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2007年9月

2007年9月29日 (土)

もし医者も患者も「死」を容認したならば―「破裂 上・下巻」

 医者も患者も、「生と死」をめぐって、それぞれに宿命的な二律背反を抱えていると思う。

 医者は患者の命を救うために努力する。しかしその裏で、たくさんの実験動物を殺し、技術が未熟なうちは人の命さえ奪うことがある。

 一方、患者は生きたい。誰だってそうだ。でも、老境に入ったとき、ボケるとか寝たきりとかでみっともない姿になって他人様に迷惑をかけるくらいなら、いっそポックリ死にたいと思う人も多いだろう。

 ふつう、両者は「生」への希求において一致して協力する。だがひょっとすると、「死」への容認でも両者の利害は一致することがあるのではないか?

破裂 上 (1) (幻冬舎文庫 く 7-2) 破裂 上 (1) (幻冬舎文庫 く 7-2)

著者:久坂部 羊
販売元:幻冬舎
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 この小説は、「大学病院のウラは墓場」の作者による小説第2作だ。あの本では医療現場が抱える大小さまざまな問題点を医者ならではの視点で冷静に分析してあって、考えさせられるものがあった。

 日本はなぜ長寿世界一なのか。作中に登場する一人の医師が興味深い説を唱える。

「日本の老人は、脳の血管は弱いからすぐ脳梗塞や脳出血で寝たきりになるが、心臓が強いから、寝たきりになってもなかなか死なないんですよ」

 その真偽はさておいて、長寿+出生率の低下で、今の日本は未曾有の高齢化社会であることは間違いない。人口ピラミッドが、逆さになったごときの状況である。このピラミッドを正常化するにはどうしたらいいのか?

 普通の答えは「出生率を上げる」だろう。だが、この小説に登場する厚労省の官僚・佐久間の答えは違う。「老人を減らす」だ。厚生族のドンと言われる国会議員の後ろ盾を得て、彼は密かに「プロジェクト天寿」と題した計画を立ち上げる。

 その最終目標は、「安楽死の合法化」である。その実現に向けて彼が繰り出す方策は、医療施設の許認可、研究資金の配分、マスコミの情報操作など多岐にわたる。官僚が本気になったら何でもできるんじゃないかと思わされる。

 そこに、医療ミスの内部告発に臨む医師と看護師、正義感と功名心に駆られた医療ジャーナリスト、教授選を控えて自らの汚点を隠そうとする医学部の助教授、医療裁判に賭ける遺族などが複雑に絡み合う。彼らの思惑で何度も物語はうねり、上・下巻を読み通すのもまったく苦にならない。

 物語の最後で、ある登場人物は救われ、ある登場人物は闇に堕ちる。それらの結末には、医療における「死」をいかに扱うべきかへの作者のメッセージが込められているように思う。それは、「死」への容認において医者と患者が安易に一致することをよしとしない、作者の医師としての意思表明ではないだろうか。

[MEMO]------------------------------

*安楽死とか医療ミスとか、本書で取り上げられている医療をめぐる問題は、本当に一筋縄ではいかないね。医療ミスについて本書では、(実際にあったことかどうかはわからないが)医療現場でのずさんな実態がいくつも紹介されている。

 乳癌手術中、リンパへの転移を見つけたが、摘出するのに鎖骨を外したりするのが面倒だから手術を終えるとか。手術後に残った針をカウントして数が合うか確認するとき、行方不明の針が出てきても強引にOKと記録に書いてしまうとか。

 私は、こうした怠慢や高慢から生まれる、「医の本質」に背く明らかなミスは咎められて仕方ないと思う。

 ただその反面、「医療ミス」というものの中には医者を責められないものがたくさんあるとも考えている。人は誰しもミスを犯すものであるし、またミスを誘発するような医療制度の欠陥も存在するからだ。本書で医療裁判の被告となった医師の言葉にも、また考えさせられるものがあった。

治療に百パーセントを期待されたら、とても保障などできない。医療にはあらゆる不確定要素がつきまとう。命を失う罪は重い。しかし、命を救ったとき、同じだけの評価があるのか。命の賠償金が五千万なら、救命の褒賞も同じにしてほしい。かけがえのない命を救ったのだから。

破裂 下 (3) (幻冬舎文庫 く 7-3) 破裂 下 (3) (幻冬舎文庫 く 7-3)

著者:久坂部 羊
販売元:幻冬舎
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2007年9月28日 (金)

「見立て」ができるのは作家の強味―「二人道成寺」

 ここのところ松井今朝子を読んで、日本の伝統文化について知らなさ過ぎなのを改めて痛感したので、まあもうちょい親しんでみるかと、歌舞伎を題材にしたミステリーを読んだ。

二人道成寺 (文春文庫 こ 34-2) 二人道成寺 (文春文庫 こ 34-2)

著者:近藤 史恵
販売元:文藝春秋
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 登場人物は、歌舞伎役者とその裏方、そして私立探偵。ミステリーの中心となるのは、一人の若手女形の家で起きた火災と、彼の妻をめぐる謎だ。そこに、彼と並んで注目されるもう一人の女形との微妙な関係を織り込み、梨園の特殊性も絡ませる。厚い本ではないので、一気読みできる。

 ミステリー本編の謎に歌舞伎の有名な話をなぞらえて、登場人物の感情の機微を映し出すところが、やはりこうした作品のキモだろう。本作には、主に3つの話が引用される。

 「摂州合邦辻」は、義理の息子を愛した女の話。ただ、その女の心が真に奈辺にあったのか、幾通りもの解釈ができて、奥深い。

 「野崎村」は、祝言まであげようとした男に好きな人がいることを知って身を引く女の話。これまた、その女をいじらしいと思うかどうかは解釈が分かれる。

 そして「道成寺」。これは安珍清姫の悲恋の物語としてつとに有名だ。

 ミステリー本編のメインとなる謎が明かされたとき、こうした歌舞伎の話が「見立て」としてうまくはたらいて、登場人物たちの心情がこちらに伝わってくる。

 こういう「見立て」のきく話に精通していることは作家として大きな強味だよね。登場人物の心情を直接語るような下世話な真似をしなくても、「わかる人にはわかる」って感じで粋にニュアンスを伝えることができる。

 あと特記事項として、探偵が何もしない(笑)。いやちゃんと仕事をしてるんだけど、頭の冴えでなんとかするんじゃなくて、地道な調査で解決にいたるという、これって現実そのまんまですよね的な仕事ぶり。これはある意味、新鮮だった(笑)。

[MEMO]------------------------------

*たとえば、神話や民話・言い伝えとか、聖書や仏典などの宗教的な話は、作品世界に「見立て」として引用されると、なんかやたらとすごそうな印象を生むよね。いにしえの頃より運命は定められていたのか、とか、人間の本質は変化していないのか、とか。CLAMPのマンガやエヴァなんかは、その最たるものだと思う。

 こういう「見立て」の素材って他にないかなあと考えてみたが、手つかずのものはなかなかない。歌舞伎はまだまだ鉱脈があるなあと思う。あ、その流れでいけば落語があるか。私は見てないけど「タイガー&ドラゴン」はかなり評判が高かったし、いい目の付け所だよなあ。

 あとは…珍しいところで詩があるかな。ダン・シモンズ「ハイペリオン」シリーズは本当に面白かったけど、あれはジョン・キーツの詩を下敷きにするという、あまり見たことのない「見立て」だった。よく考えてみたら、シェークスピアなんかもそうだけど、海外におけるやや新しめの古典(神話とかと比較してってことだけど)として、日本での歌舞伎や落語なんかと似た位置づけで「見立て」の素材に使われ得るのかもしれない。

ハイペリオン〈上〉 (ハヤカワ文庫SF) ハイペリオン〈上〉 (ハヤカワ文庫SF)

著者:ダン シモンズ
販売元:早川書房
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2007年9月27日 (木)

これも何かの縁だ、閉店まで付き合うぞ!―「オーレ! 1~4巻」

 新しいお店を見つけて入ってみたら、メニューも雰囲気もいい。気に入って何日か通う。その矢先、店の人から「今月で閉店なんですよ」と告げられる。なんとも間の悪いことである。

 私とこのマンガの出会い方が、ちょうどそんな感じだった(笑)。

オーレ! 1 (1) Book オーレ! 1 (1)

著者:能田 達規
販売元:新潮社
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 「なんか新しいマンガを開拓しよっかな」と思い、巷でたまにイイうわさを見かけるこのマンガを手に取った。この作者には、なんといっても「ORANGE」がある。あれは熱いサッカーマンガだった。というわけで、いま出ている1~4巻を購入してきた。

 話は、千葉県上総市という架空の地方自治体に勤める公務員が、地元のJリーグクラブ・上総オーレへの出向を命じられるところから始まる。

 Jリーグクラブといっても、J2でも下位に甘んじる弱小クラブだ。施設、集客、経営などにまつわる厳しい現実を目の当たりにし、主人公の身に染み付いたお役所感覚やプロサッカーに抱いていた幻想が粉々に砕かれる。だが、最初はしょせん出向先での研修と割り切っていた主人公が、チームを支える人々の熱気に触れ、いつしかこのクラブをもっともっと強くするために、誰よりも熱く奮闘することになるのだった―。

 このストーリー、ひと言でいえば、サッカー版「県庁の星」だ。

 サッカークラブを支える裏方の仕事振りが緻密に描かれているし、相変わらずこの作者の試合描写はクるものがある。J2残留戦なんか、試合展開としてはベタ中のベタだけど、泣けた。

 で、4巻まで読み終えて、さあ、これで来季以降は上を目指して少しずつステップアップする番だな、どうやら大きな資金も入りそうだし、しかしかなり長期連載にしないとゴールまでは行き着かないなあ、などと思っていたら、掲載誌では次回で連載終了だという。

 …よくあるんすよ私。好きになったとたんに別れを告げられる的なことが。さよならだけが人生だ。とほほ。

 この作品、まだ消化しきれていない要素(主に人間関係)があちこちに残されている。どんなラストを迎えるのか、せめて最後まで楽しみに待ちたいと思う。

[MEMO]------------------------------

*しかしバンチは梅川和実「ガウガウわー太」といい渡辺保裕「ワイルドリーガー」といい、まだまだ先がありそうなマンガをざっくり打ち切るという所業において、近年のジャンプの比ではない冷酷さと不可解さがあると思う。(それにしても、富樫義博「HUNTER×HUNTER」さえ帰ってくるのを待ってあげるという生温かさはいつ頃発生したんだろう)

 「ワイルドリーガー」はいま見たら、新潮社から徳間書店に版権が移って再販されているみたいだ。うーむ、まさにレッツプレイツー!

ワイルドリーガー 3 驚異のスラッガー篇 (3) ワイルドリーガー 3 驚異のスラッガー篇 (3)

著者:渡辺 保裕
販売元:徳間書店
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2007年9月25日 (火)

親子は似るからいいのだと思う―「『親子は似る』のウソ・ホント」(日経Kids+ 2007年10月号)

 ある「体のつくり」や「心のはたらき」を遺伝子が決めている、ということと、親と子が似る、ということは同じではない。

  「日経Kids+」の10月号に、この両者の違いをすっきり説明して、親から子への遺伝に関する誤解を解くようなわかりやすい特集が組まれていた。

日経 Kids + (キッズプラス) 2007年 10月号 [雑誌] 日経 Kids + (キッズプラス) 2007年 10月号 [雑誌]

販売元:日経ホーム出版社
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 その人が持っている遺伝子で、体や心の有りようがある程度決まることはあるけれども、子どもが受け継いだのは、父親と母親の遺伝子の半分ずつだ。その組み合わせ方によって、親たちとは違った新たな性質が生まれることは十分にある。これが大原則だ。

 この雑誌の特集は、遺伝の基礎知識から始まって、語学・芸術の才能、頭の良さ、性格・気質などの「心のはたらき」の遺伝と、体形・体格、体質、運動能力などの「体のつくり」の遺伝を網羅的に紹介している。専門的に高度な踏み込み方はしていないが、各分野の専門家にしっかり話を聞いていて、「いい加減な内容にはしないぞ」という姿勢がうかがえる。

 「心のはたらき」については、以前紹介した安藤寿康「心はどのように遺伝するか」と内容が重複するところもある(彼自身も取材を受けている)。新しく知ったことで興味を引いたのは、本筋から少し逸れるけど、子どもの頃むちゃくちゃいろんなことを記憶できたよなあ(今はさっぱり)、と経験的に感じてたことに、科学的説明がなされていたこと。

 それは、長期学習が成立する際に脳内で重要な役割を果たすと考えられているNMDA受容体(ナトリウムイオンとカルシウムイオンを通す。カルシウムイオンが通らないと神経回路の長期増強が起こりにくくなる)に、胎児型と大人型があるという説明だ。胎児型は非常に効率よく記憶できるのだが、成長するにつれてその組成は、効率の悪い大人型に自然と変わってしまうという。これがおそらく、子どもの頃の驚異的な学習能力に関わっているのだろう。

 「体のつくり」は知らないことが多くてタメになった。親子間の相関を調べると、子どもの身長は同性の親と相関し、体重は母親と相関する。また、細胞の代謝に関わり運動能力にも影響するミトコンドリアは、原則的に母親由来だという。てことは、ヤワラちゃんの息子さんはかなり期待できるねえ(笑)。

 あと、双生児研究から、50m走や幅跳びのような瞬発系の運動は遺伝的要因が強く、1500m走や反復横とびなどの持久系の運動は遺伝的要因が弱いことがわかっているらしい。

 これは、瞬発力に関わる速筋と、持久力に関わる遅筋の割合は遺伝で決まっていることに関係がある。トレーニングで筋繊維を大きくしたとき、速筋は遅筋のような性質に変わってしまうのだ。そして逆は起こらない。つまり、持久力はトレーニングという後天的な要素で伸ばしやすいが、瞬発力は持って生まれた速筋の量が大きく影響しているということだ。

 その他、ハゲるかどうかや、まぶたが一重になるか二重になるかといった、様々な「体のつくり」が親から子に遺伝する仕組みが紹介されており、なかなか飽きさせない特集になっている。

 「みにくいアヒルの子」じゃないけど、やっぱり親の素朴な感情として、自分と似ててこそ子への愛情も強まるというものだろう。ちょっとうがった見方かもしれないが、親からの養育を確実にするという意味で、遺伝子をかけ合わせて両親にほどよく似た個体を作るという両性生殖の仕組みは、ほんとよくできてると思うわぁ。

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2007年9月20日 (木)

男は恋に恋焦がれて吉原へ―「吉原手引草」

 いやはや面白い。直木賞の名に恥じない。この作者の引き出しは深いなあ。

吉原手引草 吉原手引草

著者:松井 今朝子
販売元:幻冬舎
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 同じ作者の作品で、先に「仲蔵狂乱」を読み、この後「辰巳屋疑獄」も読んだ。それらは、ひとりの人間の生涯を軸に、史実をまるで見て来たかのように活写する作品だった。ひとりの生涯を追うということは、物語上の時の流れも自然と速くなる。次々と事件が起きては終結し、「時代劇版ジェットコースタードラマ」とでも言うべき面白さがあった。

 それに対して、本作。こちらの時の流れはほぼ止まっている。江戸の吉原で栄華を極めた花魁・葛城。彼女をめぐって起きた「事件」について、その周囲にいた関係者から話を聞き出して、薄皮を剥ぐように少しずつ全貌を明らかにしてゆくという物語だ。地の文はなく、すべて談話のテキストだけで書かれているという、凝った趣向のミステリだ。

 また、吉原に行ったことのない男がどう登楼して花魁と馴染みになってゆけばいいのか、初手からわかるように構成されている。ちょっとずつ吉原の仕組みを知り、「事件」の重大さがわかってくるという寸法だ。締めもぴったり「腑に落ちる」。実にうまい。

 それにしても、廓遊びはたいへんだね。何をするにも金が入り用。容姿や風情も粋じゃなけりゃ花魁に好いてもらえない。おまけに、引く時は引き、押す時は押すという駆け引きの腕まで必要だ。つまりは、男の全存在が試される。

 それで思ったのは、「これって現代の普通の恋愛だよね」ということ。現代で一般の女性と恋愛しようと思ったら、真実、このくらいはたいへんなわけです(笑)。「吉原」という響きから、現代のホステス遊びと似たようなイメージがあったが、案外普通の恋愛の方が近いのではないだろうか。

 考えてみると、江戸の頃は、武家や商家なら家のためになる結婚が強制されるし、一般の町人なら周囲が世話して若い男女を娶わせるのが普通だった。押しなべて、自由恋愛が今よりも起こりにくい世の中だったといえる。

 それだから、現代人だったら世間でやれるような、惚れた腫れたの男女の駆け引きをしたくて、男はわざわざ吉原に行ったのではないか。お金を払ってまでそんなたいへんな思いをするなんて、と思うけど、そういう欲求を満たし得ない時代を現代人の私は体験的に知らないから、そんな風に思うのかもしれない。

 最後に。この作品は、「仲蔵狂乱」や「辰巳屋疑獄」といった史実物と比べ、(面白さはそれぞれにあるけれど)技術点は一等高い。直木賞を獲ったことにまったく文句はない。

 だけど、北村薫「玻璃の天」はそんなに落ちるかなあ。まあファンの繰り言ではありますが、何だかまた残念になってきた(笑)。

[MEMO]------------------------------

*花魁をひとり身請けするのって、本当にたいへんなお金がかかるものだね。村上もとか「JIN」の花魁・野風のように、身請けが破談になっても円満に廓を出られるなんて、普通じゃおよそあり得ないことのようだ。

 花魁が廓から勝手に抜けることは決して許されない。「吉原手引草」には、客と駆け落ちを計画してばれた花魁は、素っ裸で梯子に縛られ、尻や背中の肉が裂けるほど青竹で繰り返し打ちすえられるとあった。

駆け落ちを失敗(しくじ)ったら、こうしてとことん痛い目に遭わせて、それがいかに割に合わないかをまわりに思い知らせるんですよ。ああ、たしかに仰言えす通り、それでも駆け落ちしようとする者はあとを絶ちませんがねえ。

 だがそれでも駆け落ちするときはするのだ。そこに女の業が見える。と同時に、こうした環境の中だからこそ、本作の「事件」の顛末が、いっそう清々しいものに感じられるのである。

JIN―仁 (第1巻) JIN―仁 (第1巻)

著者:村上 もとか,酒井 シヅ,富田 泰彦,大庭 邦彦
販売元:集英社
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2007年9月19日 (水)

平和の下に埋まっているもの―「夕凪の街 桜の国」

 核について科学的に勉強した後は、文学的に接するのがちょうどいい。すでに知れ渡っている作品だが、私は今回初めて読んだ。最高に文学的というか、それ以上と思った。

夕凪の街桜の国 夕凪の街桜の国

著者:こうの 史代
販売元:双葉社
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 普通の人が普通に生きることを、何かが無理矢理やめさせるとしたら、それはすべて「悪」だろう。犯罪しかり、事故しかり、天災はちょっと微妙だけど、原爆しかり。

 これらを「絶対悪だ」とか言うほどナイーブじゃないし、「必要悪だ」とか言うほどクールにもなれない。これらは単に「悪」と呼ぶべきだと思う。

 ヒロシマ、ナガサキに落とされた原爆をめぐっては、主に日米からいろいろな言説が出ている。

 「戦争だからしょうがない」「降伏せずに抗戦したからしょうがない」「もっとも効果的に終戦をもたらす方法だった」

 すでに起こってしまった現実と妥協的に手を結ぶという意味合いで、原爆についてこうした言葉が出てくるのは頭では理解できる。ある面では真実を射抜いているともいえるだろう。しかし、ぬぐいがたい違和感が、深く深く残る。

 それは、戦争を始めることや抗戦を続けること、そして戦争を終わらせることのどれひとつとして、ヒロシマやナガサキで原爆に灼かれた人が決めることはできなかったからではないだろうか。そういう無力な人間の命をやり取りして、今日の「平和」がもたらされたのである。

 その平和の…なんと美しいことか。本作でそれがよく表れているのは、現代編での、七波の闊達な生き方や、凪生と東子の関係の麗しさだ。その一方で、被爆した皆実や京ちゃんが、いっときつかんだけれど、すぐに手放さなければならなかった儚い幸せの描写に胸が詰まる。

 なぜ普通の生活を奪われ、なぜ死ななければならなかったのか。およそ説明がつかない無数の屍体の上に、麗しき平和は咲き誇っているのだ。

嬉しい?  十年経ったけど  原爆を落とした人はわたしを見て  「やった! またひとり殺せた」 とちゃんと思うてくれとる?

[MEMO]------------------------------

「核兵器のしくみ」には、原爆の根本原理である核分裂連鎖反応の中で、人体に害をなす放射線がいかに放出されるのかが説明されていた。ウランの核が分裂する際に、放射線源となる分裂片が数多く発生するが、そのひとつにストロンチウム90がある。この元素の核は中性子が過剰気味のため、ベータ崩壊を起こし放射線のひとつであるベータ線を放出する。これは電子の流れであるので、体の細胞内にある原子と電気的に反応して、細胞をガン化させる。

 ストロンチウムはカルシウムと同じ属にあり、化学的性質が似通っているため、人体はこれらを区別することができない。カルシウムが骨に吸収されるのと同様に、ストロンチウム90も骨に吸収されてしまう。骨の中でストロンチウム90はベータ崩壊を起こして、骨のガンや白血病を引き起こす。

 ストロンチウム90がベータ崩壊により最初にあった量の半分に減るまでの時間(半減期)は28.8年とかなり長い。そして、この期間の長さを人為的に変えることは不可能である。一度取り込まれれば、長きにわたって人体に害を及ぼすことになる。

 夕凪が何度終わっても、被爆の影響は残り続けるのだ。

*本文の最後で引用したのは、死にゆく皆実のセリフだ。これに対して、「加害者たちとてそこまでは想像できなかったはずだ、それを殊更に訴えるのは行き過ぎた被害者意識だ」と感じる人もいるのではないかと思う。そう、原爆がこれほどの被害をもたらし、その影響が長きにわたって残ることは、アメリカ側の想像をも超えているのかもしれない。

 でも、だからこそ、「自分の想像を超えるような代物を使うな」と言いたい。

*荒唐無稽な雑感だが、科学は発展の方向性を間違ったかなあ、という気がする。原子力を現実に活用する方向に突き進まなくてもよかったんじゃなかろうか、と。(これはもちろん、原子力発電が現代社会において必須の存在であることを踏まえた上で言っている)

 互いに核兵器を持ち合っていて誰も使えないから平和なのだ、という理屈は、子どもじゃきっとすぐに理解できないよ。あまり仲の良くない近所の家が銃を持ってるらしいから、ウチも銃を買って居間に置いとこう、とかいう状態なワケだ。普通に考えたらロクな世の中じゃない。

 ご近所トラブルと国家間の問題をごっちゃにするなと言う人があるかもしれないけど、歴史に残る非人道的所業は、権力者とごく少数の取り巻きの頭の中から発生することがきわめて多い。危険な隣人を抱える日本は、ご近所トラブルの結果、再びそうした所業の犠牲になる可能性が他国より高いと思われる。

 でも、もう核の技術は世界に広まってしまったからなあ。如何ともしがたい。この鬼子を半永久的に抱えながら、人類は生きていくしかないのか。

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2007年9月15日 (土)

核を考えるときの土台ができる本―「核兵器のしくみ」

 小さい頃、「はだしのゲン」を読んで衝撃を受けた。広島の原爆資料館には二度行った。チェルノブイリやJCOの事故報道にも接した。「核兵器」がキーになる映画やマンガもたくさん見てきた。

 でも、実際のところ、核とは何かがそもそもよくわかってない自分なのだった。

核兵器のしくみ (講談社現代新書) 核兵器のしくみ (講談社現代新書)

著者:山田 克哉
販売元:講談社
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 文系人間は、原子だの放射性物質だのについて、一度話を聞いてもなかなかおぼえきらないのであった。おぼえようという気合も不足してるかもしれない。

 たとえば、「原子爆弾」「臨界核実験」「放射能」「ニュートリノ」「核燃料再処理」「軽水炉」「高速増殖炉」「一次冷却水」「放射性廃棄物」「プルサーマル」「濃縮ウラン」「劣化ウラン」「プラズマ」「プルトニウム爆弾」「水素爆弾」「中性子爆弾」…。

 これらは、日々のニュースや何かの作品でよく目にする言葉たちだ。しかし私はその中身を説明することはちっともできなかった。

 そこで、この本だ。この本はすごかった。これらの用語がぜんぶわかる。

 もちろん、専門的な意味で理解できるというわけではないが、他人に説明できるくらいには、大まかな仕組みが把握できる。それは、この本のレベルが意識的にその程度におさえられているからであり、作者の意図はじゅうぶんに達成されているといえる。

 なにより、読みやすい。砕けた言い回しと、丁寧過ぎるくらいに繰り返される基本事項の説明に助けられて、気合いが不足がちの文系読者も置いてきぼりにならない。

 この種の科学的知識が欠けていては、核軍備や原子力発電の是非について考えても、土台がなくて足許がふらついてしまう。

 私と同じ悩みを抱えている方に、ぜひともお薦めしたい一冊である。

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2007年9月13日 (木)

超スケールの二段オチに出会う幸福―「ONE PIECE 47巻」

 単行本が出るごとに印税が1億入るというウワサの国民的少年マンガ、47巻。

ONE PIECE 巻47 (47) (ジャンプコミックス) ONE PIECE 巻47 (47) (ジャンプコミックス)

著者:尾田 栄一郎
販売元:集英社
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 前巻に引き続き、スリラーバークでの冒険が続く。新しい島に入って徐々にそこの全貌が明らかになってくる、このくらいの時期がいちばんワクワクするよね。その後の「ひたすら戦闘」パートは、毎度毎度新しいアイディアをよく持ち込むなあと感心はするけど、少々ダレる。

 何と言っても、この巻で特筆すべきはラブーンの伏線を回収したところ。12巻で出てきた伏線が47巻で回収されるって、かつてないスケールじゃないか?

 しかもただ回収するだけじゃなく、きちんと胸を打つエピソードに仕立ててある。12巻でルフィがラブーンを説得したときは、それだけでも成立する、イイ話になっていた。仲間は帰って来ずとも、俺とまた会おうぜ、と。

 なのに、その裏に、実は仲間はずっとラブーンを思っていたという、もうひとつの設定が用意されていたのだ。感動的な話である。

 つまりこれは、ものすごいスケールの二段オチだったわけだ。こんなことがやれるのは、現状このマンガだけだろう。長期連載に付き合ってきてよかったと心底思う瞬間である。

46巻の感想

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2007年9月12日 (水)

タイガー以降の敵役の難しさ―「風の大地 44巻」

 いつ行っても変わらぬわかりやすい味付けで安心させてくれる、町の定食屋のようなゴルフマンガなのであった。

 もう44巻かー。新刊は何部くらい売れてるのだろうか。普通に面白いんだけど、地味に長続きし過ぎて雑誌の掲載位置も常に最後尾だし、ひとりぼっちで読んでるんじゃあるまいかという不安がよぎる(笑)。

風の大地 44 (44) (ビッグコミックス) 風の大地 44 (44) (ビッグコミックス)

著者:坂田 信弘
販売元:小学館
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 もう長いことマスターズを闘ってきて、これまた長いこと最終日の模様を描いてる。何度も不運な(というか実にベタなアクシデントによる)2位に甘んじてきた主人公の沖田だが、さすがに今回は優勝するしかないだろう。

 ただ、どうも今回のメインの敵役であるオーウェン兄弟に、ライバルとしての魅力・迫力というか、「倒しがい」がなくて困る。暴れて暴言吐きまくるだけのパワー馬鹿の弟と、冷静で派手さに欠けるテクニック馬鹿の兄。こいつらに勝っても、いまいち箔がつかない感じ。まだどうなるかわからないけど、盛り上がりという点からいえば、シルバー・スコット・ウォーレンとアベル・コスタは優勝争いにぎりぎりまで絡んでほしい。

 …と、敵役のことを書いてふと思ったが、グレッグ・ノーマンの存在感がない(笑)。現実世界ではもう衰えてしまったのでしょうがないけど、マンガの中では沖田と熾烈な闘いをしてから一年くらいしか経ってないんじゃないのか。あれほどスゴい存在として描かれてたのに、長期連載の時の流れは残酷だ。

 森秀樹「青空しょって」でもそうだったけど、ゴルフマンガで強敵といえばノーマンをモデルにしとけば文句は出なかったわけです。あの風格のある強さは、発展途上の主人公が挑むのにふさわしかった。

 だがノーマンが下り坂になるのと入れ替わりに、ゴルフ界ではタイガー旋風が吹き荒れる。彼は現実にヒーローそのものなので、敵役として登場させるのは非常に難しい。マイノリティながら爽やかに勝ち続ける彼を、同じ有色人種であるところの日本人キャラが倒しても、カタルシスは得られにくい。

 だから「風の大地」では、シルバー・スコット・ウォーレンがいちばん格上の敵になっているのだろう。このキャラは、タイガーの強さをそのままに、人種を黒人から白人に反転させて、人種差別主義者的な性格付けで敵役に仕立て上げたものといえる。

 そのぐらいやらないと、タイガーはヒーロー過ぎて敵役にならないってことだろう。タイガー登場以降、ゴルフマンガは敵役に苦労してる。

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2007年9月11日 (火)

デビュー年にしてこの貫禄―「仲蔵狂乱」

 前にも書いたけど、第137回直木賞を北村薫が逃したのはファンとして残念だった。そのとき、「吉原手引草」で見事受賞したのが松井今朝子。彼女がデビューした1997年に書いた作品を読んでみた。

 正直、手に取ったときは、「玻璃の天」を落とした作者はどんなもんかなと値踏みするような邪な気持ちもあったけど、まあとにかく読んでみてからと、虚心坦懐で本を開いてみた。

 そしたら面白いのなんのって。

仲蔵狂乱 (講談社文庫)
Book
仲蔵狂乱 (講談社文庫)
著者 松井 今朝子
販売元 講談社
定価(税込) ¥ 790

 初代中村仲蔵という人の生涯を軸にして、江戸の歌舞伎界を活写する作品なんだけど、まずこの人を主人公に据えたことが成功のモトだろう。とにかく波瀾万丈を絵に描いたような人物なのだ。

 まず生い立ちからして、親の顔も知らぬ身無し子である。梨園にもらわれ、踊りを仕込まれ、子役から出世するも、とある顛末で舞台を去る。しかし市井で食い詰めて、いちばん下っ端の稲荷町と呼ばれる身分からやり直す。辛い下働きが続く。

 そこから、再び役者として認められていく過程がアツい。「朱雀の章」と作者は名づけているが、実際、読んでいて体の芯が燃えてくる。とくに、「仮名手本忠臣蔵」の定九郎役で一気に運をつかむあたりは、それまでの艱難辛苦があるから、大きなカタルシスが来る。

 だがその後も、一粒種の子どもを亡くしたり、「気の方」(今で言う、うつのようなものか)で舞台を休まざるを得なくなったりと、とにかく試練の連続だ。だが、着実に芸は伸び、世間の人気も上がる。

 最終的に彼が一年の給金にして文字通りの「千両役者」となるまでの道筋は決して平坦でなく、それゆえ読んでいて飽きるということがなかった。

 繰り返すが、この中村仲蔵を主人公に選んだところが、本作の成功のモトである。

 ただ、その選択は、作者の該博な歌舞伎界についての知識からすれば、きっと必然のものだったろうと思う。作者本人については長く歌舞伎の仕事に携わっていたということ以外よく知らないんだけど、歌舞伎界の仕組みや作品の詳細、関連する江戸風俗についての書き込みが、素人が一朝一夕には絶対に到達できないレベルなのだ。デビュー年にしてプロとしての貫禄(ヒレ)がある。

 だからきっと、中村仲蔵がいちばん「映える」と作者にはわかっていたんだろうと思う。

 それでも、他の役者たちも実に粋なのだ。とくに、五代市川団十郎と四代松本幸四郎は生い立ちや人物像も魅力たっぷりで、仲蔵と合わせて3人を主役格にした物語も、この作者なら必ず出来ると思った。デビュー年ならいざ知らず、直木賞も獲った今なら、そのくらいスケールの大きな話を書いても十分読者は付くんじゃないでしょうか。

[MEMO]------------------------------

*いや~、歌舞伎の世界にはやはり男同士の関係も普通にあるものなのですなあ。念者という言い方は初めて聞いた。勉強になる。

*はっきりとおぼえていないのだが、定九郎の扮装をそれまでと変えたというエピソードは、テレビの落語かなんかで昔見たことがある気がする。あれは仲蔵の話だったのか…?

*実は直木賞受賞作もすでに読んだ。感想はまた後日に。

*歌舞伎の世界は奥があって、なかなか深入りしようという気にはなれないのだが、こういう風に物語に仕立ててもらうと安心して楽しめる。もう10年以上前になるが、栗本薫「絃の聖域」がこの世界を題材にしていて、ミステリーとしてもさることながら、伝統と因習の世界の物語として興味深く読んだ。

絃の聖域〈上〉
Book
絃の聖域〈上〉
著者 栗本 薫
販売元 角川書店
定価(税込) ¥ 546

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2007年9月 8日 (土)

心理面から見た絶望的「冤罪システム」―「『うそ』を見抜く心理学」

 タイトルから、他人が嘘をついているときにどう見破るか的な本を思い浮かべるが、さにあらず。刑事事件の取調べの中で語られる嘘を暴くのが本書の内容だ。

 しかもその嘘は、犯人が自分を守ろうとしてつく「さもしい嘘」ではない。無実の人間が長く過酷な取調べにさらされ、無力感に打ちひしがれて、やってもいない罪を認めるという「かなしい嘘」がテーマである。

「うそ」を見抜く心理学―「供述の世界」から (NHKブックス)
Book
「うそ」を見抜く心理学―「供述の世界」から (NHKブックス)
著者 浜田 寿美男
販売元 日本放送出版協会
定価(税込) ¥ 1,124

 これはすなわち、冤罪の場面である。本書は、そこに必ず付きまとう「かなしい嘘」がなぜ生まれてしまうのかについて、取調べをする側とされる側の心理を鋭く分析したものだ。

 単に理屈を述べるだけでなく、豊富な事件例をもとに説明がなされるので、非常に具体的でわかりやすい。というか、怖い。まるで蟻地獄のように無実の人間を引きずり込んでいく「冤罪システム」が。

 無実の人が裁判を経て有罪になるなんてのは、普通に考えれば不自然なことだ。その不自然さには、大きく分けて2種類あると思う。

 ひとつは、「無実の人間が罪を認めて自白するのはおかしい」ということ。やってないなら認めなきゃいいじゃん、と。被告人がいったん犯行を認める自白をしたが、その後否認に転じたという報道をたまに目にする。そのとき、「じゃあなんで一度認めたの?」「ほんとはやってるから自白したんじゃないの?」という疑問が浮かぶ人も多いと思うが、それはこの不自然さを感じていることの裏返しだろう。

 もうひとつは、「無実の人間がすべての証拠や動機について矛盾なく説明できるのはおかしい」ということ。やってないんだから犯行内容も正確に知らないはずで、自白しようもないじゃん、と。もし変な自白が取られたとしても、裁判には被告人の味方である弁護士や、中立の立場で判断する裁判官もいるんだから、どっかで矛盾を見つけられるはずでしょ、というのが普通の感覚だと思う。

 しかしどちらの不自然さも、「冤罪システム」の中では特におかしいことではなくなる。

 前者の「なぜ自白するのか」については、まず、過酷な取り調べが被疑者を精神的に追い詰める。しかも、それに抵抗して否認を続けると、ひどい目にあうのである。

否認をつづけるかぎり、小さな事件でも身柄は外に出られないまま、起訴に持ち込まれ、保釈はつかず、裁判でも実刑を受ける確率は高くなる。大きい事件では情状酌量の余地なしとして、それだけで刑が重くなる。無実であっても、結果的には自白している方が有利だと言わねばならない状況が現実にあるのである。

 さらに、実際の犯罪者と違って、無実の人間には特殊な心理がはたらく。ちょっと長いけど出色なので全文引用する。

自分は問題とされている犯罪をやってもいないのに逮捕され、厳しい取り調べを受けている。そのこと自体が非現実的なことである。ここで自白をすれば有罪にされて刑罰を受けるかもしれない、死刑になるかもしれないということは、理屈ではわかっても、それを現実感をもって受けとめることができない。…だからこそ、ここでたとえ自白しても、自分はやっていないから裁判所でちゃんと言えばわかってくれるはずだ、とも思う。自分はやっていないという確信のゆえに、かえって自白への抵抗感は弱くなる。

 かくして無実の者は自白するのである。

 だが、上の引用にもあるように、最終的に裁判官が無実とわかってくれればいいのだ。もうひとつの不自然さ、「無実の人間が犯行を説明するときの矛盾」が裁判の中で明らかになれば救われるのである。

 しかし、ことはそう簡単ではない。警察、検察は裁判を有罪に持ち込むために抜かりなく準備をする。犯行内容をよくわかっていない(おそらく)無実の人間を取調官が手取り足取り導きながら、いかにして破綻のないストーリーを作っていくのかが、本書の実例でよくわかる。

 そうした、いわば「でっち上げ」を、裁判官は見抜けないのか?

 もちろん、見抜くときもある。でも、見抜けないときもある。その原因は、裁判の場でしばしば証拠採用の決め手となっている、「臨場感」のワナである。真実の体験者でなければとうてい述べえないような臨場感がある、という理由で自白供述の信用性が認定されたりするのだ。だが、取調べの中でみんなで知恵を出しあえば、そんな臨場感はいくらでも作り出せる。

 しかも、裁判官の人の子だ。誰にでもはたらく、ある心性を止められない。これを指摘したのもまた本書の白眉だと思う。それは、「臨場しようという構え」である。

 人は、自分で体験していないことを、言葉として受け取ってその場にいるかのように想像をめぐらすことができる。できる、というよりも、そうしようと常に待ち構えている。直接体験できないことも、臨場して味わうことによって、深く理解することができるからである。

(話の聞き手は)体験の当事者でないために、それを理解しようと、多分に想像力を働かす。そうして臨場感あふれる描写にしばしば乗せられ、話し手と同じように空間的、時間的パースペクティブを越えて、語られている現場についつい臨場してしまう。

 裁判官が自白の臨場感を見誤るときとき、その裏にはこうした万人共通の心性が影響していると思われる。

 …ということで、無実の者でもとにかく捕まえて来て、根負けさせて自白に追い込み、臨場感のある供述をでっち上げて起訴し、裁判官をうまく欺けば、有罪判決いっちょう上がりという、これが「冤罪システム」である。

 もちろん、こんなことはあってはならない。例外的な事例だ。だが本来、例外としてもあってはならないことなのだ。

 狭山事件、帝銀事件、甲山事件、袴田事件…。本書で取り上げられた数々の事件での供述作りの杜撰さと、その後の成り行きのむごさを見て、その思いを強くした。

[MEMO]------------------------------

*最近報道された冤罪事件では、富山で再審が始まった強姦事件もひどい。こっちの記事では、無実の人間から調書をでっち上げていく様子がよくわかる。

 このエントリでは、取調官がなぜそんな理不尽に及ぶのかは書かなかった。それは、本書にそうした記述が少なかったからだ(それでも、前に紹介した「証言の心理学」よりは言及があった)。そこに踏み込むとややもすれば俗っぽくなりすぎるので、この手の本では扱わないのかもしれない。

 そういうときは、フィクションを見るのもいい。朔立木「死亡推定時刻」は、虚偽の自白が作られる過程と、そこに関わる取調官の内面を知るのに、非常に有用な小説である。

*冤罪を疑われる事件の代表例である袴田事件については、1審を担当した元裁判官が「無罪の心証があった」と異例の告白をしている。

 本書によれば、確定死刑囚として獄中に40年近くとどまる袴田巌氏は、いま精神をおかされているという。もし本当に彼が無実なら(本書を読んだ限りでは、私はそうした印象をもつが)、何度も審理を繰り返しながら彼を牢獄に送り、今なおその中に閉じ込めている日本の裁判制度とはいったい何なのかと思う。

*精神鑑定で不起訴になったり責任能力なしと判断されたりすることに対し、世間の不満が高まってきている印象がある。だいたい、あれってどこまで確かなモンなの?という根本的な疑問もあるだろう。

 そういった向きは、本書193~196ページを一読されることをおすすめする。鑑定人の想像力が縦横無尽にかけめぐり、思い込みに満ちた結論が吐き出されることがあるという、よい見本である。これは果たして例外なのか、それとも…?

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2007年9月 7日 (金)

働かざる者、読むべからず―「働きマン 4巻」

 「働かざる者、(この本を)読むべからず」。

 「べからず」は、禁止というより、可能・不可能の意味。だってあまりに主人公の働く姿がまぶしいから…。まぶしくて読めない人が続出しそう。

働きマン 4 (4) (モーニングKC) 働きマン 4 (4) (モーニングKC)

著者:安野 モヨコ
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 雑誌編集部で働く主人公・松方弘子の仕事ぶりが、とにかくガムシャラで有能なのだ。成功するのも失敗するのも、どれもサマになっていてまぶしいのだ。

 忙しい仕事の合間をぬってハワイでの友人の挙式に出るも、担当作家の原稿が落ちて急遽日本に戻る羽目になる弘子。まぶしい。デスクの急病で代理に抜擢され、自分の原稿だけでなくメンバーの尻拭いにも奮闘する弘子。まぶしい。そんなハードな日常にもへこたれず、新しい恋にときめき、実家の父の姿に勇気をもらう弘子。まぶしいっす…。

 そんなまぶしさにどのくらい耐えられるかで、このマンガとの相性が決まる。何のためらいもなくこのマンガを楽しめる人は、定職についていて、かつ自分の仕事ぶりに満足している人だけじゃないか??あと前途有望な学生とか。私はスネの傷をチクチクつつかれてるようで、読んでいていつも落ち着かなくなる。

 でも、面白いのだ。新刊が出るたび買ってしまう。なんとも厄介なマンガである。

[MEMO]------------------------------

*この巻でいちばん笑ったのは、ブルボンヌ緋魅子先生の強烈な叫びによる幕引き。「これで締めかい!」と(笑)。同じ意見の人は多いのでは。

*この巻で、大手スーパーの産地偽装のエピソードがあるが、そこで吐かれる責任者のセリフがリアルで腹立たしい。

高い国産のだけ並べても客は買えないんだよ。外国産でも「国産」って書いてやることで安心するんだ。安心して買えれば中身はどっちでも同じなんだよ。

 これが偽装をするスーパーの典型的な言い分だと思う。これを聞くとやっぱり腹が立つ。「外国産」と「国産」の正しい表示に基づいて消費者が選択する機会を奪ってるわけだから。どっちを買うかはこっちの自由にさせてくれよ、と。

 それができないのは、自分のスーパーだけ正しい表示をしてたら、偽装してる他のスーパーに出し抜かれるから。「客のためにしてやってるんだ」みたいなことを言うけど、ホントは自分たちのためだろう?

 おまけに、ニセの「国産」をのさばらせて、日本の農漁業を営む人たちを苦しめてもいる。消費量が低下してるから「国産」はさらに高くなるのだ。「高い国産」を生み出してる自分たちの偽装を棚に上げてホントよく言うよと、このセリフを見て思った。

 互いに疑心暗鬼にとりつかれた偽装スーパーが薄いもうけを出したって、結局だれも幸せにならない。食品衛生監視員なんかをどんどん増やして、検査体制と罰則の強化をして、「偽装は損になる」仕組みをしっかり作らないと。

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2007年9月 5日 (水)

宇宙最高のヒキ?―「MOON LIGHT MILE 15巻」

 今、これより面白いマンガがいくつあるだろうか?

 あえて挑戦的に問うてみたが、決して言い過ぎではない。SF、アクション、ヒューマンドラマの最高水準をこれでもかと見せつけ続ける、熱い傑作の15巻。

MOON LIGHT MILE 15 (15) (ビッグコミックス) MOON LIGHT MILE 15 (15) (ビッグコミックス)

著者:太田垣 康男
販売元:小学館
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 この巻で、次世代エネルギーを埋蔵する月面をめぐり、世界はアメリカ陣営と中国陣営に分かれ、新たな冷戦の時代が到来することとなった。それを象徴する宇宙での戦闘に、まず興奮する。10巻ぶりに出てきたツェン・リーのふてぶてしさも嬉しい。

 しかる後、吾朗とロストマンが恩讐を超えてこれまでの来し方を振り返る。いっときは完全に袂を別った二人だけに、精神的な絆が決して消えていなかったことにこれまた感動する。

 そして、ラストだ。これはない。次の巻が出るまでに半年近く待たされるのにこれはない(笑)。

 ロストマンの運命はいかに!?まさか死んだってことはないと思うが、その前に吾朗と過去を振り返っていたのがイヤな感じだ。

 これほどヒキの強いラストはそうそうないよ。このマンガでいえば、8巻ラストの温室で捕らわれたときのヒキと、10巻ラストのムーンチャイルドを堕胎させられそうになったときのヒキを足し算したくらいは強烈か?どちらも「早く次の巻出てくれ!」と思ったけど、でももしかすると、今回のヒキはこのふたつの掛け算をも上回るかもしれない。

 基本的に単行本派なんだけど、これは思わずスペリオールを手に取って連載を読みそうになる。く、狂おしい…(笑)。

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2007年9月 1日 (土)

あなたのホルモー属性は?―「鴨川ホルモー」

 誰でも生涯に一冊は本を書ける、と言われる。

 文章のウマいヘタは別にして、自分が長年積み重ねた経験や信念などを題材にすれば、一冊の小説なり評論なりは書き上げられるということだろう。逆に言うと、そういう自分のテリトリーから離れて二冊、三冊と本を出すには、やはり才能や努力が必要ってことだ。

鴨川ホルモー 鴨川ホルモー

著者:万城目 学
販売元:産業編集センター
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 「鹿男あをによし」で直木賞候補となった作家のデビュー作を遅ればせながら読んだ。

 私の独断と偏見によれば、この本をどのくらい楽しめるかは、下に挙げる属性をいくつ持ってるかである程度判断できる。どれくらい当てはまるかをチェックしてみてほしい。

 1. 純情な青年男子だ

 2. ツンデレ好きだ

 3. 団体スポーツが好きだ

 4. 怪談が好きだ

 5. 京都の地理に明るい

 6. 京大生だ

 1番~5番の属性については、ひとつ持ってるごとにこの作品を通常の一割増しくらいで楽しめるだろう(笑)。3つ当てはまれば三割増しだ。そして6番に当てはまる人の楽しさは、おそらく通常の五割増し…いや十割増しくらいあるんじゃないか。

 実際、この作者も上の属性を軒並み持ってるのではなかろうか。そうだとすると、あまりにも自分のテリトリーにあるアイテムで作品世界を構築しすぎな感じがして、先行きがちょっと不安だ。まあ、若者たちの屈託した心理描写や、奇抜な設定の転がし方などに余力がまだまだ感じられるので、きっと問題ないとは思うけど。

 ということで、この本が作者の「生涯の一作」ではないことを祈って、いつか「鹿男あをによし」を読んでみることにしよう。

[MEMO]------------------------------

*いちばん笑ったのは、メガネが割れた楠木ふみが敵に与える脅威を指して、

まさに死せる孔明、生ける仲達を走らせる。

と例えたくだり(笑)。芦屋は呂布だけど。

*楠木ふみはいいよね。表紙の「凡ちゃんバージョン」でもじゅうぶん可愛いと思う。…って、これはヘンかな?(笑)

 表紙はビートルズ「アビイ・ロード」をもとにした「四条ロード」なんだろうけど、キャラクターは4人じゃなくて5人描いて欲しかったなあ、やっぱり。これは残念。

アビイ・ロード アビイ・ロード

アーティスト:ザ・ビートルズ
販売元:EMIミュージック・ジャパン
発売日:1998/03/11
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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