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2007年12月

2007年12月29日 (土)

一刻も早く治さなければならない、という重圧―「薬でうつは治るのか?」

 ここ数カ月、うつ病の治療などに用いられる「リタリン」依存症のニュースが目についた。

 野村進「救急精神病棟」にもあったが、「精神病は治る」というのが現在の医療関係者からのメッセージである。その一端には、治療薬の進化に引っ張られる形で発展を続ける、薬物療法への信頼があるのだと思う。

 ただ、精神病を治すための薬で依存症になってしまったのでは、本末転倒ではないか。どうしてそこまで患者は薬を服用し、また医者は処方してしまうのか。精神疾患に対する薬の役割について考える手がかりとして、本書を読んだ。

薬でうつは治るのか? (新書y) 薬でうつは治るのか? (新書y)

著者:片田 珠美
販売元:洋泉社
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 いちばんわかりやすかったのは、精神医学における「2つの革命」という視点だった。ひとつは、1952年に初めて精神に本当に作用する向精神薬(クロルブロマジン)が発見されたことを出発点とする、薬物医療。もうひとつは、精神疾患ごとの症状をとにかく分類・記述し、誰でも同じ診断を下せる状況を作った、診断マニュアルDSM-Ⅲ。これら2つの革命の結果、患者の生活史をさかのぼって病気の原因を根気強く探ってゆくそれまでの精神療法の手法は勢力を失い、「病因はなんでもいいから、症状を分類して、それが薬で改善すればいいよね」という治療が主流となった。

 とくに薬物療法の影響力はすごい。本書では、抗うつ薬の進化の歴史をうまくまとめてくれていて、その時々の新薬の「薬効」が明らかになり、爆発的に普及してゆくまでの過程がよくわかる。現在うつ病の治療に用いられるSSRIやSNRIといった薬の仕組みやメリット(副作用が少ないこと等)も説明されており、それらを処方する医者・処方される患者の気持ちもわかる気がする。

 だが、薬物治療は万能ではない。筆者は以下のように問題点を指摘する。

こうした抗うつ薬による治療に抵抗するうつ病が増えているのも事実であり、実際、精神科医の間でも、うつ病の慢性化(「遷延性うつ病」という概念もある)、再発、抗うつ薬への依存は大きな問題になっているのである。(P. 17-18)

 慢性化、再発しやすい病気であれば、どうしても薬の投与期間が長くなる。抗うつ薬の服用を急に中止すると、心身の変調(離脱症状)を訴える患者さんは多い。そのため、医者は維持療法(再発予防のために一定期間薬を服用する)を勧めるという。その期間は3年、5年、あるいはほぼ一生と、医者によって様々。どの期間が妥当であるにせよ、どれも長い。素人考えでは、この間に依存が形成されなければおかしいんじゃないかというほどの長さだ。

 冒頭ちょっと出したリタリンだが、これは本来うつ病の薬ではない。だが、本書でもうつ病に関連して依存を形成しやすい薬として紹介されている。それによれば、本来は睡眠障害であるナルコレプシーの治療に用いられる薬だが、その覚醒作用に着目して、抗うつ薬では不十分な難治性、遷延性うつ病に処方されることがあるという。

 この薬が効いている間は気分がいいが、切れるとひどく落ち込み、再び気分を上げるためには、服用の頻度と量を次第に上げなくてはならなくなる。まさに「麻薬」である。新潮45の11月号に、メンヘル系サイトでリタリンを違法譲渡した事件をまとめた記事があった。そのサイトのメンバーは言う。

リタリンって、始めは世界が変わったって思うくらい効いていたのに、最近はリタスニしないとうごけない状態。リタがあって、楽しかった頃にもどれたらなぁ。でも、もし戻れたらリタスニはしないだろうなぁ~

※「リタスニ」とは、リタリンをスニッフ(粉末で鼻から吸う。飲むより効果があるとされる)すること。

 精神病の闇を抜けて現実を生きるためには薬を飲み続けなくてはならないのだ。そうして、薬をどんどん飲んでまでも早急に現実に復帰しなくてはならないというプレッシャーが世の中に蔓延しているのだ。

 そして、そうしたプレッシャーこそが、現代人をうつ病にするのである。つまり、人をうつ病にするのも社会の重圧なら、うつ病から一刻も早く立ち直れ、と命じるのも社会の重圧なのだ。

 この点に関連して、「薬はうつで治るのか?」の第4章は興味深かった。高度成長前の日本社会のような「あれはしちゃダメ」「これもダメ」的な禁止のプレッシャーが強かった社会では、その抑圧に苦しんだ個人の病理が「神経症」となって現れた。一方、現代の自由と自主性と自己責任を重んじる能力主義の社会では、自分の能力や行動を賦活できない個人が「うつ病」として取り残される、という見方である。

 そんな社会の中にいる患者にとって、自分の生き方と向き合い、時間をかけて少しずつ良くなることをめざす精神療法は、実にまどろっこしい。そしてそれは医療を現実の「仕事」にしている医者にとってもまた同様である。筆者は、以下のように日本の保険医療制度の欠陥を指摘する。

患者さんの話を何分聞いても、健康保険で請求できる「精神療法」の点数は変わらないので、一人あたりの診療時間をできるだけ短くして、数多くの患者さんを診察し、なおかつ大量の薬を処方してもうけようという医者がいるわけである。

 一刻も早く現実社会に戻らねばならない、という重圧に、患者も医者も毒されてしまっているのだ。

[MEMO]------------------------------

高橋祥友「自殺の心理学」にも、薬物療法偏重を批判する本書と同様の記述があった。

薬物療法と精神療法はあくまでも車の両輪のようなものと考えてください。よく私は次のように説明します。

「あなたのもともとの力が十だったとすると、今はそれが二か三くらいになってしまっていると考えてみましょう。薬を飲むことでその力を五くらいにできれば上出来です。残りの五はあなたが人生で抱えている問題を一緒に考えていくことで取り戻していきましょう」(P.171)

*リタリンは、最近の乱用問題を受けて、効能からうつ病を適応除外とする決定が厚労省から出された。リンク先の記事を書いている記者は自身の病歴も明かして記事にしており、その率直で真摯な報道姿勢に触れるだけでも価値があるので読まれたし。

*先日TBSのニュース23で「生活破壊」という特集をやってて、生活保護水準で過酷な暮らしを送る人々をレポートしていた。その中に、母子家庭で母がうつ病である家族や、セクハラを受けて退職する前後にうつ病となった30代の女性がいた。この人たちが病気を治して現実社会に戻っても、そこから続く道がない。役所は自分でなんとかしろといい、生活保護が受けられないが、さりとて満足な働き口もない。パートやわずかな貯金だけを頼りに生活するほかない。

 それはまるで、切れる寸前の細い糸を毎日切れぬように祈りながらたぐるような暮らしだ。「自由」が高揚しすぎて「自己責任」というモンスターが召喚され、一度でも足のすくんだ人を、生贄として次々と喰らっているのが今の日本だ。

新潮45 2007年 11月号 [雑誌] 新潮45 2007年 11月号 [雑誌]

販売元:新潮社
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2007年12月25日 (火)

あえて「救い」のない展開にすることの意味は―「模倣犯 1~5巻」

 辛かった。あまりの辛さに、ページをめくる手が止まらなかった。早く救われたくて。

 このリーダビリティ、まさに鬼の所業と言わせてもらう。

模倣犯1 (新潮文庫) 模倣犯1 (新潮文庫)

著者:宮部 みゆき
販売元:新潮社
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 だって、かなり厚めの文庫で5冊もあるのだ。こんだけ長いと、2、3巻あたりで疲れちゃってひと休み…とか言ってるうちに数日経ってなんかどうでもよくなる、ということも起こり得るわけだ。ところがそれがない。途中棄権は不可能。毎晩寝床でなかなか切り上げられず読み続けてしまい、毎朝寝不足でしんどかった。で、寝不足なのに夜が来るとまた読んでしまう。「アラビアの夜の種族」か!(笑)

 読んでる間は、もう祈りながら読んだ。孫娘をさらわれたおじいさんは、娘を失って昏睡する母親は、兄に嫌疑がかかって逃げ隠れて暮らす妹は、果たして救われるのか…。こんな無垢の人たちが一方的に被害者になって終わってしまうなんて、そんな非道が許されていいのか!どうか彼らを救ってやってくれと、もう宮部みゆきに祈るのだ。

 だが、宮部はそんな祈りを拒絶する。安易な「救い」は与えてくれない。私の読後感は、カタルシス2割、やるせなさ8割くらいだった。もっと「救い」のある展開や結末にだって、しようと思えばできるはずなのだ。しかし宮部はあえてそれをせず、「鬼」となった。なぜだろう。

 思うに、この「救い」のなさが、現実の加害者たちへの宮部みゆきからのメッセージなのだ。物語の中で被害者を救うことは、間接的に加害者を救うことになる。それを拒絶したのだ。被害者は決して救われない。いったん失われた命や生活は、二度と取り戻すことができない。そのことを、現実の犯罪加害者たちに少しでも訴えたくて、きっとこうした物語にしたのだと思う。

 そしてその「訴え」は、おびただしい数の犯罪報道に日々接して感覚がマヒしている、われわれ一般大衆に対しても投げかけられているのだ。

[MEMO]------------------------------

*とはいえ、もう少し「救い」のある物語にして欲しかったなあ、とも正直なところ思う。有馬義男のラストの叫びは痛切すぎる。唯一泣いたのがここ。

 この感想を書いていて頭にあったのは「魔術はささやく」で、あれは主人公サイドへの温かな「救い」があった。その感動をしつこく宮部作品に求めている私が甘っちょろいだけなのかもしれないけど、せめてカズの妹さんは救ってあげて欲しかったなあ…。

魔術はささやく (新潮文庫) 魔術はささやく (新潮文庫)

著者:宮部 みゆき
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2007年12月24日 (月)

「人間モード」はオンで―「GANTZ 22巻」

 人生は死によって覚める夢だ。

 …という帯の煽り文句がやたらと格好いい、スタイリッシュなバイオレンス&アクションの22巻。

GANTZ 22 (22) (ヤングジャンプコミックス) GANTZ 22 (22) (ヤングジャンプコミックス)

著者:奥 浩哉
販売元:集英社
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 大阪編、始まったときは正直「ちょっとないわー」と一瞬テンションが落ちたのだが、ぐいぐい盛り返してきた。

 月並みだけど、やっぱり大阪編の前に玄野が退場したのが残念だった。あのダメ主人公が暴力至上主義の理不尽なガンツワールドで生き残ることが異常にスリリングだったから。今回久しぶりに1巻から読み返してみたんだけど、改めてそのことが実感できた。とくに強烈なのは田中星人編、かっぺ星人編あたりかな。

 だが、玄野の代わりに主人公格になった加藤も加藤でいいね。こっちは正統派ヒーロー。あの正義感がガンツワールドでどこまで通用するかを見るのも、これはこれでスリリングだ。

 なにせ、敵・味方・一般人を問わず、次々と人が死ぬからなあ。肩入れしてるキャラクターが何度あっさりやられて退場となったか。下手に誰かを応援してるとほんとツラくなるときがある。

 そういった辛さを味わわないためには、倫理や道徳、理性、感情などの「人間モード」を自分で完全にオフにしてしまえばいい。そうすれば本作はラクに楽しめるだろう。でもそれだと、あくまでアクションや謎解きを表面的に摂取するだけのエンターテイメントにとどまってしまうと思うのだ。辛くても苦しくても、「人間モード」はオンで読み進めるのが、本作のいちばん深い楽しみ方なんじゃないか。

 そう思って、加藤の行く末にハラハラし続ける昨今なのであった。

[MEMO]------------------------------

*作者が何巻かのあとがきで「自分と同じ感覚の持ち主ならGANTZは本当に楽しめると思う。最終回近くのことを考えるだけでワクワクする。それを早くそういう人に見せたい」といったことを書いていた。前にこれを読んだ時から「自分と同じ感覚」の内容が気になっていて、それは上で述べた「人間モード」について、作者としてはオフ推奨なのかオン推奨なのかってこと。

 オフっぽい人なんだけど…、オンモードで読んでると最後に報われると信じたい。

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