積み立てたモラルを返せ―「日本をニヒリズムに陥らせた社会保険庁スキャンダル」(中央公論 2007年8月号)
あーもう年金ってどうしようもないな。
…と、若者は思っていることだろう。払わずに済むならそうしたいというのが正直な気持ちではないだろうか。
中央公論最新号の巻頭特集は、「老後破綻社会 ―消えた年金、失われる介護」。この特集全体で示されているのは、「自分の老後は自分で面倒みなきゃいけない」という、「晩年の自己責任」のカタチだ。貧しい老後・介護の悲惨さの片鱗は現代でもすでにうかがわれているが、この先はもっと過酷なことになるだろう。
中でも、東大教授の松原隆一郎による評論「日本をニヒリズムに陥らせた社会保険庁スキャンダル」は、題名にある呆れた事件に象徴される「美しい国」のこれからに、現役世代や若者が抱くどうしようもない絶望感をよく説明してくれていると思う。
2004年の年金制度改革まで、厚生省は「年金は将来の自分への保険」として説明していた。ところが、後先考えない大盤振る舞いのツケもあって原資が不足し、現役世代の保険料を支払いにあてざるをえなくなってくる。しまいには、「年金は若者が高齢者を支える社会制度」という賦課方式であることを厚生省が認めてしまった。
こうなると、自分が年金をもらえる頃には若者の数が圧倒的に不足するであろう、いまの現役世代には、「取られ損」という不公平感が渦巻くことになる。
しかしそれでも、年金制度は決定的には崩壊しなかった。それを支えていたのは何か。私は、国民のモラルに他ならないと思う。
平均的な日本人は、給料から天引きされる保険料に対し、崩壊寸前とはいえ年金は国の制度だからと不承不承でも納得してきた。これは、社会で定められた義務は果たそうという規範意識のなせる業であったと思う。
ところがそこに、5000万件という途方もない数にのぼる今回の年金記録漏れ事件だ。この事件によって、ただでさえ倦んでいた年金に対する国民の認識がさらに悪化したことを、本稿では指摘している。
どのような高邁な理念を持つにせよ、そもそもそれを維持・運営する公的組織を私たち日本人は持てないのではないか、と疑われるようになってしまったのである。
そう、そうなのだ。私の周りにも、「年金未納者」に大きな怒りを示していた善意の人がいた。それが今回の事件によってもうすっかり意気消沈してしまっている。きちんと保険料を払っても、正当な年金をもらえないかもしれない。きちんと払ってなかった人が、うまうまとおこぼれにあずかれるかもしれない。
これは、年金制度を支えていた最後の砦「モラル」が吹っ飛ぶ瞬間である。
本稿はこうした顛末を、社会制度に対する国民の幻想という観点から実にうまく説明してくれている。まったく同感と感じ入ったので、やや長いが引用する。
どんな社会制度もしっかり機能させるには、社会について国民がなんらかの幻想を共有しなければならない。ある個人が選挙に行ったからといって、実際の選挙結果が一票とどうつながっているのかというと、数学的には無視しうる影響しかない。…それでも投票するというのは、選挙に参加することで「個人と社会がつながっている」という幻想が得られるからだ。
これは素朴な「共同体幻想」のようなもので、社会をつくる意識的基盤として無視できないものだろう。
…つながりの幻想を国民に植えつけることが職務であるはずの公的機関が、自分の仕事を放棄していたのである。これは個人の人生が社会と関わりないということを世に知らしめ、社会を無意味化させるという意味で、画期的な事件というべきだろう。
ほんと、事は年金制度だけにとどまらず、善意の人の心を粉々にしたという点で、この事件はヒドく画期的であるなあ、と思うのだ。
そうやって国民のモラルが吹っ飛んだというのに、それに全然気づかずただボケっと立っていた安倍政権が、爆風にあおられて今回の参院選で大敗を喫したというのも、至極当然のことであったろう。
まったく、モラルのない「美しい国」が、どこにあるっていうのか。
[MEMO]------------------------------
*「中国トンデモ食品」のところでも触れたけど、日本人のモラルハザードは決して年寄りの世迷い言でなくて、いろんなスキャンダルの奥底で確かに起きていることだと思う。それは、時代とともにモラルの内容が「変化」した、といえる範囲を超えていて、共同体幻想を木っ端微塵にしかねないような著しい「劣化」だと思う。
まあ起きてしまったことはしゃーないので、問題はそうした「劣化」をどう食い止めるか、だけど。
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