学問・資格

2007年9月15日 (土)

核を考えるときの土台ができる本―「核兵器のしくみ」

 小さい頃、「はだしのゲン」を読んで衝撃を受けた。広島の原爆資料館には二度行った。チェルノブイリやJCOの事故報道にも接した。「核兵器」がキーになる映画やマンガもたくさん見てきた。

 でも、実際のところ、核とは何かがそもそもよくわかってない自分なのだった。

核兵器のしくみ (講談社現代新書) 核兵器のしくみ (講談社現代新書)

著者:山田 克哉
販売元:講談社
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 文系人間は、原子だの放射性物質だのについて、一度話を聞いてもなかなかおぼえきらないのであった。おぼえようという気合も不足してるかもしれない。

 たとえば、「原子爆弾」「臨界核実験」「放射能」「ニュートリノ」「核燃料再処理」「軽水炉」「高速増殖炉」「一次冷却水」「放射性廃棄物」「プルサーマル」「濃縮ウラン」「劣化ウラン」「プラズマ」「プルトニウム爆弾」「水素爆弾」「中性子爆弾」…。

 これらは、日々のニュースや何かの作品でよく目にする言葉たちだ。しかし私はその中身を説明することはちっともできなかった。

 そこで、この本だ。この本はすごかった。これらの用語がぜんぶわかる。

 もちろん、専門的な意味で理解できるというわけではないが、他人に説明できるくらいには、大まかな仕組みが把握できる。それは、この本のレベルが意識的にその程度におさえられているからであり、作者の意図はじゅうぶんに達成されているといえる。

 なにより、読みやすい。砕けた言い回しと、丁寧過ぎるくらいに繰り返される基本事項の説明に助けられて、気合いが不足がちの文系読者も置いてきぼりにならない。

 この種の科学的知識が欠けていては、核軍備や原子力発電の是非について考えても、土台がなくて足許がふらついてしまう。

 私と同じ悩みを抱えている方に、ぜひともお薦めしたい一冊である。

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2007年8月 2日 (木)

逆転に次ぐ逆転が見たかった―「議論のウソ」

 少年非行、ゲーム脳、携帯マナー、ゆとり教育。どれも色鮮やかで目を引くきらびやかなテーマばかりだ。

 で、「これらの議論に潜むウソを暴く!」みたいな内容を期待して読むと、途中まではいいんだけど、最後でずっこける。オチが「何がウソかって決めるのは難しいよね」という相対主義の権化みたいな結論になるので。

議論のウソ (講談社現代新書) 議論のウソ (講談社現代新書)

著者:小笠原 喜康
販売元:講談社
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 とはいえ、各テーマを論じる過程では、世間一般に流布されてるデータや言説が、必ずしも真実ではないということを、上手に指摘していて面白い。少年非行は増加しているとは言い切れないし、ゲーム脳は根拠薄弱だし、携帯電話は電車内でいちいち切る必要があるのか疑問だし、ゆとり教育が学力低下を招くと断定するのは早計だ。

 

 ただ、この内容で、「何がウソかって決めつけるのは難しい」という結論はないでしょう、と思う。いちおう前書きに、本書のメッセージとして述べられてはいるのだけど。

嘘を見抜く力は必要である。しかし、もっと必要なのは、そうした「嘘」であるかどうかという判断自体が場合によって変わりうるという、多様な次元で多様な結論がありうるという姿勢を貫く強靭さではないか。

 御説ごもっともで、まったく正しい意見だと思うんだけど、本書の各章はそういう主張を裏付ける構成にはあまり見えない。

 つまり、「ウソ」を指摘しっぱなしなのだ。その指摘が、別の見方をすればまた「ウソ」になることもある、という「逆転に次ぐ逆転」が起こる例がほとんど紹介されてない。第5章にさらっと触れてあるだけ。

 これで、「いろんな議論には多様な次元で多様な結論がありうる」っていうメッセージを送ってるのだとカッコつけられても、納得がいかない。「何でも鵜呑みにしたらイカンよ」というメッセージなら十分に納得できたけど。

 結局、色とりどりの華やかなテーマは、それぞれ楽しめはするが、ひとつひとつの掘り下げが浅かったと思う。著者の専門分野である教育学の議論を取り上げて、「多様な結論」が百出する様を見せてくれればよかったのに、とちょっと残念に感じた。

[MEMO]------------------------------

*なんか批判的な文になっちゃったなあ。でもプロフィールページに書いてるように、基本的に楽しかった本しか紹介しないスタンスなので、興味深く読んだのは事実。餅は餅屋というか、やっぱり第4章のゆとり教育批判に関する議論が、いちばん筆がノッていると思う。

 その裏返しで、ゲーム脳なんかはやや皮相的な突っ込みに終始してる印象。それこそ著者の大半のネタ元であるインターネットには、「斎藤環氏に聞くゲーム脳の恐怖」などの素晴らしいコンテンツがあるので、それと比べるとやや見劣りしてしまう。

以前読んだマイケル・J・フォックス「ラッキーマン」に、パーキンソン病を治すための脳手術を受けるシーンがあった。医者は、手術中は脳のニューロンが発する電気信号を微小電極でキャッチする必要があるが、それはとても弱く小さいため、部屋の照明さえ消した状態で手術をしなければならない、と説明する。

 じゃあ手元が見えないのでは、とマイケル・J・フォックスが尋ねると、手術室には壁一面の大きな窓があるから大丈夫、と言われるのである。

ローテクとハイテクの合体か、とぼくは思った。このとき以来、病院では携帯電話の電源を切ることにきちょうめんになった。

 「議論のウソ」では、技術革新により、病院内での全面的な携帯電話の使用禁止は不合理であると批判している。これを読んで、マイケル・J・フォックスは今どうしているのだろうとちょっと思った。

*223ページには、「本書でいいたかったことは、『正答主義』をやめようということに尽きる」とある。それは、誰かの作った正答をありがたがるだけの思考から脱皮せよってことなんだけど、実際問題、これは難しいよね。人はすぐに「正答」を知りたがる。

 昔、ナンシー関の本(どれだか忘れた)に、なんでクイズ番組って廃れないのかっていう文章があった。そこで挙げられていたののが、「正答を当てること自体が人にとって快感なのだ」っていう理由。それ読んでやっぱりこの人天才だと思った。

 つまり、好奇心に満ちた動物である人にとって、「正答」は快感をもたらしてくれる刺激であり、それをできる限り簡便に取り入れたいと思うのは、心の摂理なのだ。とすると、自ら迂遠な思考をたどるよりも、手軽に「正答」を得ようとするのは、ある意味仕方のないことといえよう。

(2007.08.07 追記)上記の記述はナンシー関の「超コラム」60ページにあった。「正解の絶対快楽性」というのが正確な表現。ウルトラクイズなんて嫌いだったのに、たまたま参加して第1問目に「正解です」と言われたとき、この上なくうれしかった、とのこと(笑)。

ナンシー関超コラム テレビCM編 ナンシー関超コラム テレビCM編

著者:ナンシー 関
販売元:世界文化社
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2007年7月31日 (火)

理想は証言が不要になること?―「証言の心理学」

 「すべらない話」ができるトークの達人に憧れる。理由はふたつある。ひとつは、何かの出来事を語るとき、自分じゃあんなに「面白く」仕立てられないから。もうひとつは、自分じゃあんなに「わかりやすく」仕立てられないから、である。

証言の心理学―記憶を信じる、記憶を疑う (中公新書) 証言の心理学―記憶を信じる、記憶を疑う (中公新書)

著者:高木 光太郎
販売元:中央公論新社
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 テレビのトークに「わかりやすさ」は絶対不可欠である。「すべらない話」は決して「わからない話」であってはならない。理解してもらえないエピソードで笑いは取れない。

 じゃあどうやって話を「わかりやすく」してるのかというと、それは話し手の「編集」によるのである。「面白さ」を引き出す前提となる「わかりやすさ」を作るために、エピソードの一部を省略したり、時系列を入れ替えたりといった「編集」にタレント・芸人が腐心しているのがテレビを見てるとよくわかる。

 この「編集」の結果、実際に起こったことと話の内容に多少ズレが生じたとしても、笑いが取れればテレビ的にはオッケーである。誰かが「ホンマか~?」というツッコミをしたりするが、本気でその話を疑っているわけではない。あれは「ビックリした~」とほぼ同義のにぎやかしである。

 

 さて本書のテーマは、被告人や目撃者の「証言」である。著者は言う。

証言では語られた記憶が聞き手に素直に受け入れられることはまずない。この点で証言はすでに非日常的な行為である。

 証言に対しては、相手方の陣営などからその信憑性が真剣に問われる。裁判や捜査の行方を大きく左右することもある。そんな状況下で「正確な記憶」を述べねばならない。これは実は相当のプレッシャーである。

 なぜなら、困ったことに、記憶は非常にうつろいやすいからだ。そのことが、本書の冒頭の2章でよく示されている。

 ただ単に、起こったことを忘れるだけなら実害は少ない。だが、記憶は時とともにその内容をゆがめ、事実とかけ離れたものに変容することが多い。ウォーターゲート事件の証人ジョン・ディーンの例を見ると、彼の内部で「常識」と「意味付け」によっていかに記憶が書き換えられたかがわかる。

 さらに、われわれは日常的に、お互いに記憶を補完し合って生活している。著者はこれを「ネットワークする記憶」と呼んでいるが、他者と相互確認を重ねること(共同想起)で自分の記憶は他者の記憶を取り込んで、出所がどんどん不明になっていくものだ。

 こうした記憶の性質が「証言」の場面で顔を出すと、意識的・無意識的な同調や誘導につながる。取調官の発言やマスコミの報道に話を合わせなきゃという心理がはたらいて、証人の記憶が「汚染」されるのだ。証言の信憑性に対する強いプレッシャーにさらされていると、他者からの情報にすがりたくもなるだろう。

 そしてもっともタチが悪いのは、これらの不正確な記憶を、当の本人は正しいものと確信している場合が多いことなのである(正確さと確信度の乖離)

 

 こうして見ると、誰かの記憶を頼りにした「証言」は、「疑い出したらキリがない」ものだとわかる。だから、日常生活やテレビの中では、他人の記憶に基づく話を本気で疑ったりしないという「お約束」がある。

 しかし司法の場では、そんな「お約束」を認めるわけにいかない。不確かな記憶に基づき、誘導の可能性がある「証言」だとしても、それが最重要の証拠となるときもある。ではそれは果たしてどこまで信じられるものなのか?

 本書の後半は、この難問に心理学者たちが取り組み奮闘する様子が書かれている。自分の専門研究を社会の中で役立てようという姿勢に、深い感銘を受ける。

 ただ、これって、「物証」を得るための技術がもっと進歩し、取調べが十分に可視化されれば、あまり問題にならなくなるところなんだよね…。ある人が犯人かどうかの判断は、豊富に「物証」を集めることで精度を上げられるし、証言を取るしかない動機の解明なんかでも、取り調べを監視することで不正を防げる。司法の手続きに「真偽の不確かな証言」が入り込む余地を減らしていくことが、将来的には可能なのだ。

 つまり、司法制度での「証言」をめぐる究極の理想は、「証言の心理学」が無意味となるような制度と技術を作り出すことだ、といえるのではないだろうか。

[MEMO]------------------------------

*最後の一文は、この分野の人たちの頑張りを否定するわけではもちろんないので、悪しからず。あくまで、「理想」は不確実な記憶に頼らずに済むことだと言っているだけで、現実」はまだそれにほど遠いので、心理学者に出来ることはごまんとあると思ってる。

 仲真紀子「認知心理学の新しいかたち」の第一部にも、心理学的アプローチのそうした可能性が示されていた。こちらは、本書でも取り上げられている「クローズド・クエスチョン(閉じた質問)」の問題等を理解するのに役立つ。

朔立木「死亡推定時刻」で描かれた冤罪事件と、本書に登場した実在の事件の間には多くの類似点があった。改めて、司法の限界を思い知らされた感じ。それには日本特有の問題もあるし、人間の根本的な能力の問題もある。

認知心理学の新しいかたち 認知心理学の新しいかたち

著者:仲 真紀子
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2007年6月14日 (木)

納得いく答えは、誰の中にもない―「これから社会に出るきみへ」

 大学って何のためにあるの?という疑問は、大学をよく知らない人も、あるいは大学に現在・過去在籍してよく知っている人さえ、心に抱くときがあるだろう。

 大学教育に対する国からの予算が削られ、誰でもそれなりの大学に入れる時代だ。あちこちの大学から危急存亡の火の手が上がっているのは、きっと人々の意識の底にあるこうした疑問に、納得のいく答えが出ないからだ。

これから社会に出るきみへ―有名人が贈る60の勇気 これから社会に出るきみへ―有名人が贈る60の勇気

販売元:草思社
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 この本は、アメリカを代表する、企業家、俳優、作家、ミュージシャンなどの有名人が、卒業式などの場で若者に対しておこなったスピーチをまとめたもの。こういった名言集、金言集はたいていブツ切りの極みで、それが読みやすくもあるが食い足りなくもある。そこから何かを得るためには、自分なりの「編集」が必要だろう。

 私の「編集」方針は、「大学とは」だった。

わたしたちが緊張し葛藤する関係をふるいにかけ、選別するとき、それらは恥ずかしいほど単純化することがあります。教育がきわめて重要な理由の一つは、ここにあります。教育は内なる緊張をつくりだし、わたしたちが多様に異なる価値観をあわせもちながら、異質の情報を理解することを可能にするのです。(P53、ヒラリー・ロダム・クリントン)

みなさんが頑張って学業を続けたことに、祝辞を述べたいね。ぼくにはそれができなかった。いまは、もっと勉強しておけばよかった、と思っている。そうしておけば、ぼく自身の音楽に役立ったことだろう。(P26、ビリー・ジョエル)

みなさんは、この大学から何をもっていきますか?物語、公式、もしかしたら握手、特別な出会い、友情。卒業証書を除くと、何が残るでしょう?たくさんのことが残るにちがいありません。なぜなら、二人の人間が出会うとき、神秘的な力が生まれます。(P138、エリ・ヴィーゼル)

 これらはまあ結局、「大学とは」という問いへの回答のごく一部にしかならないかもしれない。大学じゃなくてもできることもたくさん混じってるし。

 その一方で、社会や仕事や人生についての見解も、人によって実に様々であることが本書でもはっきりしていた。だから、「社会って何のためにあるの?」「仕事って何のためにあるの?」、そう聞かれてみんなが納得する答えなんて、やっぱり出しようがないはずだ。

 大学ってのも、そういうものだろう。

 

[MEMO]------------------------------

*この本、「仕事」でも「愛」でも「成功」でも、人によっていかようにも「編集」できる。

仕事に関して分別をもつ。「オフィスでもっと時間を過ごせばよかった」とつぶやいて死んでいった者は一人もいません。(P125、アン・リチャーズ)

わたしがいちばん重要な決断をした ―ジョージ・ブッシュと結婚することに決めた ― 理由の一つは、彼がわたしを笑わせたからです。本当ですよ。わたしたちはときどき涙が出るほど笑いました。でも、ともに笑えるということこそ、わたしたちのいちばん強い絆になっていました。(P146、バーバラ・ブッシュ)

*世界1~3位の金持ちは、みんな大学中退だよ、というラリー・エリソン(オラクルのCEO)のスピーチは強烈で面白い(笑)。スティーブン・キング、ルドルフ・ジュリアーニの言葉もよかった。

これから社会に出るきみへ―有名人が贈る60の勇気 これから社会に出るきみへ―有名人が贈る60の勇気

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