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2008年1月

2008年1月14日 (月)

再起不能フラグか?―「風の大地 45巻」

 前巻の感想で、いったいどのくらいの人がこのマンガの新刊をフォローしてるんだろうとか書いたら、その後こんな場末のサイトにも「風の大地」というキーワードでの検索が思いのほかあって、「自分はひとりじゃない」と安心した(笑)。

風の大地 45 (45) (ビッグコミックス) 風の大地 45 (45) (ビッグコミックス)

著者:坂田 信弘
販売元:小学館
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 いよいよ再起不能フラグが立ってしまった、ような気がする。15番のティショット、左足首の限界が近づいた沖田が覚悟を決める場面がはっきりと描かれた。

今日でプロゴルファーの身が消滅しても構わない…

マスターズ勝利、ラストチャンスと思って戦いたい。

明日は考えまい。過去も考えまい。

 スタンス幅を狭く構えた沖田の全身を描く大ゴマがムードを盛り上げる。そしてその回のラスト、しっかりと歩みを進める沖田の見開きが炸裂。

 昨今の展開は坂田的クリシェのオンパレードで、その密度に正直目まいがすることもあるのだが(笑)、ここは良かった。

 この左足首の怪我、まだプロになって2年くらいなのに化け物みたいに強くなってしまった沖田をなんとか接戦の中に引きずり下ろそうという作者側のミエミエの仕掛けだと思っていたが、もしこれで引退まで行ってしまうとなると、怪我の意味もとらえなおさなきゃいけないな。

 あとこの巻で珍しかったのは、各話の最終ページにいつも載ってる坂田ポエムで、比較的まともなゴルフ解説があったこと。いつもは「風が吹いていた。風、吹けば、弱き人、揺れる。『ワテの勇気は空っぽの風船みたいなもんですわ。でもあのお方のは違いましたんや。ワテにも今ならそれが分かります』 人、風の中で生きる。沖田圭介、26歳と6か月の時」とか書いてあって、まったく展開に寄与することのないただのページ稼ぎなので読み飛ばしているのだが、この巻の第1話のポエムは、沖田が狭いスタンス幅で打ったボールの飛び方を解説していて、何の気なしに読んで正直びびった(笑)。

※ 44巻の感想

[MEMO]------------------------------

*しかしテキトーに作った坂田ポエムがわりとそれっぽい(笑)。誰か「坂田ポエムジェネレーター」とか作ってくれないだろうか。

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2008年1月13日 (日)

いよっ、村上屋~!―「JIN 10巻」

 現代から江戸時代にタイムスリップした医者が、西洋医学に対する不信や偏見に囲まれながらも、同時代の医者では手が出せないような病気や怪我を治してゆく医学ロマンの10巻。

Book JIN(仁) 第10巻 (10) (ジャンプコミックスデラックス)

著者:村上 もとか
販売元:集英社
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 この巻の中心は、鉛中毒で足腰の立たなくなった往年の名題役者・吉十郎に、最後の花道を飾らせてあげようとするエピソード。これが実によくできた展開と演出なのだ。

 昨年、NHKの「プロフェッショナル」で長崎尚志(浦沢直樹とともに「MONSTER」「20世紀少年」などのヒット作を生み出し、幅広くマンガ原作を手掛けている編集者)が特集されていた。そこで彼は、読者が満足するマンガの展開とは、「予想が裏切られるけれど、結末が期待に沿うものだ」と言っていた。個人的にこれはとても妥当な考察だと思う。

 で、「JIN」の展開というのは、結末は大体いつも期待したとおりなんだけど、予想を裏切る部分があまりない。基本的にみんないい人ばっかりなんで、大きく枠をはみ出る出来事が起こりにくいのだ。長崎氏の言葉に従えば、満足度はあまり高くならなそうな気もする。

 ところが、いつも満足するのだよね。それはなぜかと言えば、短い話の中でも、きめ細かく丁寧に伏線が張られているからなのだと思う。この歌舞伎のエピソードは、その好例だ。

 登場人物に「芸のために妻子を捨てた役者」と「しゃべらない子ども」を配する。「病を押して舞台にかける執念」「応急処置の不安」「客の期待感」を前フリに並べておく。それらの要素を、「初春狂言(曽我物)の内容」に掛けて、「親子のつながり」というテーマで鮮やかかつ感動的に締める。幕の下り際の「さらば!さらば!」の連呼には思わず目頭が熱くなる。

 村上屋ァ~~!」の声もかかろうかというものだ(<そんな屋号はない(笑))。

6巻の感想

[MEMO]------------------------------

*上の長崎氏の言葉、「予想は裏切り、期待は裏切らない」というあの最強生物格闘マンガのキャッチフレーズに相通ずるものがある。あっちは近年どうもなァ…。いや、まだまだ面白いんだけど、内容的に3話分を1話くらいにまとめて欲しい。コストパフォーマンスがどうにも不満で、買うのをやめてしまった…。

近藤史恵「二人道成寺」のところで書いたけど、やはりこういう見立ては効果的だ。歌舞伎は日本人がとくに美しいと思う心情を極端すぎるくらいに強調するので、そこからいろんなエピソードを派生させられそう。

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2008年1月12日 (土)

美しき麻雀破滅旅情―「麻雀放浪記 2巻」

 1巻も良かったが、2巻は輪をかけて素晴らしかった。

麻雀放浪記 2 風雲篇 (2) (文春文庫 あ 7-4) 麻雀放浪記 2 風雲篇 (2) (文春文庫 あ 7-4)

著者:阿佐田 哲也
販売元:文藝春秋
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 1巻から数年後、主人公がヒロポン中毒になっているというショッキングな出だし。露店博打で三島から沼津へと渡り、夜汽車でアトサキをやりながら関西へ。大阪で初めてブウ麻雀を経験し、神戸で強者とやりあい、京都の博打寺でツモ麻雀。放浪記」の名にふさわしい展開だ。

 登場人物も多彩で、あっちの勝負で出てきた奴がこっちの勝負にも絡んできて、あるときは敵、あるときは味方となるなど、バトルマンガのような興奮もある。その中で、最後には誰かが破滅するまで、彼らは打つ。

 主人公が、桐谷という年長の博打うちから、「玄人同士で競って何になる、素人を狙って金を取れ」と忠告されたことを思い出すシーンがある。

桐谷の言葉の意味はよくわかる。勝負ごとに限らず、それが生きる知恵というべきであろう。しかし結局、私はよほど腹の減ったとき以外は、桐谷の忠言を実行しなかった。出目徳もドサ健も、そうできなかったのだ。私たちにできるのは、砂漠のガラガラ蛇のように、くたばるまで戦うことだけだった。

 まさに。まさにそういう人間たちの死力を尽くした戦いが繰り広げられるのであった。

 そして勝負がつき、誰かが破滅したらどうなるかというと、これがびっくりするくらいさっぱりと美しいのである。大阪の麻雀クラブや京都の博打寺での顛末など、破滅した方とさせた方のあまりの頓着のなさに驚く。金も住処も女も、彼らにとってもちろん大事なもので、敗者はそれらを根こそぎ奪われてしまうのである。でも彼らは文句は言わない。言えないのでなく、言わないのである。…その潔さ、どこか間違ってないか?(笑)

 あと、ドテ子がいい。この巻では3箇所、胸にぐっとくるウェットな場面があったのだけど、これに全部絡んでいるのが彼女なのだった。彼女が競輪帰りの麻雀でひとり負けるシーンと、ラストの電車の中と、あとこれはまあベタ中のベタではあるけれど、彼女と主人公とが寝るシーン。

「大丈夫なの、そんなこといって。リーチしたらもう手は変えられないのよ」

※ 1巻の感想

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2008年1月11日 (金)

井上雄彦の「覚悟」が見える―「リアル 7巻」

 このマンガは相変わらずすごい。そして何より、井上雄彦の「覚悟」がすごい

リアル 7 (7) (ヤングジャンプコミックス) リアル 7 (7) (ヤングジャンプコミックス)

著者:井上 雄彦
販売元:集英社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 捨てページ、無駄なシーン、余計な展開が一切なし。とくに41話から42話あたりの情報の凝縮具合といったらないね。

 マンツーマンでプレーを封じられ苦しむ戸川を野宮のアドバイスとヨネさんのヘルプで立ち直らせ、手に汗握る接戦に持ち込み、最後は車椅子バスケならではの要素によって幕を引く。その間、新人のリョウの苦悩や野宮の決意、戸川のヤマへの思い、チームの結束も描ききる。

戸川「スマセン ヨネさん。俺のために…!」

ヨネさん「違うだろ 戸川」

(ここで一拍置くのが最高にうまい)

ヨネさん「チームのためだろ」

 ヨネさん~(泣)。フキダシにはヨネさんがしゃべっている絵を付けてないのもいい。で、セリフ直後のリョウのハッとした顔でノックダウンですよ。ほんとにマンガが上手いなあ。

 そして、ことこの作品に関しては、井上雄彦は上手いだけじゃない。「障害者スポーツ」というテーマを扱っている以上、現実に存在する障害者たちにきちんと向き合った作品にしなければ、失礼になる。それは、時代劇の中で耳の聞こえない小次郎を描くことより、ずっと難しいことだ。(例えば、ヤマのエピソードなんかは本当に難しくなってきてると思う)

 たとえ、車椅子バスケや身体障害についてよく知らない一般人に受け入れられたとしても、障害者たちから異論や非難が出てきたらこの作品は「負け」である。

 そうした作品を描き続けるには、尋常ではない「覚悟」が必要だと思う。井上雄彦を尊敬する。

 そして今のところ、この作品に対して障害者から批判が出されたという話は聞かない。今後も、そんな素晴らしい状況で作品が続くことを願う。

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2008年1月10日 (木)

もう誰も解脱しない―「寺と墓の秘密 誰も知らない巨大ビジネス」週刊ダイヤモンド1月12日号

 これはよい勉強をさせていただきました。長年の疑問に対していくらか悟りを得た気分。スジャータはどこ?

 昔から、宗教者の金儲けに対して、生理的な嫌悪をかなり強くおぼえていた。身近なところでお寺の僧侶なんか、煩悩まみれの話がゴロゴロ転がっているから。高級車を乗り回してゴルフ三昧という近所で評判の道楽僧侶が法要でかしこまって読経するのを、どんな顔で聞けというのか。お酒やおつまみは必ず高級品を百貨店で取り寄せ毎晩飲みあかし…、とか、高級カメラを何台も揃え、檀家に隠れて地下に暗室を作った…とかいった坊さんの話は枚挙にいとまがない。

 資本主義社会の中で、お金を儲けることを否定するんじゃないよ。でも、宗教者であることを楯にとって稼げるくらいに、この人たちは宗教的に立派なのか?といつも思う。だいたい、現世での快楽の追及は、教義に反するんじゃないの?

 そんな怒り混じりの疑問に、実にストレートな解答を与えてくれるのが、今週の週刊ダイヤモンドの特集「寺と墓の秘密 誰も知らない巨大ビジネス」なのだった。似たような思いを持ってる人は買っとくべき。興味深い話がたくさん載っている。

 お寺が所有する不動産からの利益がいかに莫大で(檀家からの収入3000万円、不動産収入3億円!の寺とか)、かつ税制面の優遇が手厚いことか(一見宗教に無関係な不動産利用でも、上手に宗教活動にからめれば全額非課税。営利事業と見なされても、無税・低率課税の範囲が広い)。課税額を一般企業と比較した結果には目を疑う。

 日本では仏教信者が減っているのに僧侶数は増えているらしく、割りを食って檀家が減った田舎寺の僧侶が、都会で読経アルバイトをする話も紹介されているが、その方がいっそ清々しいじゃないですか。宗教者として。

 誌上では、「改革寺の挑戦」と銘打って、経営努力を惜しまないお寺の例が肯定的に紹介されている(P. 36以降)。赤の他人同士が一緒の墓(墓地にあらず)に入る、共同の永代供養墓を新設して2億円を売り上げ、貧乏寺の経営が一気に安定した話とか。温泉を掘って境内に1泊1万円~3万円程度の宿坊を作ってお客を呼び込んでいる話とか。

 これらは、「商売」として見ればなかなかの才覚だけど、やっぱり「宗教」として見るとえげつない。仏教的な功と罪でいったら、罪なしとは到底いえないんじゃないか?(中には、社会福祉法人を設立してケアハウスを運営するような、かなり良さげな例もあるが)

 こうして見ていくと、私にとって納得がいく宗教法人・宗教者とカネの関係は、3つに絞られるように思えてきた。「稼がない」か、「フェアに稼ぐ」か、「稼いだ金を人のために使う」かのどれかだ。

 「稼がない」は、清貧だ。多少貧しくたって、自分の信奉する教義に殉じたらいいじゃないですか。現世であこぎな金稼ぎしてたら、因果はめぐるよ?

 「フェアに稼ぐ」は、公正だ。「宗教法人」という肩書きを濫用しないで、営利事業をやるなら公平にやろうよ、ということだ。

 「稼いだ金を人のために使う」は、慈善だ。金儲けに走らずともたくさんお金が入ってきてしまう(これはこれですごい話ですよ)んだったら、それを貯めこまないで、世のため人のために使ってほしい。上記のケアハウスも有望だし、食べ物に困っている人に炊き出しをしている寺をニュースで見たこともある。

 まあ何にせよ、「他人に偉そうなことを言ってる人の言行不一致がいちばん不愉快」ということですね。本特集を読んで、この気持ちがとくに間違ってなかったことがわかったのは大きな収穫だった。こんな坊さんたちじゃ、誰も解脱するわけないよ。

[MEMO]------------------------------

*京都の古都税紛争では、拝観料から50円ばかり税金を取ろうとしたら、有力寺院が軒並み拝観停止をやって課税の拒否に成功したからなあ。宗教法人の営利事業に対する課税率をもう少し引き上げたらいいとは思うけど、どんだけ実現困難か想像もつかない。

*金儲けについては新興宗教がらみの方がもっと生臭いと思うが、不愉快さの構造が伝統仏教とちょっと違ってくるので、割愛。

*週刊ダイヤモンドの特集には、「墓」編もあって、霊園開発や墓石販売のアヤしい話が面白い。ちょっと前に「週刊オリラジ経済白書」で石材店が取り上げられているのをたまたま見たのだが、ビックリするくらい売り上げがあったからね。「会社経営と表記された高額所得者を追っていったら、門前石材店の店主が意外に多かった」(P. 46)という話も、さもありなんと思った。

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2008年1月 7日 (月)

成立はしてるけど、傑作の幕引きとしては寂しい―「皇国の守護者 5巻」

 どんなに面白い漫才でも、オチに行く前に突然終わってしまったら、ふつう拍子抜けする。

皇国の守護者 5 (5) (ヤングジャンプ・コミックス・ウルトラ) 皇国の守護者 5 (5) (ヤングジャンプ・コミックス・ウルトラ)

著者:佐藤 大輔,伊藤 悠
販売元:集英社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 2007年にテレビを席巻した芸人として、チュートリアルの名を挙げることに誰も異論はないだろう。妄想ボケの徳井と一般人感覚あふれる突っ込みの福田の姿を、数えきれない番組で見かけた。

 ブレイクのきっかけは、2006年末のM-1グランプリでの優勝なのは言うまでもない。彼らはこの年、本命のひと組に数えられ、期待にたがわず決勝→最終決戦の2度の漫才で圧勝した。

 彼らは前年(2005年)まで長いことM-1決勝の舞台から遠ざかっていた。なのに本命視されていたのは、その2005年の決勝でやった漫才が非常に面白かったからだ。最終決戦には進めなかったが、ダウンタウンの松っちゃんが「いやあ…面白いですねえ」とコメントした(何かボケようとしたのだけどそう言うしかなかったという感じだった)ことが、ネットでは話題になった。

 その松っちゃんがほめたネタである「バーベキュー」をご覧になった方もおられるだろう。バーベキューの串に具材をどんな順番で刺すかという、なんてことない話題で爆笑ネタになるのである。つくづくすごい。

 実は私は、このネタをそれ以前に見たことがあった。その1年前の、2004年末の「オールザッツ漫才」という(ほぼ)関西ローカルな番組である。

 この番組にはあんまりな特徴があって、それは「客があまり笑わない」ということ(笑)。実に芸人泣かせで、テレビ見てる方もなんかハラハラしてしまう。

 2004年は、例年にも増して若手がスベり倒し、中堅も全くウケず、一種異様な雰囲気になっていた。今は解散したビッキーズの須知が、噛むはネタを飛ばすはの相方に向かって「NSCの子も見てるんやぞ!」と突っ込んだのが忘れられない(笑)。

 で、チュートリアルが「バーベキュー」をやったら、お客さんが沸いたのだ。そんな空気の中で笑いをとったということだけで絶賛に値する。私も、安堵感さえ感じながら笑っていた。

 そしたら、ネタがぷっつり終わったのである。ぷっつり、と言っても画面がいきなり切り替わったとかではなく、ちゃんと「ありがとうございました」で終わったのだが、それは徳井が強引に終わらせたのである。「これここまでで成立してるから。これ以上やるとおかしなるから」とか言って。まだ先のあるネタだけど、制限時間も気になるし、客の盛り上がりもいいしで、ここで終わらせようという判断だろう。

 英断だったと思う。あれ以上やってたら、後半グダグダになりそうな危うい気配もあった。失速する前に盛り上がってるところで切ったのは正しかったろう。でも、肩透かし感と食い足りなさが残ったのだよね。翌年のM-1を見て、「やっぱりちゃんと続きがあったんだな」と思ったし。

 前フリが長くなった。何が言いたかったのかというと、「皇国の守護者」は本当に面白かった。最終巻となった5巻の締めも、きちんと「成立してる」とは思う。原作との関係上、ここで幕を引くことはやむを得なかったのだろう。だが、何にせよ、物事が途中で終わるのは、見ていてあまり気持ちのいいものではない、ということだ。

 傑作がこういう形で終わるのは、実に寂しい。

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2008年1月 5日 (土)

プロ野球罰シリーズ開催希望―「団地ともお 11巻」

 団地に住む元気で間の抜けた小学生・ともおを中心とした、ほのぼの&シュールギャグマンガの11巻。10巻が最高に面白かったのだが、この巻も引き続きイイ感じ。

団地ともお 11 (11) (ビッグコミックス) 団地ともお 11 (11) (ビッグコミックス)

著者:小田 扉
販売元:小学館
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 10巻の感想でも書いた、このマンガの「甘辛さ」による中毒性が11巻でもフルに発揮されてる。笑えるんだけど、どこかしんみりしたり考えさせられたりという味付けが非常に後を引くのだ。

 この巻の私的ベスト5はこんな感じ。

◆ 第11話「ベースボールじゃなく野球だなともお」

 プロ野球の罰シリーズっていいなあ(<弱小球団ファンの気持ち)。「みんな燃えている…!!シーズン中でも見られなかったこの闘志…!」で噴き出す。落ちも見事すぎる。

◆ 第12話「駄菓子折で礼を尽くすともお」

 子どもの頃って、スネたり仲直りしたりが自由でいいよね。変なあだ名がすぐ付けられそうになるのは困るけど(笑)。第8話のエピソードを生かしてるところがうまい。

◆ 第13話「ツイストが大事だなともお」

 ソバ職人のおやじの意図がわからず、オチまで読んで「ああ!」となる。しかし、間さんも途中で気付くだろ、普通(笑)。まあその間抜けさがこのマンガの鍵なんだよなあ。

◆ 第14話「トモオとキノシタとともお」

 最初の2ページまででもう爆笑。「人類で最も大学に近い人間…」これはこの巻の最強フレーズのひとつ(笑)。青戸さん、大学受かるのかなあ。

◆ 第15話「のろしの世界に引きずりこまれたともお」

 これは作者の天才性が如何なく発揮された話。電話でなく「のろし」が発達したら…、という架空の設定がまず面白いし、その世界で起こり得る出来事をトコトン考えてある想像力と、そこから劇的なドラマを紡ぎだす構想力が見事。「タケシ?うん…うん、無事に産まれたってさ!!」という、このひと言がいいのだ。

 …なんか5話連続になってる。この時期の作者と私の波長がたまたまピッタリ合ったのか?引き続きこの調子で頼みます。

 まあ、私の波長にシンクロしすぎると他の人の好みの作品が減ってしまうかもしれないから、あんまり勝手を言ったらいかんけど(笑)。

10巻の感想

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2008年1月 4日 (金)

戦いは終わらない―「麻雀放浪記 1巻」

 言わずと知れた、麻雀小説の金字塔。昨年文春文庫で再刊されたので初めて読んだ。

 とにかく強烈。時代を超えて訴えてくる「リアルさ」がある。

麻雀放浪記 1 青春篇 (1) (文春文庫 あ 7-3) 麻雀放浪記 1 青春篇 (1) (文春文庫 あ 7-3)

著者:阿佐田 哲也
販売元:文藝春秋
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 麻雀は現在、マンガとして1ジャンルを築いている。大きく分けて、天才が荒唐無稽に勝つのを楽しむ「ファンタジー麻雀もの」と、詳細に闘牌を描いて競技のように楽しむ「リアル麻雀もの」とが対極にあって、その中間にありとあらゆる作品がひしめいている。

 その源流にあるのが、この「麻雀放浪記」だ。この作品が様々な麻雀マンガでネタにされているのを目にしてきたが、肝心の元ネタを読んだことがなかった。

 そこでこの正月に、まず第1巻を読んでみた。すると目の前には、終戦直後の混沌の中で、昼夜問わず繰り広げられる冷酷無比な博打の宴が現れる。まるでその場に居合わせているかのような臨場感にゾクゾクしながら1巻を読了した。…って、どんな正月だ(笑)。

 1巻を読んで驚きだったのは、闘牌が、(現在の麻雀マンガのようには)それほど重要じゃないこと。もちろんこの後変わってくるのかもしれないけど、「この局面で何切る」みたいなことは、作品全体からいってそんなに大きな比重を占めてない。だいたい、イカサマ連発でやたら早い順目で大きなアガりが出るしね(笑)。

 でも、「リアル」だ。決して「ファンタジー」ではない。

 その「リアルさ」は、やはり主人公やその他の博徒たちの造型が、時代背景にガッチリはまっていることにあるのだと思う。金への飢え、勝利への渇き。勝負の坂を駆け上がるときの灼けつくような欲望と、それを転がり落ちるときの底知れぬ絶望。それぞれの人物に別々の特徴がありながらも、彼らが抱える「博打の本質」がみな同じなのだ。

 そしてそれはとりもなおさず、勝利を目指して戦い敗れた直後という、この「時代の本質」であったのではないかと思う。いわば、日本が復興に向かい少しずつ変質していった中で、もっとも純粋な形で戦争を継続していたのが博徒だったのではないか。

 登場人物たちの、時代背景に照らしてのあまりのリアルさと、現代に引き写したときのあまりのそぐわなさ(笑)に、そんなことを考えてしまった。

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