万物の霊長たる能力とは―「アヴェロンの野生児」
人間の能力は、他の生物と比べ、主に知的な側面において優れている。
「ジョジョ」の中で、人間をやめるぞと言って石仮面を被ったディオのどこが発達したかといえば、身体能力なわけだ。裏を返せば、知的能力はこれ以上伸ばしても役に立つところがあまりない(少なくともマンガ内では)という荒木飛呂彦の判断が、意識的か無意識的かはわからないが、あったのではないかな。つまり、人間のままでも知的能力は相当高いということがそこには表れている。
「ヒト」は、そうした知的能力の高さをもって、「万物の霊長」と呼ばれるわけだ。
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幼くして森に捨てられ、11、12歳くらいで発見されたとみられる「アヴェロンの野生児」の話は、高校でも習うくらいに有名だ。この野生児の研究結果をどうとらえるかについては専門的な議論があるが(末尾のMEMO参照)、それでもなお興味深いエピソードである。
本書によれば、当時の有識者たちにはこんなことを言う者もいたという。
この野生児の教育はたかだか数か月しかかからないだろう、その時には彼から過去の生活について興味津津の話を聞くことができるに相違ない。
しかしそうは問屋がおろさなかった。本書の著者である軍医イタールが6年をかけた補償教育も、この野生児(通称ヴィクトール)を「普通児」にすることはできなかった。あとがきによれば、最終的に教育は中止され、ヴィクトールは推定40歳で亡くなったという。
教育が中止された理由は、思春期に入ったヴィクトールの発作的凶暴性に手が付けられなくなったからだというが、こうした性向を抑えるのに必要な理性や判断力が十分に備わらなかったという一事をとっても、補償教育の効果に限界があったことがうがかわれる。
とはいえ、まったくの野生状態であった最初期から比べれば、随所に進歩は見られるのだ。イタールは、身体的・精神的能力で著しい欠陥のあったヴィクトールの最初の状態をこう表現している。
彼は自分の種の最下位であるばかりか、動物の階梯の最後に位置していたわけです
そこから、イタールの粘り強い教育が始まる。本書には、1801年初頭にヴィクトールへの教育が開始されてから1年弱の経過をまとめた「第一報告」と、その後の6年間の成果をまとめた「第二報告」が収められている。順に追っていくと、ヴィクトールができるようになったことと、結局できなかったことが明らかになる。まあ後者の方が圧倒的に多いわけですが…。
まず、最初は感覚がおそろしく鈍感だった(嗅覚を除く)。冷たい雨の中で何時間も過ごしたし、焼けた炭や熱湯に手で触れてもなんともなかったという。こうした皮膚感覚は、熱い風呂に繰り返し入れることで、(神経の感受性が高まったためか)向上したという。
味覚も訓練によって改善した。最初は、普通の人なら胸がむかつくような食べ物を汚物にまみれた手で食べていたのが、6年間で多くの料理を味わえるようになったいう。だが、グルメ的な偏食はなく、飲み物としては水を飲んでいる時がいちばんうれしそうだった(笑)という。
視覚や聴覚は、器官としては備わっているのに、そうした情報を処理することが普通にはできなかったようである。たとえば聴覚については、母音の中で最初は「o」(オー)しか聞き分けられなかった(ヴィクトールと名付けたのはそのためである)。その後の教育で改善はしたものの、単音節の単語を数語聞き分けられるようになった、というのが第二報告に書かれていた成果である。
もっと高度な知的能力はどうか。言葉を使うことに関していうと、まず話し言葉は、それに必要な音を口から発することが難しかった。第一報告の時点で、「u」を除く母音と3つの子音しか調音できないと書かれており、第二報告では、
治療を継続し時が流れても何の変化もおきないのを知り、とうとう、話しことばを与える最後の試みに終止符をうち、生徒を不治の唖のままに放置したのでした。
…とある。
一方、書き言葉はそれよりずっと良く、具体名詞をおぼえ、それに付く形容詞をおぼえ、動詞もいくつか理解したという。それらを見て意味がわかるだけでなく、書くこともできたと述べられている。
またこのことからもわかるように、記憶能力はある程度保たれており、訓練の中で向上もした。第二報告には、別の部屋から物を持ってくるように頼まれて、きちんとそれを達成できたと書かれている。「え、その程度?」と拍子抜けされる人がいるかもしれないが、そこまでずっとヴィクトールの悲しいありさまを見続けていた私はかなり感動したことを申し添えておく(笑)。
とまあいろいろ書いてきたが、こうしたすべての訓練・教育のカギになったのは、感情の力なのだった。最初に彼が感じることのできた感情は、喜びと怒りの二つに限られていた。とても悲しい目にあっても、涙を流したことさえなかったという。
しかし彼は、しだいに多様な感情を見せ始める。とくに、身辺の世話をしてくれるゲラン夫人に少しずつ愛着を示すようになったのは重要だ。施設を逃げ出して浮浪者として逮捕され、二週間ぶりにゲラン夫人と再会したときの話や、ゲラン夫人が夫を亡くした後の話などは、このヴィクトールが主人公だからこその感動的なエピソードである。この他にも感謝や友情といった複雑な感情を、彼がある程度理解し表出できたことが、訓練の助けになっていたことが本書からは読み取れた。
ヴィクトールが最終的に「普通児」の水準に達しなかったのは悲しいことであり、適切なタイミングで教育を授けることの重要性を示している。だがそれだけでなく、この「アヴェロンの野生児」は、ヒトが「万物の霊長」たるためには、どんな能力が必要かを教えてくれていると思うのだ。
それはおそらく、道具や言語を使えたり計算ができたりという知的な能力だけではないのだ。他の個体とスムーズに交流しながら、生存と種の保存に適した社会を作り上げるためには、感情の能力を欠くことはできない。感情がある程度備わったからこそヴィクトールの知的能力には進歩がみられたし、逆に感情面でどうしても普通児より欠落する部分があったからこそ、社会に出られるほどの知的能力に到達できなかったのだと思われる。
両者が高度にそろってこその「万物の霊長」ではないか、ということを、知育偏重の向きには訴えたいと思った次第。
[MEMO]------------------------------
*発達心理学関係の本では、ヴィクトールはもともと知的障害があったか自閉症だったのではないかと考えられていて、健常児であれば補償教育でもっと良好な結果が得られたのではないかと書かれていたりする。
*DIOは仮面を付けて身体能力がアップしてたけど、第二部のカーズはさらに究極生命体になって知的能力もアップしてたような気がする。「究極生命体のヒミツ」的な大図解にそんなことが書いてあったような…。手元に単行本がなくて思い出せん。
| ジョジョの奇妙な冒険 (2) (ジャンプ・コミックス) 著者:荒木 飛呂彦 |
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投稿: 救援部 | 2009年12月16日 (水) 11時20分