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2007年7月30日 (月)

積み立てたモラルを返せ―「日本をニヒリズムに陥らせた社会保険庁スキャンダル」(中央公論 2007年8月号)

 あーもう年金ってどうしようもないな。

 …と、若者は思っていることだろう。払わずに済むならそうしたいというのが正直な気持ちではないだろうか。

 中央公論最新号の巻頭特集は、「老後破綻社会 ―消えた年金、失われる介護」。この特集全体で示されているのは、「自分の老後は自分で面倒みなきゃいけない」という、「晩年の自己責任」のカタチだ。貧しい老後・介護の悲惨さの片鱗は現代でもすでにうかがわれているが、この先はもっと過酷なことになるだろう。

 中でも、東大教授の松原隆一郎による評論「日本をニヒリズムに陥らせた社会保険庁スキャンダル」は、題名にある呆れた事件に象徴される「美しい国」のこれからに、現役世代や若者が抱くどうしようもない絶望感をよく説明してくれていると思う。

 2004年の年金制度改革まで、厚生省は「年金は将来の自分への保険」として説明していた。ところが、後先考えない大盤振る舞いのツケもあって原資が不足し、現役世代の保険料を支払いにあてざるをえなくなってくる。しまいには、「年金は若者が高齢者を支える社会制度」という賦課方式であることを厚生省が認めてしまった。

 こうなると、自分が年金をもらえる頃には若者の数が圧倒的に不足するであろう、いまの現役世代には、「取られ損」という不公平感が渦巻くことになる。

 しかしそれでも、年金制度は決定的には崩壊しなかった。それを支えていたのは何か。私は、国民のモラルに他ならないと思う。

 平均的な日本人は、給料から天引きされる保険料に対し、崩壊寸前とはいえ年金は国の制度だからと不承不承でも納得してきた。これは、社会で定められた義務は果たそうという規範意識のなせる業であったと思う。

 ところがそこに、5000万件という途方もない数にのぼる今回の年金記録漏れ事件だ。この事件によって、ただでさえ倦んでいた年金に対する国民の認識がさらに悪化したことを、本稿では指摘している。

どのような高邁な理念を持つにせよ、そもそもそれを維持・運営する公的組織を私たち日本人は持てないのではないか、と疑われるようになってしまったのである。

 そう、そうなのだ。私の周りにも、「年金未納者」に大きな怒りを示していた善意の人がいた。それが今回の事件によってもうすっかり意気消沈してしまっている。きちんと保険料を払っても、正当な年金をもらえないかもしれない。きちんと払ってなかった人が、うまうまとおこぼれにあずかれるかもしれない。

 これは、年金制度を支えていた最後の砦「モラル」が吹っ飛ぶ瞬間である。

 

 本稿はこうした顛末を、社会制度に対する国民の幻想という観点から実にうまく説明してくれている。まったく同感と感じ入ったので、やや長いが引用する。

どんな社会制度もしっかり機能させるには、社会について国民がなんらかの幻想を共有しなければならない。ある個人が選挙に行ったからといって、実際の選挙結果が一票とどうつながっているのかというと、数学的には無視しうる影響しかない。…それでも投票するというのは、選挙に参加することで「個人と社会がつながっている」という幻想が得られるからだ。

 これは素朴な「共同体幻想」のようなもので、社会をつくる意識的基盤として無視できないものだろう。

…つながりの幻想を国民に植えつけることが職務であるはずの公的機関が、自分の仕事を放棄していたのである。これは個人の人生が社会と関わりないということを世に知らしめ、社会を無意味化させるという意味で、画期的な事件というべきだろう。

 ほんと、事は年金制度だけにとどまらず、善意の人の心を粉々にしたという点で、この事件はヒドく画期的であるなあ、と思うのだ。

 そうやって国民のモラルが吹っ飛んだというのに、それに全然気づかずただボケっと立っていた安倍政権が、爆風にあおられて今回の参院選で大敗を喫したというのも、至極当然のことであったろう。

 まったく、モラルのない「美しい国」が、どこにあるっていうのか。

[MEMO]------------------------------

「中国トンデモ食品」のところでも触れたけど、日本人のモラルハザードは決して年寄りの世迷い言でなくて、いろんなスキャンダルの奥底で確かに起きていることだと思う。それは、時代とともにモラルの内容が「変化」した、といえる範囲を超えていて、共同体幻想を木っ端微塵にしかねないような著しい「劣化」だと思う。

 まあ起きてしまったことはしゃーないので、問題はそうした「劣化」をどう食い止めるか、だけど。

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2007年7月25日 (水)

その化学物質を誰が止めるのか―「中国トンデモ食品大全」「中国食品『毒抜き』調理法」(AERA 2007年7月30日号)

 中国産の食品が危険なのは、もはや明らか。今号のAERAの特集「中国トンデモ食品大全」に取り上げられた食品加工の呆れた実態の数々に、今やいちいち驚くのもアホらしくなってる。

 たとえば中国では、発がん性のある着色料・スーダンが、カップ麺やら牛肉やら、挙げ句ケンタッキーフライドチキンの色を良くするために使われている。これは本来は、ワックスなどに使う工業用の着色料らしい。

 同じく発がん性物質のホルムアルデヒドが、ビールの濾過の過程で使用されている。青島ビールは、「大手各社は2、3年前からホルムアルデヒドを使っていない」と日本の取材に答えているそうだ。おいおいそれまでは使ってたのかよ…。

 ローヤルゼリーには、抗生物質のストレプトマイシンが投与されている。これは結核治療に使うような副作用のある物質だ。さらにすごいのは、日本の輸入業者がそれを使わないように要請した後のこと。今度はストレプトマイシンの代わりに、別の抗生物質・クロラムフェニコールが検出されるようになる。これは骨髄への悪影響が指摘されるもっと副作用の強い薬だ。

 これらの例を見てると、ミートホープの件がイキがってる不良高校生レベルの悪事に思えてくるから不思議だ(笑)。

 有害な物質が食べ物に混入することの最大の恐怖は、その摂取を自覚できないということだ。即座に気分が悪くなったりするなら別だが、たいていの物質は体内で少しずつ蓄積して健康を害していく。

 だから、そういう危険性のある物質は、体に入る前のどこかの時点で、「やばいかどうかわからないけどとにかく止める」ことが必要だ。

 でも問題は、「誰がどうやって止めるの?」ってこと。

 中国から日本にやって来る食品に関して、生産者から消費者までのルートを見渡して、法制度で止められそうなポイントが、一個もない。

 中国の食品関係の法制度なんかまったくの未整備状態で、はじめから期待できない。日本の法が及ぶ範囲で、税関、輸入業者、流通、小売のどっかにフィルターをかけて…とか考えても、個別の食品に入ってる化学物質を完全に調べ続けることなんて、現実的に不可能だろう。(中国産ウナギに対し、抗菌剤・マラカイトグリーンが含まれないよう国内の検査体制を厳格化したのに、その後スーパーで売られていたウナギからこの薬剤が検出されたのがいい例だ)

 だとすると、止めるのは結局消費者自身、てことになる。今号のAERAは、続く特集「中国食品『毒抜き』調理法」で、食品の「解毒」の方法についてまとめてくれている。

 詳細は実際に読まれることをおすすめするが、とりあえず野菜はしっかり洗い、素材を加熱することを心がけようと思った。タマネギ、わさび、ビタミンCなどの解毒効果にも期待だ。あと、今日の昼に食べたバナナは、早速頭の部分を捨てた(笑)。

[MEMO]------------------------------

*本質的には、日本産の食品でも、生産者・企業が悪さをしてるっていう可能性は存在する。ただ、法の網が粗くても、各人のモラルが悪事を規制してる部分が、ある程度日本にはあったと思う(ムシのいい思い込みかもしれないけど)。

 だが、(ひと括りにするのは適切ではないだろうが)中国はそうしたモラルに欠ける。本当はそんな相手から仕入れをしなきゃいいのだが、日本も日本で安さ優先・利益優先によるモラルハザードが起き、「危険物」をどんどん招き入れるようになってしまった。

 それでも金持ちはオーガニックで安全なものばかり食べられるかもしれない。一般庶民にはそれはムリだ。つくづく「格差社会」だよなあ…。

*真保裕一「連鎖」は、食品輸入という珍しい題材を扱ったサスペンス。これを読んだときは、輸入や税関に潜む闇に対して、恐ろしさと憤りを感じたものだ。あれから10年以上経って、この現実。少なくともこの間、日本はぜんぜん良くなってないってことがよくわかる。

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2007年7月 1日 (日)

犯人は、だれか―「私はなぜ社説を盗用したか」(論座2007.7月号)

 なぜ社説を盗用するのか。それは、究極的には、自分で書く力がないからだろう。

 でもそれだけだと、1ページももたずに話が終わってしまう。この手記を書いた小林広という人が、10ページ以上にもわたって何を訴えるのかに興味をもって読み始めた。

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 筆者・小林広は、山梨日日新聞という地方紙で、論説委員長として社説を執筆する立場にあった。彼の手による社説に、他の新聞などからの盗用があることが明るみに出たのは2007年2月。社内の調査により、3年ほどのあいだに16本の盗用を含んだ社説を書いていたことが判明。彼は調査結果が出されると同時に、新聞社を懲戒解雇された。

 私の感想では、この手記で訴えられていたのは、地方紙が独自の「社説」をもつことがどれだけ困難かという現状であった。

 まず知らなかったのが、国内外のニュースを各新聞社に配信する共同通信社から、「資料版論説」という社説のタネが毎日配られているということだった。地方紙にはこれを少し修正しただけで社説として載せているところが結構あるらしい。山梨日日新聞も過去には、行数調整だけしてほぼそのまま掲載していたという。

 そもそも、人手の少ない地方紙は、県外のテーマについては独自取材をするのが大変だ。また有力紙であれば何人もの論説委員をかかえて合議制を敷くことができるが、地方紙では論説委員に多くの人員を配置することも難しい。国内外のあらゆるテーマに独自の「社説」をもつことは、どだい無理とまでは言わないが、実現のためのハードルはかなり高い。だが共同通信社の論説を使い回して「社説」を名乗るのも読者への欺瞞だ。

 そこで筆者は、社説の改革をおこなった。毎日「社説」を掲載するのをやめ、週の半分は共同通信社の評論と、山梨ゆかりの社外執筆者の寄稿を「時評」として載せるようにする。「社説」の量を減らし、質を高めたわけだ。

 しかしこの改革に対して、OBを含めた社の内外から、批判的な声が寄せられる。

「社説のない新聞なんて、新聞の名に値しない」

「言論機関としての役割を放棄してはならない」

「へたでもいいから毎日、社説を書け」

 いやー、これらの発言だね、この事件の潜在的な「犯人」は。そんなに言うなら、他の社説を書ける人間と入れ替えるか、人員を増やすかするべきだろうし、できないなら渋々でも見守ってやればいい。あと3番目の発言はある意味正しいけど、へたなの書いたらそれはそれで文句言うでしょアナタ(笑)。

 しかし、こうした意見を受けてか、山梨日日新聞は社説の改革を3か月ほどでやめ、週に6日間「社説」を掲載することを決める。ほとんど前と同じ体制でだ。こうして改革が頓挫して以降は、坂道を転がり落ちるように、彼は他人の記事を切り貼りする盗用に手を染めていったということだ。

 この筆者をかばおうとまでは思わない。彼には確かに毎日「社説」を書く能力がなかったのだろうし、執筆に困ったからといって盗用をやっていいということにはならない。

 しかし、山梨日日新聞の「社説」のシステムはあまりにお粗末で、それにも関わらず新聞としての体裁にこだわる意見が出てくる様は、滑稽ですらある。この人は哀れにも、その歪みのツケをひとりで払わされたといえるだろう。

 なお、山梨日日新聞は現在、週に3回、社外執筆者の寄稿を掲載しているとのことだ。

[MEMO]------------------------------

*私が子どもの頃愛読していたあの地方紙はどうだったんだろう。社説は全然読んでなかったけど(笑)。会社が悪者みたいな論調になってしまったが、地方紙が独力で提供し続けられるコンテンツには限界があって、それ以外の部分はうまく切り詰めていかないと経営が成り立たないのだろうかね。

 だったら真に問題なのは、必要な改革を拒む「プライド」だろう。厳しい現実に対して目隠しして、社会の公器としてのメンツばかりにこだわる意識が最大のガンなんじゃないか。

*ちなみに私は本や雑誌の感想を書くとき、他人の意見を極力見ないようにする。そうしないと書けないから。だから、「他にも同じこと言ってる人いっぱいいるよ」というような陳腐な内容になる場合もある(ていうかそんな場合ばかりだろう)と思うけど、自分の中から必死に取り出したオリジナルのつもりでありますので平にご容赦を。

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