核について科学的に勉強した後は、文学的に接するのがちょうどいい。すでに知れ渡っている作品だが、私は今回初めて読んだ。最高に文学的というか、それ以上と思った。
普通の人が普通に生きることを、何かが無理矢理やめさせるとしたら、それはすべて「悪」だろう。犯罪しかり、事故しかり、天災はちょっと微妙だけど、原爆しかり。
これらを「絶対悪だ」とか言うほどナイーブじゃないし、「必要悪だ」とか言うほどクールにもなれない。これらは単に「悪」と呼ぶべきだと思う。
ヒロシマ、ナガサキに落とされた原爆をめぐっては、主に日米からいろいろな言説が出ている。
「戦争だからしょうがない」「降伏せずに抗戦したからしょうがない」「もっとも効果的に終戦をもたらす方法だった」
すでに起こってしまった現実と妥協的に手を結ぶという意味合いで、原爆についてこうした言葉が出てくるのは頭では理解できる。ある面では真実を射抜いているともいえるだろう。しかし、ぬぐいがたい違和感が、深く深く残る。
それは、戦争を始めることや抗戦を続けること、そして戦争を終わらせることのどれひとつとして、ヒロシマやナガサキで原爆に灼かれた人が決めることはできなかったからではないだろうか。そういう無力な人間の命をやり取りして、今日の「平和」がもたらされたのである。
その平和の…なんと美しいことか。本作でそれがよく表れているのは、現代編での、七波の闊達な生き方や、凪生と東子の関係の麗しさだ。その一方で、被爆した皆実や京ちゃんが、いっときつかんだけれど、すぐに手放さなければならなかった儚い幸せの描写に胸が詰まる。
なぜ普通の生活を奪われ、なぜ死ななければならなかったのか。およそ説明がつかない無数の屍体の上に、麗しき平和は咲き誇っているのだ。
嬉しい? 十年経ったけど 原爆を落とした人はわたしを見て 「やった! またひとり殺せた」 とちゃんと思うてくれとる?
[MEMO]------------------------------
*「核兵器のしくみ」には、原爆の根本原理である核分裂連鎖反応の中で、人体に害をなす放射線がいかに放出されるのかが説明されていた。ウランの核が分裂する際に、放射線源となる分裂片が数多く発生するが、そのひとつにストロンチウム90がある。この元素の核は中性子が過剰気味のため、ベータ崩壊を起こし放射線のひとつであるベータ線を放出する。これは電子の流れであるので、体の細胞内にある原子と電気的に反応して、細胞をガン化させる。
ストロンチウムはカルシウムと同じ属にあり、化学的性質が似通っているため、人体はこれらを区別することができない。カルシウムが骨に吸収されるのと同様に、ストロンチウム90も骨に吸収されてしまう。骨の中でストロンチウム90はベータ崩壊を起こして、骨のガンや白血病を引き起こす。
ストロンチウム90がベータ崩壊により最初にあった量の半分に減るまでの時間(半減期)は28.8年とかなり長い。そして、この期間の長さを人為的に変えることは不可能である。一度取り込まれれば、長きにわたって人体に害を及ぼすことになる。
夕凪が何度終わっても、被爆の影響は残り続けるのだ。
*本文の最後で引用したのは、死にゆく皆実のセリフだ。これに対して、「加害者たちとてそこまでは想像できなかったはずだ、それを殊更に訴えるのは行き過ぎた被害者意識だ」と感じる人もいるのではないかと思う。そう、原爆がこれほどの被害をもたらし、その影響が長きにわたって残ることは、アメリカ側の想像をも超えているのかもしれない。
でも、だからこそ、「自分の想像を超えるような代物を使うな」と言いたい。
*荒唐無稽な雑感だが、科学は発展の方向性を間違ったかなあ、という気がする。原子力を現実に活用する方向に突き進まなくてもよかったんじゃなかろうか、と。(これはもちろん、原子力発電が現代社会において必須の存在であることを踏まえた上で言っている)
互いに核兵器を持ち合っていて誰も使えないから平和なのだ、という理屈は、子どもじゃきっとすぐに理解できないよ。あまり仲の良くない近所の家が銃を持ってるらしいから、ウチも銃を買って居間に置いとこう、とかいう状態なワケだ。普通に考えたらロクな世の中じゃない。
ご近所トラブルと国家間の問題をごっちゃにするなと言う人があるかもしれないけど、歴史に残る非人道的所業は、権力者とごく少数の取り巻きの頭の中から発生することがきわめて多い。危険な隣人を抱える日本は、ご近所トラブルの結果、再びそうした所業の犠牲になる可能性が他国より高いと思われる。
でも、もう核の技術は世界に広まってしまったからなあ。如何ともしがたい。この鬼子を半永久的に抱えながら、人類は生きていくしかないのか。
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