育児

2008年3月13日 (木)

万物の霊長たる能力とは―「アヴェロンの野生児」

 人間の能力は、他の生物と比べ、主に知的な側面において優れている。

 「ジョジョ」の中で、人間をやめるぞと言って石仮面を被ったディオのどこが発達したかといえば、身体能力なわけだ。裏を返せば、知的能力はこれ以上伸ばしても役に立つところがあまりない(少なくともマンガ内では)という荒木飛呂彦の判断が、意識的か無意識的かはわからないが、あったのではないかな。つまり、人間のままでも知的能力は相当高いということがそこには表れている。

 「ヒト」は、そうした知的能力の高さをもって、「万物の霊長」と呼ばれるわけだ。

野生児の記録〈7〉新訳アヴェロンの野生児 (1978年)
Book
野生児の記録〈7〉新訳アヴェロンの野生児 (1978年)
販売元 福村出版
定価(税込) ¥ 945

 幼くして森に捨てられ、11、12歳くらいで発見されたとみられる「アヴェロンの野生児」の話は、高校でも習うくらいに有名だ。この野生児の研究結果をどうとらえるかについては専門的な議論があるが(末尾のMEMO参照)、それでもなお興味深いエピソードである。

 本書によれば、当時の有識者たちにはこんなことを言う者もいたという。

この野生児の教育はたかだか数か月しかかからないだろう、その時には彼から過去の生活について興味津津の話を聞くことができるに相違ない。

 しかしそうは問屋がおろさなかった。本書の著者である軍医イタールが6年をかけた補償教育も、この野生児(通称ヴィクトール)を「普通児」にすることはできなかった。あとがきによれば、最終的に教育は中止され、ヴィクトールは推定40歳で亡くなったという。

 教育が中止された理由は、思春期に入ったヴィクトールの発作的凶暴性に手が付けられなくなったからだというが、こうした性向を抑えるのに必要な理性や判断力が十分に備わらなかったという一事をとっても、補償教育の効果に限界があったことがうがかわれる。

 とはいえ、まったくの野生状態であった最初期から比べれば、随所に進歩は見られるのだ。イタールは、身体的・精神的能力で著しい欠陥のあったヴィクトールの最初の状態をこう表現している。

彼は自分の種の最下位であるばかりか、動物の階梯の最後に位置していたわけです

 そこから、イタールの粘り強い教育が始まる。本書には、1801年初頭にヴィクトールへの教育が開始されてから1年弱の経過をまとめた「第一報告」と、その後の6年間の成果をまとめた「第二報告」が収められている。順に追っていくと、ヴィクトールができるようになったことと、結局できなかったことが明らかになる。まあ後者の方が圧倒的に多いわけですが…。

 まず、最初は感覚がおそろしく鈍感だった(嗅覚を除く)。冷たい雨の中で何時間も過ごしたし、焼けた炭や熱湯に手で触れてもなんともなかったという。こうした皮膚感覚は、熱い風呂に繰り返し入れることで、(神経の感受性が高まったためか)向上したという。

 味覚も訓練によって改善した。最初は、普通の人なら胸がむかつくような食べ物を汚物にまみれた手で食べていたのが、6年間で多くの料理を味わえるようになったいう。だが、グルメ的な偏食はなく、飲み物としては水を飲んでいる時がいちばんうれしそうだった(笑)という。

 視覚や聴覚は、器官としては備わっているのに、そうした情報を処理することが普通にはできなかったようである。たとえば聴覚については、母音の中で最初は「o」(オー)しか聞き分けられなかった(ヴィクトールと名付けたのはそのためである)。その後の教育で改善はしたものの、単音節の単語を数語聞き分けられるようになった、というのが第二報告に書かれていた成果である。

 もっと高度な知的能力はどうか。言葉を使うことに関していうと、まず話し言葉は、それに必要な音を口から発することが難しかった。第一報告の時点で、「u」を除く母音と3つの子音しか調音できないと書かれており、第二報告では、

治療を継続し時が流れても何の変化もおきないのを知り、とうとう、話しことばを与える最後の試みに終止符をうち、生徒を不治の唖のままに放置したのでした。

…とある。

 一方、書き言葉はそれよりずっと良く、具体名詞をおぼえ、それに付く形容詞をおぼえ、動詞もいくつか理解したという。それらを見て意味がわかるだけでなく、書くこともできたと述べられている。

 またこのことからもわかるように、記憶能力はある程度保たれており、訓練の中で向上もした。第二報告には、別の部屋から物を持ってくるように頼まれて、きちんとそれを達成できたと書かれている。「え、その程度?」と拍子抜けされる人がいるかもしれないが、そこまでずっとヴィクトールの悲しいありさまを見続けていた私はかなり感動したことを申し添えておく(笑)。

 とまあいろいろ書いてきたが、こうしたすべての訓練・教育のカギになったのは、感情の力なのだった。最初に彼が感じることのできた感情は、喜びと怒りの二つに限られていた。とても悲しい目にあっても、涙を流したことさえなかったという。

 しかし彼は、しだいに多様な感情を見せ始める。とくに、身辺の世話をしてくれるゲラン夫人に少しずつ愛着を示すようになったのは重要だ。施設を逃げ出して浮浪者として逮捕され、二週間ぶりにゲラン夫人と再会したときの話や、ゲラン夫人が夫を亡くした後の話などは、このヴィクトールが主人公だからこその感動的なエピソードである。この他にも感謝や友情といった複雑な感情を、彼がある程度理解し表出できたことが、訓練の助けになっていたことが本書からは読み取れた。

 ヴィクトールが最終的に「普通児」の水準に達しなかったのは悲しいことであり、適切なタイミングで教育を授けることの重要性を示している。だがそれだけでなく、この「アヴェロンの野生児」は、ヒトが「万物の霊長」たるためには、どんな能力が必要かを教えてくれていると思うのだ。

 それはおそらく、道具や言語を使えたり計算ができたりという知的な能力だけではないのだ。他の個体とスムーズに交流しながら、生存と種の保存に適した社会を作り上げるためには、感情の能力を欠くことはできない。感情がある程度備わったからこそヴィクトールの知的能力には進歩がみられたし、逆に感情面でどうしても普通児より欠落する部分があったからこそ、社会に出られるほどの知的能力に到達できなかったのだと思われる。

 両者が高度にそろってこその「万物の霊長」ではないか、ということを、知育偏重の向きには訴えたいと思った次第。

[MEMO]------------------------------

*発達心理学関係の本では、ヴィクトールはもともと知的障害があったか自閉症だったのではないかと考えられていて、健常児であれば補償教育でもっと良好な結果が得られたのではないかと書かれていたりする。

*DIOは仮面を付けて身体能力がアップしてたけど、第二部のカーズはさらに究極生命体になって知的能力もアップしてたような気がする。「究極生命体のヒミツ」的な大図解にそんなことが書いてあったような…。手元に単行本がなくて思い出せん。

ジョジョの奇妙な冒険 (2) (ジャンプ・コミックス) ジョジョの奇妙な冒険 (2) (ジャンプ・コミックス)

著者:荒木 飛呂彦
販売元:集英社
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2007年9月25日 (火)

親子は似るからいいのだと思う―「『親子は似る』のウソ・ホント」(日経Kids+ 2007年10月号)

 ある「体のつくり」や「心のはたらき」を遺伝子が決めている、ということと、親と子が似る、ということは同じではない。

  「日経Kids+」の10月号に、この両者の違いをすっきり説明して、親から子への遺伝に関する誤解を解くようなわかりやすい特集が組まれていた。

日経 Kids + (キッズプラス) 2007年 10月号 [雑誌] 日経 Kids + (キッズプラス) 2007年 10月号 [雑誌]

販売元:日経ホーム出版社
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 その人が持っている遺伝子で、体や心の有りようがある程度決まることはあるけれども、子どもが受け継いだのは、父親と母親の遺伝子の半分ずつだ。その組み合わせ方によって、親たちとは違った新たな性質が生まれることは十分にある。これが大原則だ。

 この雑誌の特集は、遺伝の基礎知識から始まって、語学・芸術の才能、頭の良さ、性格・気質などの「心のはたらき」の遺伝と、体形・体格、体質、運動能力などの「体のつくり」の遺伝を網羅的に紹介している。専門的に高度な踏み込み方はしていないが、各分野の専門家にしっかり話を聞いていて、「いい加減な内容にはしないぞ」という姿勢がうかがえる。

 「心のはたらき」については、以前紹介した安藤寿康「心はどのように遺伝するか」と内容が重複するところもある(彼自身も取材を受けている)。新しく知ったことで興味を引いたのは、本筋から少し逸れるけど、子どもの頃むちゃくちゃいろんなことを記憶できたよなあ(今はさっぱり)、と経験的に感じてたことに、科学的説明がなされていたこと。

 それは、長期学習が成立する際に脳内で重要な役割を果たすと考えられているNMDA受容体(ナトリウムイオンとカルシウムイオンを通す。カルシウムイオンが通らないと神経回路の長期増強が起こりにくくなる)に、胎児型と大人型があるという説明だ。胎児型は非常に効率よく記憶できるのだが、成長するにつれてその組成は、効率の悪い大人型に自然と変わってしまうという。これがおそらく、子どもの頃の驚異的な学習能力に関わっているのだろう。

 「体のつくり」は知らないことが多くてタメになった。親子間の相関を調べると、子どもの身長は同性の親と相関し、体重は母親と相関する。また、細胞の代謝に関わり運動能力にも影響するミトコンドリアは、原則的に母親由来だという。てことは、ヤワラちゃんの息子さんはかなり期待できるねえ(笑)。

 あと、双生児研究から、50m走や幅跳びのような瞬発系の運動は遺伝的要因が強く、1500m走や反復横とびなどの持久系の運動は遺伝的要因が弱いことがわかっているらしい。

 これは、瞬発力に関わる速筋と、持久力に関わる遅筋の割合は遺伝で決まっていることに関係がある。トレーニングで筋繊維を大きくしたとき、速筋は遅筋のような性質に変わってしまうのだ。そして逆は起こらない。つまり、持久力はトレーニングという後天的な要素で伸ばしやすいが、瞬発力は持って生まれた速筋の量が大きく影響しているということだ。

 その他、ハゲるかどうかや、まぶたが一重になるか二重になるかといった、様々な「体のつくり」が親から子に遺伝する仕組みが紹介されており、なかなか飽きさせない特集になっている。

 「みにくいアヒルの子」じゃないけど、やっぱり親の素朴な感情として、自分と似ててこそ子への愛情も強まるというものだろう。ちょっとうがった見方かもしれないが、親からの養育を確実にするという意味で、遺伝子をかけ合わせて両親にほどよく似た個体を作るという両性生殖の仕組みは、ほんとよくできてると思うわぁ。

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2007年6月 8日 (金)

虐待は犯罪である―「子どものトラウマ」

 子育ては、とても危うい行為だ。

 この本は、虐待行為を受けた子供への心理・行動面での様々な影響を教えるとともに、「普通の親」が「虐待する親」にならないように気をつけるべきポイントも示している。

子どものトラウマ 子どものトラウマ

著者:西沢 哲
販売元:講談社
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 たとえば、完璧を求めすぎる親の中にあるコントロール欲求が、「普通の親」を「虐待する親」へと変貌させる可能性があること。しかし、感情コントロールが不十分な子どもに対しては、「○○ちゃんは悲しいのねぇ」などと語りかけることで、親が感情を制御する役割を代わって担わねばならないこと。

 子育ては、自分とは別の人格をもつ人間に対しておこなう行為だ。親からの働きかけが、強すぎても弱すぎても、子ども自身の人格を不当に曲げてしまう。本書の事例から、しつけと押し付け、自主性の尊重と野放しという、子育てに内在する矛盾や危ういバランスを実感する。

 そう考えると、通常の親子関係では、親が子どもの欲求を満たし、子供が親によって欲求を満たされる側であるが、虐待が生じる親子関係ではその役割が逆転しているとの西沢の言葉は理想的過ぎる気がする。

 確かに、親に求められる理想は無償の愛の提供であって、それは自分の欲求をある程度放棄してしまうことだろう。しかし、親も人間だ。自分への快があまりにも乏しい関係をどれだけ継続することができるか。通常の親子関係であっても、子どもが何らかの形で親の欲求を満たしていて、だから親はシンドイ思いをしながらも子育てを続けられるという面は、現実には否定できないのじゃないか。


[MEMO]------------------------------

*児童虐待の権威としてヴァン・デア・コークが登場して、「心は実験できるか」でロフタスを批判していたことと関連。

子どものトラウマ 子どものトラウマ

著者:西沢 哲
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心は実験できるか―20世紀心理学実験物語 心は実験できるか―20世紀心理学実験物語

著者:ローレン スレイター
販売元:紀伊國屋書店
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