすんの。

*まあ正直、大学病院の医局に対しては今でも懐疑的なのだけど、やはり必要悪という面もあったかなあ、とは思う。著者が最後に提案している、大学病院からの「臨床」「教育」の分離というのは、乃木坂太郎・永井明「医龍」で加藤センセイがやろうとしていることと同じなのだろうか。

医龍 13―Team Medical Dragon (13) 医龍 13―Team Medical Dragon (13)

著者:乃木坂 太郎,永井 明
販売元:小学館
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2007年7月23日 (月)

有難う―「バガボンド 26巻」

 剣豪・宮本武蔵の成長を描く物語の26巻。一人対七十人の殺し合いに1冊まるまる使うという、なんとも殺伐とした巻(笑)。

バガボンド 26 (26) (モーニングKC)

著者:井上 雄彦,吉川 英治
販売元:講談社
発売日:2007/07/23
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 前半は無慈悲な武蔵の強さに戦慄と快感をおぼえる。しかし後半は蓄積する疲労によって武蔵が少しずつ窮地に陥っていく様子に、息苦しくなってくる。

 武蔵と吉岡道場のこの死闘、いかなる決着がつくのか。ただでさえ気になるところに、植田の「あいにくまだ死なねえよ」のヒキ。今すぐ続きを出してくれ!!(笑)

 巻末にある作者コメントが興味を引いた。

9年描いて初めて書ける台詞があったことに気づく。たった一言の台詞が含むものを過不足なく伝えるのには、それだけの時間の積み重ねが必要だったみたいだ。…どの台詞かは内緒。

 …とあるのだが、内緒って言われると余計に「どれ?」って気になるよね(笑)。私としては、226話「吉岡の懐」にある、「有難う」という武蔵の言葉だと思うんだけど。

 かつて吉岡道場に殴りこんで清十郎・伝七郎の兄弟に敗れた後、燃えさかる炎を背に叫ぶ武蔵の姿に、当時ゾクゾクしたことを鮮明におぼえている。あれから作中では1年しか経過していないが、作者も私も、何倍もの年月を経てきたんだなあ、と来し方を思い返してひとしきり感慨にふけってしまった。

 この「有難う」は、吉岡に生かされた結果、今の強さに至ることが出来た武蔵の、「9年分の1年」が凝縮された台詞だと思う。作者の意図と合ってるか知らないが、私の中では、この台詞こそ答えだってことにしておくつもり。

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2007年7月21日 (土)

僕たちも、戦争に手を貸している―「となり町戦争」

 世の不条理は、物語の種。恋愛もそう、戦争もそう。それに加えて、行政とか公務員も、実に不条理な存在なのだった!

 これを読めば、戦争の意味に思いをはせ、公務員を見る目が変わる(?)、そんな異色の傑作。

となり町戦争 となり町戦争

著者:三崎 亜記
販売元:集英社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 このブログには雑多な本の感想を置いてあるが、大きく分けるとノンフィクションかフィクションかということになる。なんで本を読むのかと問われれば「楽しいから」とまず答えるが、もうちょっと気の利いたことを付け加えるなら、ノンフィクションは主に知性を育てるために読み、フィクションは主に感情を育てるために読んでいる。

 だから、マンガや小説なんかには、自分にとって「未知なるもの」を示して、思い切り感情を揺さぶって欲しいと思っている。

 で、この「となり町戦争」は、その希望を存分にかなえてくれた。戦争は日常と地続きであること、それはいつか突然起こるというより今もずっと起きているのだということを、町の公共事業として開始される戦争に参加することになった主人公の「現実感」と「非現実感」を描写することで、見事に表現している。この「戦争」の平板さと空虚さに、得体の知れぬ不安を感じる。

 だがそれよりも私の感情を突き動かしたのは、「香西さん」との海辺の逢瀬を描いた終章だ。あくまで公務員として忠実に戦争業務を遂行した「香西さん」が、戦争の終結後、主人公と職務を離れて会う。

 この場面では、それまで抑制的だった描写が一変する。非常に濃厚かつ緻密に二人の「心と体」が描かれる。

「これが、戦争なんだね」

僕は香西さんを抱いたまま波打ち際に横たわり、そうつぶやいた。仰ぎ見た空には月が光っていた。冷徹に、慈悲なき姿で。

「これが戦争なんです……」

 きっと戦争で失われるのは、そうしたものなのだ。

[MEMO]------------------------------

*この作品、映画化されるらしい。本の帯を見て、言いたいことがひとつだけある。香西さん」は原田知世じゃないだろう!(笑)まあ実際見たらハマってるのかもしれないですが。

 ちなみに私の中では、ずっと中田有紀さんのイメージでした(なぜか「さん」付け)。わかってくれる人は結構いると信じてる(笑)。

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2007年7月20日 (金)

精神病の急患を救え―「救急精神病棟」

 その裂け目は、日常のどこにでもある。学校にも、職場にも、家庭にも。その裂け目から日常を覆っている薄いベールをはがすと、たちどころに「向こう側」の世界が襲いかかってくる。「精神病」の世界だ。まったく比喩的な意味でなく、誰でも精神病になる可能性があるのだ。

救急精神病棟 救急精神病棟

著者:野村 進
販売元:講談社
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 精神科救急を担う「千葉県精神科医療センター」が本書の舞台。統合失調症や強迫性障害、記憶喪失、うつ病などの実例がふんだんに盛り込まれ、その病態、治療法、脳との関係、家族の反応、医療制度などがリアルに紹介される。著者がときには自分の精神まで危機にさらしながら取材した、渾身のルポだ。

 「精神科にも救急病院があるのか」と何の気なしに読み始めると、連れて来られる患者が自傷他害行為を繰り返したり、意味不明の言葉を連発したり、ときにまったく身体反応を示さぬ「昏迷」に陥ったりする様子に、背筋が寒くなる。これはまさしく救急病院だ、と。

 

 「正常な人」が本書を読んで「我が事」として考えさせられることは、2つある。

 ひとつは、自分や家族が精神病になったらどうなるかということだ。精神病にも様々あるが、たとえば本書で主に取り上げられている統合失調症(以前は分裂病と呼んでいた。旧名称の頃は、その診断を下されるだけで患者自身が大きなショックを受けたという)にかかったら?「第三次大戦が起きる!」と駅で騒いで暴れだしたりしたらどうしようか…。

 もうひとつは、精神病者を地域に返して治療することの意義についてだ。精神病院といえば、慢性患者が10年も20年も長期収容され、薬漬けにされるというイメージがある。これは確かに人道にもとる。本書にもあるが、患者こそが自分の異常さをわかっていて、いちばん辛いのだという。何年も閉鎖病棟に閉じ込められることこそ、精神の平衡を侵すのだ。だが、そういう人を地域に返すことのリスクはどう考えたらいいのか。

 こうしたことを考えていくと、結局はひとつの疑問に行きつくことになる。「精神病は治るのか?」という疑問だ。他の病気のように治癒の見込みがあるのなら、自分や家族の発症を一時的なものと見なすことができるし、精神病院を退院できた人が地域で暮らすことへの反発は減るだろう。

 本書は、この疑問に明確な答えをもたない人や、否定的な意見をもつ人こそ読むべきものだ。ここには、薬や治療技術の発展に勇気づけられ、施設を改善する工夫を怠らず、日々精神病患者を「治す」ために奮闘する人たちがいる。

 彼ら・彼女らの努力と成果を目の当たりにし、精神病は「絶対に治る」とまで確信できなくても、治る見込みは高まっている」という手ごたえを共有できたのが、私にとって本書から得られた最大の収穫だった。

[MEMO]------------------------------

*「外に出ると毒ガスをまかれて殺される」といった妄想は、統合失調症の特徴的な症状のひとつだ。以前は「そんなことはないから安心して」と周囲が否定することができた。ところがオウムの地下鉄サリン事件の影響で、その言葉が通用しなくなってしまったという。

 宗教と精神病の相関については古くから指摘されており、実感として、精神病患者で宗教団体に加わっている者は普通の人より明らかに多い、とも書かれている。現代社会で「異常」と見なされるものが「宗教」と表裏一体であることは、非常に興味深い。

*「幻聴」って「気のせい」なんだろうと思っていたが、脳研究で、幻聴がある時は聴覚野などの言語関連領域が実際の音を聞いている時と同様の活性化を示すとのデータがあるらしい。ほんとに「聞こえてる」のか!?う~ん、マトリックス…。

*通電療法の説明はたいへん勉強になった。本当に効くのか?とか患者の痛みを無視してやるのか?といった古いイメージをもっていた。なぜかはまだわからないが、通電療法が効く患者さんが大勢いるらしい。患者によっては、薬物療法より通電療法がよく効くし安全性も高い場合もあるそうだ。また方法に関しても、麻酔をかけた状態で患者に痛みを感じさせない「無けいれん」というやり方が普及しているとのこと。

*私の中にあったのは、10年ほど前に読んだ帚木蓬生「閉鎖病棟」のイメージ。ここで描かれた精神病院は、しみじみ怖かった。だが本書を読んで、「心ある」精神病院はそこから脱皮しようとしてることがわかった。

 ただ、脱皮はごく一部にしか起きていない。1950年代に作られた「精神科特例」規定では、精神病院は医者や看護師が他の科よりも少なくてよく、患者の入院が長引くほど診療報酬が高くなるように定めている。この規定がなくならない限り、慢性患者を「固定資産」として閉じ込めて薬漬けにするという「病院ビジネス」は決してなくならないだろう。

閉鎖病棟 閉鎖病棟

著者:帚木 蓬生
販売元:新潮社
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2007年7月19日 (木)

閉じた環の中で生きる―「土星マンション 1~2巻」

 土星マンション、といっても舞台は土星ではない。あくまで地球の話。ただこのマンションは、地上35000メートルの成層圏に、まるで土星の輪のようにリング状に築かれて宙に浮いている。

 その中で、人々は上層・中層・下層の三層に分けられて暮らしている。隠然たる差別の中で、下層住民ほど貧しい暮らしを余儀なくされている。主人公は、下層に住み、マンション外壁の窓拭きをして生計を立てている少年だ。

土星マンション 1 (1) 土星マンション 1 (1)

著者:岩岡 ヒサエ
販売元:小学館
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 現時点でのドラマの柱は二本。ひとつは、主人公に窓拭きの仕事を依頼してくる人たちの人間模様で、もうひとつは、同じ窓拭きの仕事中に亡くなった父の姿を少年が少しずつ知って、成長していく過程だ。

 ウェットすぎず、平板すぎず。主人公が父に対して抱く葛藤の描き方も、決して深刻になりすぎない。それなのに、頭身の小さい登場人物たちのとぼけた行動と、ときに語られる真剣な言葉が、妙に余韻を残す。

 個人的には、ストーリーの二本柱のうち、少年の成長にまつわるエピソードにしみじみとする。2巻で、主人公が仕事中にアクシデントに遭った後の「ヤスミノヒ」から、主人公に複雑な思いを抱く先輩のわだかまりが少しほどける「手の先に」までがとくに良い。

 とにかく、これは楽しい思考実験だ。この舞台設定の中でどれだけ豊かにアイディアを生み育てられるかという、「土星マンション」と作者の知恵比べに、いつまで作者が勝ち続けられるか

 もし、ストーリーの三本目の柱として「現在の地上の状態をめぐる謎の解明」がビシっと立てられるようだったら、この作品はさらに面白くなりますよ。その予兆が少しだけ認められるので、今後に大きく期待したい。

土星マンション 2 (2) (IKKI COMICS) 土星マンション 2 (2) (IKKI COMICS)

著者:岩岡 ヒサエ
販売元:小学館
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2007年7月18日 (水)

「時代」を活かした傑作―「玻璃の天」

 超絶短編が3本。どれも巧緻の極み。残念ながら公式では受賞を逃したが、私の心の直木賞をあげたい(笑泣)。

 舞台は昭和初期の東京。女学校に通う財閥の令嬢と、家付きの女性運転手を軸に、この作者ならではの日常ミステリが展開する。あの大戦へと日本が向かう直前の「暗い」時代が、現代のメタファーとして見事に活かされている。

玻璃の天 玻璃の天

著者:北村 薫
販売元:文藝春秋
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 まず登場人物に魅力がある。主人公の英子は、少女でも大人のレディでもなく、その純粋で可憐な雰囲気は、「乙女」としか表現できないなんで北村薫は男なのにこの手の女性を描くのがこれほどうまいんだろう。そしてもうひとりの中心人物、女性運転手のベッキーさんがまた颯爽としていてかっこいい。文武両道を地で行き、それでいて偉ぶらない。

 物語の運び方も実に巧みだ。何気ない出来事、ふとした会話、巡り合った本や人が、一見関係がなさそうに登場しながら、最後に一枚の絵に織り込まれていくさまにため息が出る。私はラストに冴えのある「幻の橋」が特に好みだった。

 北村薫は本当に知識が該博で、それはそれでもちろん素晴らしいことなんだけど、それが登場人物にまで反映されると、ちょっと違和感をおぼえるときがある。「円紫さんと私」シリーズなんかを読むと、アドバイザーの円紫さんはもちろん、教えを乞う立場の主人公「私」までが実に物知りで、若年性痴呆な私なんか思わず平伏してしまう(笑)。

 あとあのシリーズでは、円紫さんがあまりに頭が良すぎるのも、ちょっと違和感を感じる部分。少し話を聞いただけで事件の謎がわかっちゃう人なので、うかつに登場させられない。なおかつ、円紫さんはもう謎が解けたのに黙ってて、主人公に「もうちょっと考えてごらん」みたいな対応をするのが、ほのかに嫌味なときがある。

 そうした違和感がこの「玻璃の天」のシリーズでは感じられない。このシリーズも、主人公の英子とベッキーさんは同様の役回りとなっているが、英子が本や古典を好きだとしても、この時代のお嬢様はそれで当然。ベッキーさんは非常に頭脳明晰だけど、身分の違いがあるために一歩引いた立場にとどまり、たとえ答えがわかったとしても差し出がましい口ははさまないのが当然。つまり、「時代」が違和感を中和している。

 …ということで、作者の技量と題材が高度にマッチした傑作と思う。直木賞を逃したのは本当に残念。これを退けた松井今朝子「吉原手引草」を、俄然読んでみたくなった。

[MEMO]------------------------------

*前作「街の灯」とともに、このシリーズでは「時代の空気」がものすごくリアルに伝わってくる。それは第一に、当時の社会情勢や風俗の描写の積み重ねによるものなので、作者の相変わらずの緻密な時代考証に感心するのだけど、それに加え、登場人物の心理がしっかりと「時代」に即した動き方をするのよね。これが大きい。作者に、昭和初期から「スキップ」してきたんですか、と聞きたくなる(笑)。

*印象的だったのは、「荒熊」の講演会後の、主人公と若い軍人の会話。短いながらも、国の大義と国民の幸せ、そして戦争との関係について考えさせられて、実に深い。

「五円あれば、五十人の飢えた者がカレーライスを食べられる。…あなたのおっしゃった行進の列に、そういう多くの者達が胸を張り、喜びと共に加われるのなら…それが、どのような行進であれ、わたくしは心から支持いたします」

この言葉を聞いて恥じ入る主人公が素直でかわいい(笑)。

*こんなん書きましたが、もちろん「円紫さんと私」シリーズも大好きですよ。

街の灯 街の灯

著者:北村 薫
販売元:文藝春秋
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2007年7月16日 (月)

ある意味、結果より過程が大事―「データの罠」

 世論調査や社会調査は、いい加減なものばかりだ(断言)。客観的な根拠のない空論に振り回されるのはご免だが、一見まともそうなデータがその実まったく信用ならないというのはもっと厄介である。

 本書は、そうした世間で行われている調査に潜むさまざまな欠陥を指摘するものだ。

データの罠―世論はこうしてつくられる データの罠―世論はこうしてつくられる

著者:田村 秀
販売元:集英社
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 類書に、谷岡一郎「『社会調査』のウソ」がある。谷岡氏の本は、ちょっといい店で食べるコース料理のようなもので、問題だらけの社会調査の具体例と、そうした調査が実施される際の実態、および、適正な調査を行う上で注意すべきバイアスを順序よく並べてくれている。フルコースを堪能するには、読むほうもそれなりの気構えで臨む必要がある。

 一方、本書は、居酒屋で食べる一品料理のような感じで、とにかくいろいろな調査やデータの疑問点がどんどん出てくる。こちらは、肩肘張らずにつまみ食いしていくのがいい。それこそ、飲み屋話にもってこいかもしれない。

 なにせ扱われる話題が、「ライブドアのインターネット調査」「餃子消費日本一などの家計調査」「視聴率」「選挙の出口調査」「都市ランキング」「英語力の国別比較」など、どれもパッと目を引くものばかり。どんな調査の結果も大なり小なり問題を抱えていることを意識するのに、このメジャーな題材たちはうってつけだ。

 言葉は悪いが、何かの調査結果の数字「だけ」を見ていろいろ論じるのは、「悪人」「馬鹿」かのどっちかだろう。違いは、「悪人」はその数字をぜんぜん信じていないのだが、さも信じているフリをして「馬鹿」をだまそうとすることだ。

「官庁が使うコンサルタントは『いかようにも結果を出します』と豪語している。事業を正当化したい官庁と、受注が欲しいコンサルタントによる茶番に過ぎない」

 そういう「悪人」たちにだまされる「馬鹿」にならないようにしないといけない。それでなくても、現代人は数字で示されるデータに過剰な信仰を寄せてしまう。調査結果を見るときは、その「方法」まで吟味して、信憑性を自分で判断しておく必要がある。

 …と、ついつい好きな番組の視聴率に一喜一憂する私は自戒するのだった(笑)。

「社会調査」のウソ―リサーチ・リテラシーのすすめ 「社会調査」のウソ―リサーチ・リテラシーのすすめ

著者:谷岡 一郎
販売元:文藝春秋
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2007年7月15日 (日)

ビビり役、大活躍―「ONE PIECE 46巻」

 説明不要の海賊冒険マンガ。46巻を迎えてなお、衰える気配いっさいなし。

ONE PIECE 巻46 (46) (ジャンプコミックス) ONE PIECE 巻46 (46) (ジャンプコミックス)

著者:尾田 栄一郎
販売元:集英社
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 小難しいことは考えずに、心から楽しめる。この巻は新たな冒険の導入編だが、新情報を少しずつ出してジワジワ盛り上げ、ラストでドカンと次巻へ続く!!…へともっていくこの手綱さばき、やはり並大抵じゃない。

 演出もさすが。今回の島・スリラーバークは、ホラー仕立て。これを読者に「コワく」見せるためには、狂言回しのビビり役が欠かせない。スポーツマンガで観客が「スゲぇ!」とか言ってプレイヤーを引き立たせるように、「コワいよう~!」と言って読者にそれを伝える人物が必要だ。

 となれば、この島に上がる先発隊はナミ、ウソップ、チョッパーの3人しかいない。他のメンバーだと、心身ともに強靭すぎる。この3人がまず上陸してくれたおかげで、ケルベロス、ゾンビ、お化け屋敷などのおどろおどろしさを、読者としては十二分に堪能できる。

 そういう展開に無理なくもっていくところが、作者の巧みさですなあ。

[MEMO]------------------------------

*「完全図解!サウザンドサニー号」には心底感心した。その詳細さもさることながら、すみずみまであふれている遊び心に。私が子どもの頃だったら、もう自分がこの船に乗り込みたくてワクワクですよ。作者はほんとに子どもの気持ちをよくわかってる。もしこのマンガがつまらなくなるとすれば、それは作者が年を取って行って心の中にある「少年」が消えた時だろう。

 少年マンガは、マインドでなくハートで子どもがわかってないと描けない。

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2007年7月14日 (土)

エネルギー・ゼロへ―「一瞬の風になれ 第三部」

 10回泣いた。

 …って冗談で書こうとして、待てよと数えたら、じっさい9回泣いてた(笑)。涙腺緩すぎ?いやいや、一事に青春を賭けるこのひたむきな姿に感動しなけりゃ、いったい何に感動するっていうの?

一瞬の風になれ 第三部 -ドン- 一瞬の風になれ 第三部 -ドン-

著者:佐藤 多佳子
販売元:講談社
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 あさのあつこ「バッテリー」は、過程はものすごく楽しめたのだが、競技としての結末に不満が残った。なんというか、「スポーツ好き」なら、普通その先も描くでしょう!?と。

 その点、この作者・佐藤多佳子は「スポーツ好き」だった。1巻を読んだ時に思い描いていた理想の展開を、それを上回るくらい完璧な形で見せてくれた。それはひと言でいえば、「競技のクライマックスと物語のクライマックスの同期」だ。

 主人公の肉体的なコンディション、陸上技術、精神面の成長、親友との関係、ライバルとの対決、リレーメンバーの団結…。すべての要素が、関東大会でピークを迎える。例えると、一枚のグラフの中でこれらの数値を表す線がたくさん描かれてて、上下動しながらここまで来たけど、最後の舞台でついにすべての線がMAXに集まった感じ。ついでに私の心拍数もずっとピーク近くでドキドキしてました(笑)。

 恋愛もささやかに(笑)ピークを迎えたし、すべてに満足。読み終えて、今は私まで「エネルギー・ゼロ」状態。でも、兄貴の将来も気になるし、やっぱり大学生編で続編を書いてほしいなあ(笑)。

2巻の感想

[MEMO]------------------------------

*いやー、2巻を読んだ時は「これ以上の感動はあるかな」と(好きな作品なだけに)不安がよぎったのだけど、まったくの杞憂だった。最後の4継、桃内から主人公にバトンが渡った瞬間、震えた。心底震えた。あれはすごいよ。あの瞬間に比べたら、ゴールシーンさえもただの余韻。

*なんだかんだ「本屋さん」に乗せられて、本屋大賞受賞作はぜんぶ読んでるのだけど、個人的には小川洋子「博士の愛した数式」に次ぐ「当たり」だった。次ぐ、ってのは時間順序の意味で、どれが好きかと聞かれれば本書がいちばんです。

博士の愛した数式 博士の愛した数式

著者:小川 洋子
販売元:新潮社
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2007年7月13日 (金)

心は生成するもの―「心はどのように遺伝するか」

 「心は遺伝すると思う?それとも環境で決まると思う?」そう周りの人に聞いてみてほしい。

 得られる答えは様々かもしれないが、だいたいの傾向があるはずだ。「遺伝で」と言うか、「環境で」と言うか。まるで二択のような回答が得られるだろう。

心はどのように遺伝するか―双生児が語る新しい遺伝観 心はどのように遺伝するか―双生児が語る新しい遺伝観

著者:安藤 寿康
販売元:講談社
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 まあ「今夜のご注文はどっち?」的な聞き方もズルいけど、二択のように答える方も、自分が実のところまったく不当な極論を唱えていること(その背後にはおそらく自分の思想が潜んでいること)を多少は自覚しないといけない。

 本書は、そんな自覚を促すのに好適な、行動遺伝学の入門書。人の双生児研究をもとに、「心」には遺伝によって伝えられる部分が確かにあることと、環境の働きかけでそれらの発現の仕方が変わることが、バランスよく解説されている。

 とくに、ポリジーン・モデルについての説明はわかりやすい。このモデルでは、心や体のさまざまな性質・能力は、メンデル遺伝のようにひとつの遺伝子で決定されるのでなく、数多くの遺伝子の効果が加算された結果全体によって決まると考える。これを相加的遺伝効果という。

 たとえば本書では、人のIQの高さについて、第6染色体上のひとつの遺伝子座(IGF2R)に、IQの高いグループに多くみられる遺伝子型(タイプ5)があるという例が挙げられている。これだけ聞くと、「頭のいい人を決める遺伝子だ!」と思うかもしれない。

 しかし実際は、IQの高いグループのうちこの遺伝子をもっているのが30%で、低いグループは15%。このそれほど高くない数字のあいだに「統計的に」差があったに過ぎない。知能はたったひとつの遺伝子ではなく、他の遺伝子の影響も合わせた相加的遺伝効果で決まると考えられ、この遺伝子型もしょせんはワンオブゼムであるのだ。

 

 本書では、このポリジーン・モデルをもとに、双生児研究で何がどこまで判明しているかがわかりやすく述べられる。一卵性双生児は100%同じ遺伝子型で、二卵性双生児はおよそ50%同じ遺伝子型だ。これを踏まえ、たとえば生まれてすぐに引き離され、異なる生育環境にあった双生児同士が、心や体のさまざまな特性についてどの程度相関するかを分析し、一卵性と二卵性の結果を比較することで、遺伝と環境の影響力を調べるのだ。

 得られた結果の解釈の仕方がごっちゃになりやすいので、以下で大雑把に場合分けしてまとめておく。

  • 一卵性双生児同士が高相関、二卵性双生児同士がその半分の相関 → 相加的遺伝

 環境の異なる双子で、ある特性の相関の程度が「一卵性:二卵性=2:1」になったとする。単純にいうと、一卵性双生児は二卵性双生児の二倍似ているわけだ。これは遺伝子型の共通度の比と等しいので、遺伝子の効果が単純に加算された結果と考えられる。たとえば指紋や身長、体重などは明確にこうした傾向が得られる。知能もこれに含まれる。

  • 一卵性双生児同士が高相関、二卵性双生児同士がその半分以下の相関 → 非相加的遺伝

 一卵性双生児の高い相関は、遺伝の影響力を示している。それなのに二卵性双生児の相関が低いということは、遺伝における優性の効果が存在したり、その特性が質的であったりすることにより、遺伝子型が少し違うと発現しにくくなることを意味する。外向性や神経質などの性格傾向がこれに含まれる。

  • 一卵性双生児同士、二卵性双生児同士がともに高相関 → 共有環境の影響

 同じ環境で育った双生児が、一卵性でも二卵性でも同程度の特性を共有しているとすれば、そこには遺伝を超えるものが含まれている。少なくともその相関の半分以上は、二人が共有した環境の影響によるといえる。創造性や宗教性はこの影響が強い。また知能や学業成績には、遺伝とともにこの影響が認められる。

  • 一卵性双生児と二卵性双生児がともに低相関 → 非共有環境の影響

 同じ環境で育ったのに、どの双子でもひとりひとり全然違う特性については、遺伝も環境も影響しない、といえそうだ。しかしこういうときは、双子でも別々の経験をすることがあるから、そうした非共有環境が強く影響しているのだ、と考える。外向性や神経質などの性格傾向には、非相加遺伝とこの環境の影響が強い。

 これらからわかるのは、結局、遺伝も環境も、単独では心を作れないということだ。遺伝が強くはたらく部分もあれば環境が強くはたらく部分もあり、どちらかだけで人の心を完成させることはできない。こんなのは、自分や周囲を冷静に見てみれば、当り前に気づくことなのに、いざ意見を言えといわれると、何やら極論を言ってしまったりする。

 日本語の「遺伝子」にあたるgeneは、中国語では「生成子」と訳すという。こちらの方が、イメージがいい。親が「心を遺し伝える」と言うと、その枠から出られないような決定論的な感じがする。それよりも、われわれは親からもらったものを基礎に「心を生成していく」と言えば、「遺伝」に対するうがった見方も少しは変わるんじゃなかろうか。

[MEMO]------------------------------

*とはいえ、人間の遺伝子が解明されて個人差と遺伝子の対応が明らかになったら、行き着く先は「優生学社会」だというアップルヤードの予言は肝に銘じておく必要がある。

もし遺伝子を操作することによってIQの高い子供を授かる可能性が高いことを知ったら、大部分の人がそれを望むだろう

 それは結局、その社会で少しでも高い価値が付けられている鋳型に、すべての人間を流し込んでいくようなものだろう。そうして人間が多様性を失ったならば、最終的には、高度で、かつ昆虫同然の社会が出来上がるんじゃないか。

幸福感を抱く程度は非相加的遺伝らしい。おそらく多数の関連する遺伝子の表現型が組み合わさって、幸福感を感じる心の特性が決まるのだろう。これは、リッケンの言うところの創発的(エマージェニック)な遺伝であるということだ。

*古今東西、双生児を扱った物語は数多く存在するだろう。とくに異環境に育った双生児もので私が好きなのは、ジェフリー・アーチャー「ケインとアベル」だろうか。実はそれより先に水島新司「野球狂の詩」の「北の狼 南の虎」ってエピソードを思い出すのだけど、これって全国で3人くらい?(笑)

ケインとアベル 上 新潮文庫 ア 5-3

著者:ジェフリー・アーチャー
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2007年7月12日 (木)

メリンコミニスタの奥義炸裂―「ピューと吹く!ジャガー 13巻」

 革命が安定政権になると時が経つのは早くなるもので、いつの間にやらもう13巻となった定番ギャグマンガ。

ピューと吹くジャガー 13 (13) (ジャンプコミックス) ピューと吹くジャガー 13 (13) (ジャンプコミックス)

著者:うすた 京介
販売元:集英社
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 ギャグマンガといってもいろいろあるけど、既存の笑いに「新しいこと」を持ち込めるのは「変人」だけだと思う。天才と言ってもいいけど。私の目には、吉田戦車とうすた京介はとびきりの「変人」に映ります(笑)。

 この人たちがいてくれたおかげで、生活は精神的に豊かになったとさえ思う。ブームが続くお笑い芸人のネタから、一般の日常会話にいたるまで、彼らの作ったギャグの文法は幅広く応用できるし、実際されていると感じる。ていうか自分も使ってる。

 この巻の個人的ベスト3はこんな感じ。

◆ 267笛「“しらける”という意味の最高の言葉」

 ハマーの満面の笑顔と“ハイしけ”な顔。こんなに長い連載で、まだ見たことないような表情が出てきた(笑)。

◆ 273笛「裏の世界のバレンタイン」

 ハマーとビューティが、このマンガ中、最高の組み合わせであることを再確認(笑)。

◆ 285笛「感動をありがとう」

 ハマー絡みばっかりか!(笑)いやでも、忍法「下半身in上半身」は、小学生でも出てこない発想ですよ(ほめてる)。

 ともかく、来年のお正月はまた無我野先生に、さ迷える大衆を鼓舞する素晴らしいエールを期待したいものであります。ハッピハピイエーイ!(笑)

[MEMO]------------------------------

*このマンガを読んでいてときどき感じるのは、うすた京介が内に秘めている純粋さ。宗教や自己啓発セミナー、怪しい開運術なんかは、普通ならタブーとして扱わない素材ですよ。作者自身は、それらを強烈に批判する純粋さを抱えてるんじゃないかと思う。

 でも、そういう素材をうまく料理して、気取らぬ笑いに持っていけるところに感心する。特に、素材に対し批判的であることをできるだけ臭わせない、「臭み消し」の腕が絶品だよなあ、と。

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2007年7月11日 (水)

勝者の中の勝者―「壊れた脳 生存する知」

 モヤモヤ病、脳出血、脳梗塞。三十代にしてすでに4度の脳卒中を経験し、この若さで「余生はゆっくり過ごされてはどうですか」と医者から告げられた、自らも医者である女性の闘病記。

 著者が負った障害の大変さ、そして不思議さに、今は単純に驚くのだが、いつか自分や周囲の人に同様のことが起こったときに、この本を読んだことがきっと役に立つ。

壊れた脳 生存する知 壊れた脳 生存する知

著者:山田 規畝子
販売元:講談社
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 私の知人でも、何人も脳出血や脳梗塞などの脳卒中にあって、亡くなったり後遺症に苦しめられている人がいる。40歳以上の男性の半数以上は高血圧だといわれており、また若年でも脳卒中に見舞われるケースが増えているらしく、本書で書かれていることは決して他人事ではない。

 本書では、著者が実際に体験した不思議な症状が数多く述べられる。

 頭頂葉の右半球の損傷によって起こる「視覚失認」では、見ているものを正しく認知できない。画用紙に絵を描こうとしたら、紙と机の境界線が認識できず、机いっぱいにペンを走らせてしまう。

 遠近感もわからず、目の前の階段が上りなのか下りなのか判別がつかない。足をそーっと出して探ってみることになる。

 頭頂葉は体性感覚を処理する部位でもあるので、この損傷で体についての感覚もゆがむ。ベッドで仰向けにまっすぐ寝ているつもりだが、腰から下を「く」の字に曲げているような感覚がする。

 「半側身体失認」が起こり、自分の体の左半分に注意が向かなくなった。左手でさっきまで袋を持っていたことを忘れて、道端で取り落としたりする。

 「半側空間無視」では、外の世界の左側の空間に対して注意が向かなくなった。食事のときにはテーブルの左側にある食べ物は残すし、絵を描いても左半分を省略してしまう。

 これらはひとまとめに言って、「高次脳機能障害」、すなわち人の心の機能のうちでも高度な部分がうまくはたらかない症状だ。紹介したのはごく一部であり、このような深刻な症状を抱えた人が本を書いているというだけで、ほんとうに頭が下がる。

 著者の主治医は義理の兄で、脳卒中の後遺症が残る老人などを術後にケアする保健施設も経営している。その人が、職員たちに向かって述べた言葉が深い。

「ここに入ってこられる方は、病気やけがと闘って、脳に損傷を受けながらも生き残った勝者です。勝者としての尊敬を受ける資格があるのです。みなさんも患者さんを、勝者として充分に敬ってください」

 

 だが今は、「勝者」を生むシステムも、「勝者」を敬うためのプログラムも、何もかもが不十分なままだ。

 本人も書いているが、正直、この著者は、他の患者から見れば環境に恵まれている。本人が医者であったり、発作時に周りに同級の医学生がいたり、脳外科医の義兄がすぐに駆けつけてくれるところに住んでいたりといった好条件がなければ、おそらく命を落とすか植物人間になっていたのではないか。

 「勝者」を生むシステムとは、そうした緊急事態に対応できる施設・人材の充実である。しかし、最近は仕事のきつい科は敬遠され、脳外科医は不足する一方だという。

 また、多くの脳外科医は、命を救う手術はするが、その後の症状についてはよくわかっておらず、あとは生活に慣れてね、で終わるという。周囲のセラピストも、高次脳機能障害の症状に対する理解が十分ではない。福祉的な保障の対象にもならない。街の施設・設備も「バリアリッチ」である。

 「勝者」を敬うプログラムとは、そうした人に対する適切な接し方を、医療関係者から一般人までが幅広く共有するということだ。残念ながら、現状ではこれもまったくの低水準にとどまっている。

 したがってこれは、啓蒙の書なのだ。高次脳機能障害に苦しむ人は数多く存在し、今後ますます増えるだろう。しかしそうした人が自分の症状についてわかりやすい本を書いてくれることなど、普通は期待できない。本書は、死の危機とそれに続く苦難を乗り越えた「勝者の中の勝者」が、この障害の「真の姿」を伝えるために届けてくれた奇跡の言葉なのだ。われわれは、われわれのために、そこから多くを学ばねばならない。

 そして、この勝者は、最後にわれわれを泣かせる。この境遇にいる者の言葉だからこそ、ほんとうに胸を打つ。読み始めた方は途中で投げ出さず、ぜひ最後まで読み通してくださいませ。

[MEMO]------------------------------

*高次脳機能障害の患者は、自分は何でもちゃんとできると言う。それは、周囲から見れば異常なほどの「過大評価」で、万能感をもっているとされいわれる。

 しかし、著者は言う。それは決して「過大評価」ではないと。正しく言うと、自分のまわりの出来事の重要性を「過小評価」しているのだ、と。「健康なときにはこんなことはたいしたことではなかった」という記憶が判断を狂わせているのだ。

*高次脳機能障害では、その人のそれまでの人生が如実に出る、という。何を身に付けたか、頑張ったか、そして、頑張れる人間であるか。著者が「勝者の中の勝者」となれた理由は、さまざまな幸運だけではなく、人柄によるところも大きいと思う。

*興味深かったのは、あるエピソードを紹介する際に、「前にも書いたかもしれないが(P210)」と断り書きがあったこと。いや普通は、前にコレ書いたかどうかは、書き手はおぼえているもんですよね。そして事実、書いてます(笑)。この文を見て、著者がこういう状態で一冊の本を書き上げたということに、逆に感心してしまった。

*続編もあるので、また読んでみよう。

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2007年7月 8日 (日)

記憶の湖をのぞく―「パイロットフィッシュ」

 人間の体のどこかに、あらゆる記憶が沈んだ湖のような場所がある。だから、人と人は一度めぐり会ったら、二度と別れることはできない―。

 しびれるくらい、透明で美しい小説。主人公はエロ雑誌の編集者なのに(笑)。

パイロットフィッシュ パイロットフィッシュ

著者:大崎 善生
販売元:角川書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 思うに、この作品でいう記憶の湖の水は、きっと恐ろしく冷たいのだろう。湖の底に堆積した何もかもが、沈められたときの形のままで、自分の「現在」を静かに見つめている。ふとそのことに気づいたとき、その記憶の形があまりにも美しく、それゆえグロテスクなことに、人は愕然とするのだろう。

 そんなモチーフを私は意識させられた。とにかく、その構成と文章が見事で。

 由希子との出会いと別離、沢井さんとの「旅路の果て」、傘の自由化。いたるところにちりばめられた「過去」の断片が「現在」によみがえり、決して引き返せない時間の存在を教える。せつなさやさびしさに胸が締めつけられる。

 これは主人公の物語でもあり、われわれの物語でもある。読みながら、誰もが自分の中にある記憶の湖をのぞきこまざるを得ないはずだ。そして、その美しさとグロテスクさに動揺してしまうはず。私はあまりの動揺にしばらく本を置いたことさえあった(笑)。

 いや、若い人にはピンとこないかもしれない。でも、もう少し時が経てば、きっとわかるよ…(笑)。

幸福は本当の幸福ではなくて、幸福の過程にしか過ぎず、たとえそう見える人間でも実はいつも不安と焦りに身を焦がしながらその道を必死に歩いているのだろう。

[MEMO]------------------------------

*人間が感性の集合体から記憶の集合体に移り変わる時が40歳くらいかな、という主人公の言葉は何気ないけど重い。

「感性の集合体だったはずの自分がいつからか記憶の集合体になってしまっている。…今、自分にある感性も実は過去の感性の記憶の集合ではないかと思って、恐ろしくなることがある」

 勝手に意訳すれば、記憶が感性を縛る、ということよね。それは不可避的に起こるものかもしれないけど、トシを取ってもなるべく縛られない感性をもちたいものだが、さて。

*もともと、著者と児玉清の対談に触発されて読んだのだが、ほんとよかった。将棋の人、というイメージが払拭された。これこそ、記憶に縛られない感性でいろんなものを吸収しなきゃいけないということかな。

 作中で「アジアンタムブルー」という言葉が出てきて、あ、あの作品(題名だけは知ってる)は続編にあたるのかと。また読む本が自然と生まれてくれて、喜ばしい。

「アジアンタムブルー」の感想

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2007年7月 7日 (土)

太るとタイヘン、やせるのタイヘン―「人はなぜ太るのか」

 副題「肥満を科学する」に偽りなし。どうして太るのか、太ったらどうなるのか、そしてどうすればやせられるのかについて、「学術論文と同じくらい新しく、間違いがなく、役にたつ情報を、わかりやすくまとめた」(あとがきより)本だ。

 効果の疑わしいダイエット本に熱中する前に、これを読むといい。

人はなぜ太るのか―肥満を科学する 人はなぜ太るのか―肥満を科学する

著者:岡田 正彦
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 本書の前半は、ひとことで言って、「太るとタイヘン」という話だ。肥満が健康に与える悪影響がこれでもかと並べられ、最近めっきり体重の増えた私は、軽く絶望する(笑)。以下、ごく一部を簡単に並べると…

  • 脂肪酸には活性酸素によって酸化されやすいタイプがある。酸化された脂肪酸は他の脂肪酸を攻撃し始める。やがて遺伝子が傷つき、発がんや動脈硬化などが進行する。
  • 心臓自身が動くための血液を供給する冠状動脈は非常に細い血管で、コレステロールがたまりやすい。そのため、少し収縮しただけで血流が途絶え、その状態が続くと心臓の筋肉が酸素不足に陥り、心筋梗塞につながる。
  • 血管内壁に付着したコレステロールのかたまりが、何かの拍子にはがれると、血流に乗って脳に届き、脳血管を詰まらせて脳梗塞を引き起こす。
  • 脂肪細胞はインシュリンのはたらきをブロックする物質をいくつか分泌しており、「インシュリンが足りない」という誤信号を発生させる。それにより、すい臓で過剰にインシュリンが作られる。一生のうちに作ることのできるインシュリン量は決まっているので、インシュリンの枯渇による糖尿病が発病しやすくなる。
  • 軟骨は再生しない。体重が重いと軟骨が摩耗し、変形性膝関節症で将来困る。

 直ちにやせさせてくれ!!!!(笑)

 …ということで、本書の残りの部分はいかに科学的にやせるかについて書かれているので、ワラにもすがる思いでそれを読むのだが、これがひとことで要約すると、「やせるのタイヘン」となる。少しだけ紹介すると…

  • たんぱく質は体内で余ると尿素として体外に排出されるので、摂りすぎても太らない。脂肪は体内で脂肪酸となり、余れば中性脂肪として皮下脂肪、内臓脂肪となる。炭水化物は体内で糖分になり、余ると脂肪酸に変換されるため、やはり肥満の原因となる。
  • 炭水化物を摂取すると、血糖値が上昇するが、これが短時間で急激に起こる食品ほど太りやすく、かつ糖尿病や心筋梗塞になりやすい。血糖値の上昇の程度を表すグリセミック指数の低い食品を中心に摂るべし。
  • 運動だけで体重を減らすのは、非常に長い時間がかかる。しかし無理な食事制限によるダイエットはほぼ成功しない。やはり、中程度のウォーキングなどを続けるのがよい。水泳もいい。水中では体温を保つために体内のエネルギーを余計に燃焼させるので、運動量以上の効果が期待できる。
  • ダイエット薬やダイエットサプリは、総じて効果が疑わしく、副作用があるので危険。

 実践的なメニューや細かいコツも載っているので、ぜひ本書に直接あたってほしい。他にも、思い込みというウロコがボロボロはがれるような話がいくつもある。

 本書は、肥満は病気や長生きと関係がない、という意見も紹介しているので、その意味で公平さも備えている。要は、各自がこれを読んで、肥満による健康上のリスクをどれだけ深刻にとらえるか、だろう。深刻だと思った人が、このままではイカンって気にになるということだ。

 ただ、本書を読もうという人の態度はほぼ決まっているのではないか。

 科学研究を背後で支えているのは、確率的思考である。してみると、肥満のことを科学的に知りたいと思う人は、健康上のリスクが確率的に高まるとなれば、もう深刻にならざるを得ない。本書は、リスクの数値が示されていない部分もたくさんあるが、警告としては申し分ない。

 ということで、私は本書を足上げ運動しながら読んだ次第です(笑)。

[MEMO]------------------------------

*筆者の臨床経験では、中性脂肪、血糖、血圧の検査値や心電の異常などは、やせるだけで治って薬を服用する必要がなかったという人が少なくないらしい。

*動物に与えると食欲が落ち、やせてしまうという謎の物質レプチン。ネズミを使った最初の実験には驚かされるが、遺伝子異常のある子どもへの注射結果は興味深い。この物質が今後どのような展開を見せるのか追ってみよう。

*むかし低インシュリンダイエットの本を読んで少し実践しているが、あれは効いているのだろうか…。本書の内容と照らし合わせれば、科学的根拠には問題なさそうだが。むしろ、実践してなかったらもっと悪くなってたのだろうか(笑)。

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2007年7月 6日 (金)

号泣する伏線はできていた―「一瞬の風になれ 第二部」

 2007年本屋大賞を受賞した、陸上青春小説の2巻。

 あと1巻あるので最終的な感想はそちらにまわすが、イイ。実にイイですよ。

一瞬の風になれ 第二部 一瞬の風になれ 第二部

著者:佐藤 多佳子
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 守屋キャプテン最後のインターハイと引退のくだりで、号泣(笑)。いや、先輩の引退にかこつけた単純なお涙頂戴だったら、号泣はしないですよ、涙は出るかもしれんけど(出るんかい)。

 責任感の強いリーダーに、自由奔放なエース、純情でひたむきな努力家、お調子者の後輩という、各キャラクターの性格づけがまずいい。次に、こんなバラバラな個性をひとつにつなげるリレーという競技が、これ以上ない舞台装置になってる。で、守屋さんが個人戦で敗退したときの、「守屋さんは泣かない。守屋さんが泣くのは、一度も見たことがない。見たくない。想像もつかない。」という主人公の言葉。

 うますぎるんだよ!!(笑)

 詳しくは書かないが、さらに感動を盛り上げる仕掛けがあって(p108)、もうすべてがぴったりはまってる。この引退シーンで終わってもいいんじゃないのと思うくらいだ(笑)。

 ともあれ、早いとこ3巻を読まねば。主人公たちの成長が楽しみだ。主人公と谷口さんのほのかな恋の行方も気になるし(笑)。

1巻の感想

3巻の感想

[MEMO]------------------------------

*あだち充にはいろいろ名作があるが、最高傑作はずっと「ラフ」だと思っていて、何年かに一度、必ず読み返してしまう。これまた重大なネタバレになるので書かないが、この2巻を読んでいて、「ラフ」のとある場面を思い出してしまった。両方読んだ人ならわかってくれるはず…。

ラフ (1) ラフ (1)

著者:あだち 充
販売元:小学館
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2007年7月 4日 (水)

小説に最適の部活かも―「一瞬の風になれ 第一部」

 身も蓋もないことを言うと、「バッテリー」(あさのあつこ)みたいなのが読みたいなー、と思って買った。そういうのはきっと私だけじゃないはず(笑)。

 しかし、まだ1巻を読み終えただけだが、中身はいい意味で似て非なるものだった。

一瞬の風になれ 第一部  --イチニツイテ-- 一瞬の風になれ 第一部 --イチニツイテ--

著者:佐藤 多佳子
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 

 陸上という題材がいい。野球より万人向けなんじゃないか(むかし「バッテリー」を女性に薦めたら「野球知らないからいいです」って言われた(笑))。

 スタート前の緊張、加速するまでのもどかしさ、トップスピード時の爽快感、スタミナ切れしたときの苦しさ。そして、どうあがいても自分では追いつけない、「速さ」の存在―。

 陸上部に入ったことのない人でも、学校の体育で「走る」体験をしているので、それをもとに主人公の感覚をリアルに感じることができる。そこがこの作品の強味だと思った。

 あとはまあ、第二部(2巻とは言わないのね)以降を読んでからにしよう。第一部のヒキがこれまたうまくて、ほんとは感想とか書いてる場合じゃないのだ(笑)。第二部で2年生、第三部で3年生と進級してゆくのだろうか。もしそうなら、実に燃えるなあ。

2巻の感想

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2007年7月 3日 (火)

鉄は熱いうち?―「男の子の鉄ちゃん脳は0歳から始まる」(AERA 2007年7月9日号)

 男の子、0歳、鉄ちゃんときた。ジェンダー、生まれか育ちか論争、鉄ちゃんのこだわりと、四方八方に向かって火の粉を飛ばしてる。これを読んでみんなが素直に納得するとはとても思えない(笑)。

 少なくともこの手の話をいま活字にするなら、「うちの子はやっぱり男の子なんで、電車とか好きでねえ」っていう日常会話レベルをきちんと超えなきゃつまらないと思う。

 男の子の鉄道好きは、生まれつきそうなのか?それとも、親が電車のおもちゃとか与えちゃったから、そうなったのか?ということは、普通の家庭では区別できない。そんな男の子にはたいていの場合、親が電車のおもちゃを与えてしまっているからだ。当の本人に欲しいかどうかを確認せずに(笑)。

 だから、男の子の鉄道好きは、先天的にそうなったのか後天的にそうなったのかを、日常観察できちんと確かめることはなかなか難しい。そこで、コントロールされた実験状況下で赤ちゃんを調べた研究がいろいろ存在するわけだ。この記事はそういう研究にはほとんど言及しておらず、全体的には、まあ日常会話レベルでおしまいかなあという感じ。

 ところが、その中でひとつだけ面白い話が登場する。ジェンダー論の研究者、加藤朋江氏の2歳になる長男のエピソードだ。加藤氏は、

男性と女性とは、生まれついての身体の差異というよりも、それを根拠にした文化によって後天的に差異が広がるという考え方にこれまで親しんできた。

 ところが、性差を意識させずに育てたいと思った2歳の長男が、勝手に鉄道好きになってゆく。そのため、

この子を通じて電車の世界を垣間見、私が所属している場所とは違うジェンダーの世界があることを知るにいたった。

 生まれつきの性差を極力否定しようというサイドの人から、こんな率直なエピソードが出てくるのはたいへん意義がある。表情研究の第一人者、ポール・エクマンはこう言っている。

行動科学で発見されるものは、科学者の期待に添うよりも添わなかったときの方が信用できる。(「顔は口ほどに嘘をつく」P42)

 どんな人でも、「自分の見たいものしか見ない」という不正なフィルターをもっているので、それをくぐってきた「期待に添わない」結果は、逆に非常に価値が高いということだ。だから、加藤氏の記述は実験的なコントロールも何もない日常観察の結果だが、じゅうぶんに興味深い。これは思わぬ掘り出し物だった。

 ご長男の将来が実に楽しみだ。いっそのこと教育の効果によって、この先、人形好きとかに育ったりしないかな(笑)。

[MEMO]------------------------------

*この記事では、5歳から9歳くらいまでの男の子の鉄道好きエピソードが紹介されるのだが、もうそれが強烈すぎて。将来が不安になるくらいすごくオタク(笑)。鉄道に限らず、これだけの熱意でオタク的に物事を極める傾向って、小さな女の子にあるのだろうか…、とも考えてしまう。

*この記事でも登場する、サイモン・バロン=コーエンは、生後1日の段階で、男の赤ちゃんは機械的に揺れるモビールを見ることを好み、逆に女の赤ちゃんは人の顔を見ることを好むことを明らかにしている。

 また、英米の研究者グループがベルベットモンキーのおもちゃの好みを観察した研究では、オスはトラックといった「男の子的なおもちゃ」、メスは人形といった「女の子的なおもちゃ」で遊ぶことが多いことが報告されている。

 こうしたデータは、大人で観察される「好み」の性差が社会的影響によって決まるという考え方に反するように思われる。また脳の構造に関しても、男性と女性では前頭葉から後頭葉まですべての葉で、ある部分は男性が大きく、別の部分は女性が大きいという解剖学的な差がみられるという。(日経サイエンス2005年8月号)

*ただ、これをただちに男女の能力差に結び付けるのは、短絡的すぎる。茂木健一郎も「脳とコンピュータはどう違うか」の中で「世間で喧伝されている男女の脳差うんぬんの議論を鵜呑みにすることは大変危険だ」と述べている。

 泥沼になりそうなのでもう止めるが、要はバランス、ということでしょう。

*佐々木倫子・綾辻行人による推理マンガ「月館の殺人」は、鉄ちゃんは生まれつきか否か、という検討にはあまり役に立たないけれど、一般女性と男性の鉄道に対する態度の違いをよく表しているのでは。

 舞台は冬の北海道。吹雪の夜、豪奢な調度を備えたSL車内で、人が死ぬ―。

 っていうサスペンスフルな話なのに、どこか緊迫感に欠ける。それは、佐々木倫子の持ち味か?いやいや、それは、あまた登場する、ファニーな鉄ちゃんたちのせいだ!!(笑)

月館の殺人 上  IKKI COMICS 月館の殺人 上 IKKI COMICS

著者:佐々木 倫子,綾辻 行人
販売元:小学館
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2007年7月 1日 (日)

犯人は、だれか―「私はなぜ社説を盗用したか」(論座2007.7月号)

 なぜ社説を盗用するのか。それは、究極的には、自分で書く力がないからだろう。

 でもそれだけだと、1ページももたずに話が終わってしまう。この手記を書いた小林広という人が、10ページ以上にもわたって何を訴えるのかに興味をもって読み始めた。

論座 2007年 07月号 [雑誌] 論座 2007年 07月号 [雑誌]

販売元:朝日新聞社出版局
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 筆者・小林広は、山梨日日新聞という地方紙で、論説委員長として社説を執筆する立場にあった。彼の手による社説に、他の新聞などからの盗用があることが明るみに出たのは2007年2月。社内の調査により、3年ほどのあいだに16本の盗用を含んだ社説を書いていたことが判明。彼は調査結果が出されると同時に、新聞社を懲戒解雇された。

 私の感想では、この手記で訴えられていたのは、地方紙が独自の「社説」をもつことがどれだけ困難かという現状であった。

 まず知らなかったのが、国内外のニュースを各新聞社に配信する共同通信社から、「資料版論説」という社説のタネが毎日配られているということだった。地方紙にはこれを少し修正しただけで社説として載せているところが結構あるらしい。山梨日日新聞も過去には、行数調整だけしてほぼそのまま掲載していたという。

 そもそも、人手の少ない地方紙は、県外のテーマについては独自取材をするのが大変だ。また有力紙であれば何人もの論説委員をかかえて合議制を敷くことができるが、地方紙では論説委員に多くの人員を配置することも難しい。国内外のあらゆるテーマに独自の「社説」をもつことは、どだい無理とまでは言わないが、実現のためのハードルはかなり高い。だが共同通信社の論説を使い回して「社説」を名乗るのも読者への欺瞞だ。

 そこで筆者は、社説の改革をおこなった。毎日「社説」を掲載するのをやめ、週の半分は共同通信社の評論と、山梨ゆかりの社外執筆者の寄稿を「時評」として載せるようにする。「社説」の量を減らし、質を高めたわけだ。

 しかしこの改革に対して、OBを含めた社の内外から、批判的な声が寄せられる。

「社説のない新聞なんて、新聞の名に値しない」

「言論機関としての役割を放棄してはならない」

「へたでもいいから毎日、社説を書け」

 いやー、これらの発言だね、この事件の潜在的な「犯人」は。そんなに言うなら、他の社説を書ける人間と入れ替えるか、人員を増やすかするべきだろうし、できないなら渋々でも見守ってやればいい。あと3番目の発言はある意味正しいけど、へたなの書いたらそれはそれで文句言うでしょアナタ(笑)。

 しかし、こうした意見を受けてか、山梨日日新聞は社説の改革を3か月ほどでやめ、週に6日間「社説」を掲載することを決める。ほとんど前と同じ体制でだ。こうして改革が頓挫して以降は、坂道を転がり落ちるように、彼は他人の記事を切り貼りする盗用に手を染めていったということだ。

 この筆者をかばおうとまでは思わない。彼には確かに毎日「社説」を書く能力がなかったのだろうし、執筆に困ったからといって盗用をやっていいということにはならない。

 しかし、山梨日日新聞の「社説」のシステムはあまりにお粗末で、それにも関わらず新聞としての体裁にこだわる意見が出てくる様は、滑稽ですらある。この人は哀れにも、その歪みのツケをひとりで払わされたといえるだろう。

 なお、山梨日日新聞は現在、週に3回、社外執筆者の寄稿を掲載しているとのことだ。

[MEMO]------------------------------

*私が子どもの頃愛読していたあの地方紙はどうだったんだろう。社説は全然読んでなかったけど(笑)。会社が悪者みたいな論調になってしまったが、地方紙が独力で提供し続けられるコンテンツには限界があって、それ以外の部分はうまく切り詰めていかないと経営が成り立たないのだろうかね。

 だったら真に問題なのは、必要な改革を拒む「プライド」だろう。厳しい現実に対して目隠しして、社会の公器としてのメンツばかりにこだわる意識が最大のガンなんじゃないか。

*ちなみに私は本や雑誌の感想を書くとき、他人の意見を極力見ないようにする。そうしないと書けないから。だから、「他にも同じこと言ってる人いっぱいいるよ」というような陳腐な内容になる場合もある(ていうかそんな場合ばかりだろう)と思うけど、自分の中から必死に取り出したオリジナルのつもりでありますので平にご容赦を。

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