「です・ます」宣言―「図で考えれば文章がうまくなる」
突然ですが、これから「です・ます」調をこのブログの文体の基本にします。
ブログを始めて10か月近く経ちますが、ここ最近、どうも「だ・である」調のスタイルにいろいろと違和感を感じるようになってきました。ということで、ここらでひとつ「です・ます」宣言をして、文体のスタイルチェンジをしようと思います。
なぜそう思ったのか、理由を以下に述べます。あくまで個人的な意見ですが、一般化出来る部分も多少あるかと思います。
(1) 文体から受ける印象
同じことが書かれている文章でも、「です・ます」調と「だ・である」調では、当然ながら受ける印象が異なります。
たとえば、私の一昨日のエントリ「その道路は未来につながっていない」の一節を例にとります。今までの「だ・である」調の文はこうです。
昔は、道路を作ることが「必要」だったのだ。道路特定財源制度を田中角栄が立法化したとき、日本の道路事情はアメリカの調査団から「貧弱」呼ばわりされていたという。国を成長させるために人や物の流れを円滑にするインフラを整えることは、確かに社会のニーズだったのだ。だから道路利用者の税金を道路整備に優先してまわすこの制度には意義があった。
それを、「です・ます」調に直せばこんな感じになるでしょか。
昔は、道路を作ることが「必要」でした。道路特定財源制度を田中角栄が立法化したとき、日本の道路事情はアメリカの調査団から「貧弱」呼ばわりされていたそうです。国を成長させるために人や物の流れを円滑にするインフラを整えることは、確かに社会のニーズだったのです。したがって道路利用者の税金を道路整備に優先してまわすこの制度には意義がありました。
…う~ん、やっぱりだいぶ印象が違いますね。
大雑把にいって、「だ・である」調はちょっとお堅いですね。冷たい感じや権威的な感じがします。それが逆に、格好良さや知的さを印象付ける場合もあるかと思いますけど(自分の文で何言ってんだ(笑))。
それに対して、「です・ます」調は親しみやすい感じです。丁寧で優しい人みたい。ただ、あんまり親しげにし過ぎると「馴れ馴れしく」、逆に親しみを抑え過ぎると「よそよそしく」なるでしょう。サジ加減は難しいですね。
「だ・である」調でめっさ親しげなサイトもいっぱいありますので一概にはいえませんが、私の文章ではあまり親しみは湧いてこないのは確かですね。自分のリアルな性格が「です・ます」イメージ寄りな気がしますので、「だ・である」で書いていると居心地があまりよくありませんでした。
(2) 巡回サイトとの不一致
私はあまりたくさんの巡回サイトを持っているわけではないですが、それでも毎日のように見てる・見たくなるサイトがいくつかあります。偶然そこを訪れたり、場合によっては何度かそういう偶然を経ることで、自発的に行きつけのサイトにするようになったわけです。
で、自分の巡回サイトのうち文章系のところを改めて調べてみると、ほとんどが「です・ます」調で書かれてるのでした。およそ9:1で「です・ます」でした。ビックリ(←ていうか気づけよ(笑))。
私の見ている「だ・である」調のサイトは、著名人や、社会的地位が認知されている人のものがほとんどで、「中の人」をリアルに知らないサイトで楽しみにしているのは「です・ます」調のものばかりだったわけです(例外はもちろんありますが)。
繰り返しそのサイトに行きたくなったからには、自分の中に何か理由があったはずです(それが何かは特定できませんけど)。「自分が読みたいもの」と「自分が書いてるもの」が一致してないところに、文体に関する違和感の一因がありそうです。
(3) 久恒啓一「図で考えれば文章が上手くなる」
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これは去年読んだ本ですが、よい文章の書き方を身につける上でたいへん参考になる良書だと思います。その123ページに、「だ・である」と「です・ます」のどちらを自分の文体のスタイルとするか、きちんと確立しておくべきということが書いてあります。
ちょっと長いですが引用します。
私自身は、以前は「だ・である」調を基本に文章を書いていました。ところが文章が難しくなる場合が多く、なかなかすっきりと文章を書き飛ばしていくということができませんでした。中身の割にもったいぶって書いてしまうことになりがちでした。
これ、よくわかりますわー。
しかしある時期に「です・ます」調に変えてから、文章を書くのがずいぶんと楽になりました。読み手に対してもやさしく語りかけるような感じで書いていくスタイルが、頭の働きを活発にすることにも気がつきました。
それまでは文章としての格調だとかリズムとかに関心が集中していたのですが、「です・ます」調になってからは、語りかける中身のほうに大きく重点が移ったような気がします。
数か月前にこの記述にいたく感心していたのでした。そのわりに、「だ・である」調でブログを書いてたんですが(笑)。
実際に「だ・である」調で書いていて感じたのは、文章だけでなく内容も小難しくなりがちだということです。これまで述べたことと合わせると、「どこの誰が書いているか知らないサイトで」「小難しい内容を」「お堅い文章で」述べていても、あまり読みたいと思う人はいないんじゃないでしょうか。少なくとも私はそうですね。
(4) コメントでのやり取り
以上のような考えは、ずっと心の中でくすぶってはいたのですが、だからといって一度決めた文体を変えたくなるほどにまとまってはいませんでした。
ですが先日、「です・ます」調が自分に向いていることを改めて意識する機会がありました。それは、「人は人を殺すことに耐えられるか」というエントリのコメント欄でやり取りをしたときです。
コメントは通常の記事と違って、「相手のいる文章」です。で、知らない方とやり取りするときは礼儀として「です・ます」調の文章になりますね。そのときも、通常の記事の「だ・である」調を捨てて「です・ます」調でコメントを書いていたのですが、これが実にしっくりきたのでした。
あー、やっぱり自分にはこっちが合ってるかな、と。これが最後の決め手になりました。
(5) まとめ
というわけでの、今回の「です・ます」宣言なのでした。
もちろんこれは私の性格やブログの内容などが相まってのスタイルチェンジなので、万人に通用する話ではありません。人それぞれのスタイルがあってこそ面白いのだと思います。
私の場合、今までの文章では、「だ・である」:「です・ます」=9:1くらいでした。基本は「だ・である」で書いて、読んでる人にフランクに呼びかけたいなー、というときだけ「です・ます」を使ってました。
それを今後は、「だ・である」:「です・ます」=1:9くらいにしようと思います。基本は「です・ます」調。そこに、心の声とかボケ・ツッコミとかだけ、「だ・である」で挿入する感じでいきます。あ、でも、両者の中間的な体言止めも増えるかも。全文に「です・ます」を付けるとやっぱりよそよそしいんですよ。
まあしばらくは試行錯誤ですね。いつまでもきっちり型が決まらない可能性もありますが、そのときは雲のジュウザ的な感じで。「無型ゆえに誰にも読めぬ」というか。…読めなかったらいかんがな(笑)。
[MEMO]------------------------------
*「図で考えれば文章が上手くなる」はほんといい本です。「考えながら文章を書く」ことの非効率を指摘し、何を書くかを図解で考えた後に文章にせよと主張します。
文章は「何を」「どう」書くかが肝心ですが、文章がうまくなりたいという人の関心は「どう」書くか、すなわち文章表現の技術に大体向けられています。でも実は、大方の人は「何を」書くかがちゃんと決まっていないのですね。だからうまく書けないのです。
本書はそのことを気付かせてくれるとともに、古今の文章読本のエッセンスを紹介し、それらを土台に「図解文章法」という新たな技術を提供してくれます。まさに一石二鳥というか、三鳥くらいの効果があります。大学入試の小論文なんか、これを実践したらかなりいいものが書けるんじゃないですか?
このブログでも、ちょっとややこしくなりそうな話をわかりやすく書きたいときに、この方法を使っています。「あほな…の連発必至―「輸入食品の真実」」とか、「インモラルでも、信じたい―「電波の城 4巻」」とかの図解の紙が手元に残ってます。とにかくおススメの一冊です。
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